牧野修、『傀儡后』読了。
見たことある名前だけど、この人何書いてんだっけなー、とぐぐってみたらそりゃあ見たことあるはずだ。『呪禁官』で「かまいたち」で『デビルサマナー』(以下略)。しかし実際読んだのはこれがはじめてかも知れん。知れん、ていうか初めて。手にとって見た理由は、恩田陸の『ロミオと〜』に載っていた既刊リスト内での紹介。「SFは守備範囲外だから」などという考えはそろそろ捨てねば、と思い始めた矢先のことだったのでナイスタイミング。

内部と外部、自分と世界の対立、反定立の根拠は境界、すなわち皮膚であると言うテーマは良いです。世界と繋がると言うことは、世界と繋がっていなかった、つまり自分は世界ではなかったというあそこら辺やそこら辺も余すことなく網羅して、細部にモチーフとして現れる「衣服」の概念が秀逸。「クチュールになる」なんていいえて妙だよなあ。服飾学校が物語の始点になるのはそういうことなんだろうと解釈。
「コミュニケーター」の設定も今の携帯依存な現代を知っている身としてはつい口元がほころんでしまう。「デス・メル」をはじめとして「ドーラー」なんかもとってもサブカルでオタク。作者絶対オタクだと確信して読んでたら、ものっそいシリアスなシーンで「ここは晴海か」に腹筋が吊りそうになった。危ない危ない。あちこちでさりげなく洒落がきいてるのがたまらない。
蓮元と夷のコンビに代表される登場人物の奇妙な記号性が、王道を知っていて踏み外さない、という捻りに見える。あちこちで前提をひっくり返すような新事実の発覚が途絶えることなく起こっている割には、世界観は少しも揺らがない。おかしい。主要登場人物の性別が実は思っているのと逆だったり、今までの記憶は全部嘘だお前は別人だとかやられたら、物語を見る視点が少しは変わっても良さそうなんだけど、その程度瑣末な事柄ですと言わんばかりの筆の運びがなんつーか「どうせ」とあらかじめ考えて/こうくるだろうと身構える読み手の予想の上を行ってる。そういう意味では変な話。
逆に気になったのが、折角登場してきた函崎の扱い。コミュを中心に話が進むと思ったら肩透かしを食らいました。七道父と沙子さんのエピソードが心震える割に、息子の桂男はどうなのよ、とか。丁寧に下準備しておいて(期待させておいて)何も無しってのは思い切りが良すぎるのか無駄手間なのか……。結局、美香さんが奈蛹のところにやってきた理由もわからんし。あっさり退場しすぎな人々も気になる。裏表紙の粗筋紹介はものすご華麗なんだけど。
ラストはなんとなく『パラサイト・イヴ』を思い出しますな。

ものすごく些細な点として、第三章ラストで「傀儡后”閣下”」っていうのがなんとも。「陛下と呼べー!」っていう直前のやり取りはなんだったんだ。

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