今年読んだ本2005年
2005年12月31日 未分類『Twelve Y.O.』福井晴敏、講談社
『自由戀愛』岩井志麻子、中公文庫
『マリア様がみてる インライブラリー』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『黄金色の祈り』西澤保彦、文芸春秋
『異邦人 fusion』西澤保彦、集英社
『聯愁殺』西澤保彦、原書房
『リドル・ロマンス』西澤保彦、集英社
『神のロジック人間のマジック』西澤保彦、文芸春秋
『笑う怪獣 ミステリ劇場』西澤保彦、新潮社
『鏡の中の鏡―迷宮―』ミヒャエル・エンデ著、丘沢静也訳、岩波書店
『白貌の伝道師』虚淵玄、Nitroplus
『頭のいい人、悪い人の話し方』樋口裕一、PHP新書
『文体練習』レーモン・クノー、朝比奈弘治訳、朝日出版社
『どすこい。』京極夏彦、集英社文庫
『悪霊』(上下巻)ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫
『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里、新潮文庫
『鉱石倶楽部』長野まゆみ、文春文庫
『気まずい二人』三谷幸喜、角川書店
『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』三谷幸喜、朝日出版社
『溶ける薔薇』皆川博子、青谷舎
『スカイ・クロラ』森博嗣、中央公論新社
『鬼哭街 鬼眼麗人』虚淵玄、角川スニーカー
『猫舌男爵』皆川博子、講談社
『鳥少年』皆川博子、徳間書店
『まひるの月を追いかけて』恩田陸、文芸春秋
『薔薇密室』皆川博子、講談社
『黒猫の三角』森博嗣、講談社ノベルス
『人形式モナリザ』森博嗣、講談社ノベルス
『月は幽咽のデバイス』森博嗣、講談社ノベルス
『M.G.H. 楽園の鏡像』三雲岳人、徳間書店
『死の泉』皆川博子、早川書房
『陰陽師 龍笛ノ巻』夢枕獏、文春文庫
『マリア様がみてる 妹オーディション』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『ブラックロッド』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『ブラッドジャケット』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『ブライトライツ・ホーリーランド』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『あらしのよるに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『あるはれたひに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『くものきれまに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『きりのなかで』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『語り手の事情』酒見賢一、文春文庫
『どしゃぶりのひに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『ふぶきのあした』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウス』上遠野浩平、メディアワークス電撃文庫
『夏期休暇』長野まゆみ、河出文庫
『ハローワールド 青い記憶』涼風涼、角川スニーカー文庫
『ハローワールド BLAZE UP』涼風涼、角川スニーカー文庫
『水の都の王女』(上下巻)J・グレゴリイ・キイズ、岩原明子訳、ハヤカワ文庫
『聖戦ヴァンデ』(上下巻)藤本ひとみ、角川文庫
『今夜、すべてのバーで』中島らも、講談社文庫
『発情装置』上野千鶴子、筑摩書房
『東京のオカヤマ人』岩井志麻子、講談社文庫
『楽園 ラック・ヴィエン』岩井志麻子、角川ホラー文庫
『邪悪な花鳥風月』岩井志麻子、集英社文庫
『人びとのかたち』塩野七生、新潮文庫
『チャイ・コイ』岩井志麻子、中公文庫
『私の國語教室』福田恒存、文春文庫
『しゃばけ』畠中恵、新潮文庫
『「いき」の構造』九鬼周造著、全注釈藤田正勝、講談社学術文庫
『薔薇の名前』(上下巻)ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳、東京創元社
『魔女の1ダース』米原万里著、新潮文庫
『スローグッドバイ』石田衣良著、集英社文庫
『秘密の花園』バーネット著、龍口直太郎訳、新潮文庫
『関ヶ原』(上中下巻)司馬遼太郎、新潮文庫
『図書室の海』恩田陸、新潮文庫
『長めのいい部屋』フジモトマサル、中公文庫
『項羽と劉邦』(上中下巻)司馬遼太郎、新潮文庫
『絵のない絵本』アンデルセン、矢崎源九郎訳、新潮文庫
『蝿の王』ウィリアム・ゴールディング、平井正穂訳、新潮文庫
『対談集 妖怪大談義』京極夏彦、角川書店
『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『美人画報』安野モヨコ、講談社文庫
『十五少年漂流記』ヴェルヌ、波多野完治訳、新潮文庫
『ハムレット』シェイクスピア、福田恒存訳、新潮文庫
『黒焦げ美人』岩井志麻子、文春文庫
『双生児は囁く』横溝正史、角川文庫
『ラヴクラフト全集1』H・P・ラヴクラフト、大西尹明訳、創元推理文庫
『ラヴクラフト全集2』H・P・ラヴクラフト、宇野利泰訳、創元推理文庫
『天然理科少年』長野まゆみ、文春文庫
『ビートのディシプリンSIDE4』上遠野浩平、電撃文庫
『京極噺六儀集』京極夏彦、ぴあ
『家族狩り』天童荒太、新潮ミステリー倶楽部
『宝はマのつく土の中!』喬林知、角川ビーンズ文庫
『花龍神話』真堂樹、コバルト文庫
『悪魔の降誕祭』横溝正史、角川文庫
『合意情死』岩井志麻子、角川文庫
『LAST』石田衣良、講談社文庫
『これが現象学だ』谷徹、講談社現代新書
『池袋ウェストゲートパーク4 電子の星』石田衣良、文春文庫
『ラヴクラフト全集3〜5』H・P・ラヴクラフト、大瀧啓裕訳、創元推理文庫
『民明書房大全』宮下あきら、集英社ジャンプコミックスデラックス
『幕末新選組』池波正太郎、文春文庫
『ぎりぎり合格への論文マニュアル』山内志朗、平凡社新書
『エンジェルバレット』ライアーソフト、相島巻、角川スニーカー
『キノの旅9』時雨沢恵一、電撃文庫
『<子ども>のための哲学』永井均、講談社現代新書
『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之、電撃文庫
『現代倫理学入門』加藤尚武、講談社学術文庫
『黒龍の柩』(上下巻)北方謙三、幻冬舎文庫
『天球儀文庫』長野まゆみ、河出文庫
『星の王子さま』サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫
『賭博者』ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫
『ラピスラズリ』山尾悠子、国書刊行会
『フーコーの振り子』(上巻)ウンベルト・エーコ、藤村昌昭訳、文春文庫
『新リア王』(上巻)高村薫、新潮社
『悪魔のわたしと天使の自分』金盛浦子、日本文芸社
『アダルト・チルドレンと家族』斎藤学、学陽書房
『蜘蛛の糸・杜子春』芥川龍之介、新潮文庫
『マリア様がみてる 未来の白地図』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『花片戯曲』真堂樹、集英社コバルト文庫
漫画本は省きました。おおむね読んだ順です。こうやって並べてみると実に恥ずかしい。
『振り子』と『新リア』の下巻は来年に持ち越し。
今年は「海外作品にも手をつける」「金田一コンプ」「ラヴクラフト全集」という目標を一応達成できました。
来年は「SFも行ってみよう」「ヤプー」あたりを目標としたいと思います。
詩?……もっと先の話になりそうです。
『自由戀愛』岩井志麻子、中公文庫
『マリア様がみてる インライブラリー』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『黄金色の祈り』西澤保彦、文芸春秋
『異邦人 fusion』西澤保彦、集英社
『聯愁殺』西澤保彦、原書房
『リドル・ロマンス』西澤保彦、集英社
『神のロジック人間のマジック』西澤保彦、文芸春秋
『笑う怪獣 ミステリ劇場』西澤保彦、新潮社
『鏡の中の鏡―迷宮―』ミヒャエル・エンデ著、丘沢静也訳、岩波書店
『白貌の伝道師』虚淵玄、Nitroplus
『頭のいい人、悪い人の話し方』樋口裕一、PHP新書
『文体練習』レーモン・クノー、朝比奈弘治訳、朝日出版社
『どすこい。』京極夏彦、集英社文庫
『悪霊』(上下巻)ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫
『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里、新潮文庫
『鉱石倶楽部』長野まゆみ、文春文庫
『気まずい二人』三谷幸喜、角川書店
『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』三谷幸喜、朝日出版社
『溶ける薔薇』皆川博子、青谷舎
『スカイ・クロラ』森博嗣、中央公論新社
『鬼哭街 鬼眼麗人』虚淵玄、角川スニーカー
『猫舌男爵』皆川博子、講談社
『鳥少年』皆川博子、徳間書店
『まひるの月を追いかけて』恩田陸、文芸春秋
『薔薇密室』皆川博子、講談社
『黒猫の三角』森博嗣、講談社ノベルス
『人形式モナリザ』森博嗣、講談社ノベルス
『月は幽咽のデバイス』森博嗣、講談社ノベルス
『M.G.H. 楽園の鏡像』三雲岳人、徳間書店
『死の泉』皆川博子、早川書房
『陰陽師 龍笛ノ巻』夢枕獏、文春文庫
『マリア様がみてる 妹オーディション』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『ブラックロッド』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『ブラッドジャケット』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『ブライトライツ・ホーリーランド』古橋秀之、メディアワークス電撃文庫
『あらしのよるに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『あるはれたひに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『くものきれまに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『きりのなかで』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『語り手の事情』酒見賢一、文春文庫
『どしゃぶりのひに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『ふぶきのあした』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社
『ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウス』上遠野浩平、メディアワークス電撃文庫
『夏期休暇』長野まゆみ、河出文庫
『ハローワールド 青い記憶』涼風涼、角川スニーカー文庫
『ハローワールド BLAZE UP』涼風涼、角川スニーカー文庫
『水の都の王女』(上下巻)J・グレゴリイ・キイズ、岩原明子訳、ハヤカワ文庫
『聖戦ヴァンデ』(上下巻)藤本ひとみ、角川文庫
『今夜、すべてのバーで』中島らも、講談社文庫
『発情装置』上野千鶴子、筑摩書房
『東京のオカヤマ人』岩井志麻子、講談社文庫
『楽園 ラック・ヴィエン』岩井志麻子、角川ホラー文庫
『邪悪な花鳥風月』岩井志麻子、集英社文庫
『人びとのかたち』塩野七生、新潮文庫
『チャイ・コイ』岩井志麻子、中公文庫
『私の國語教室』福田恒存、文春文庫
『しゃばけ』畠中恵、新潮文庫
『「いき」の構造』九鬼周造著、全注釈藤田正勝、講談社学術文庫
『薔薇の名前』(上下巻)ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳、東京創元社
『魔女の1ダース』米原万里著、新潮文庫
『スローグッドバイ』石田衣良著、集英社文庫
『秘密の花園』バーネット著、龍口直太郎訳、新潮文庫
『関ヶ原』(上中下巻)司馬遼太郎、新潮文庫
『図書室の海』恩田陸、新潮文庫
『長めのいい部屋』フジモトマサル、中公文庫
『項羽と劉邦』(上中下巻)司馬遼太郎、新潮文庫
『絵のない絵本』アンデルセン、矢崎源九郎訳、新潮文庫
『蝿の王』ウィリアム・ゴールディング、平井正穂訳、新潮文庫
『対談集 妖怪大談義』京極夏彦、角川書店
『マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『美人画報』安野モヨコ、講談社文庫
『十五少年漂流記』ヴェルヌ、波多野完治訳、新潮文庫
『ハムレット』シェイクスピア、福田恒存訳、新潮文庫
『黒焦げ美人』岩井志麻子、文春文庫
『双生児は囁く』横溝正史、角川文庫
『ラヴクラフト全集1』H・P・ラヴクラフト、大西尹明訳、創元推理文庫
『ラヴクラフト全集2』H・P・ラヴクラフト、宇野利泰訳、創元推理文庫
『天然理科少年』長野まゆみ、文春文庫
『ビートのディシプリンSIDE4』上遠野浩平、電撃文庫
『京極噺六儀集』京極夏彦、ぴあ
『家族狩り』天童荒太、新潮ミステリー倶楽部
『宝はマのつく土の中!』喬林知、角川ビーンズ文庫
『花龍神話』真堂樹、コバルト文庫
『悪魔の降誕祭』横溝正史、角川文庫
『合意情死』岩井志麻子、角川文庫
『LAST』石田衣良、講談社文庫
『これが現象学だ』谷徹、講談社現代新書
『池袋ウェストゲートパーク4 電子の星』石田衣良、文春文庫
『ラヴクラフト全集3〜5』H・P・ラヴクラフト、大瀧啓裕訳、創元推理文庫
『民明書房大全』宮下あきら、集英社ジャンプコミックスデラックス
『幕末新選組』池波正太郎、文春文庫
『ぎりぎり合格への論文マニュアル』山内志朗、平凡社新書
『エンジェルバレット』ライアーソフト、相島巻、角川スニーカー
『キノの旅9』時雨沢恵一、電撃文庫
『<子ども>のための哲学』永井均、講談社現代新書
『ある日、爆弾がおちてきて』古橋秀之、電撃文庫
『現代倫理学入門』加藤尚武、講談社学術文庫
『黒龍の柩』(上下巻)北方謙三、幻冬舎文庫
『天球儀文庫』長野まゆみ、河出文庫
『星の王子さま』サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫
『賭博者』ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫
『ラピスラズリ』山尾悠子、国書刊行会
『フーコーの振り子』(上巻)ウンベルト・エーコ、藤村昌昭訳、文春文庫
『新リア王』(上巻)高村薫、新潮社
『悪魔のわたしと天使の自分』金盛浦子、日本文芸社
『アダルト・チルドレンと家族』斎藤学、学陽書房
『蜘蛛の糸・杜子春』芥川龍之介、新潮文庫
『マリア様がみてる 未来の白地図』今野緒雪、集英社コバルト文庫
『花片戯曲』真堂樹、集英社コバルト文庫
漫画本は省きました。おおむね読んだ順です。こうやって並べてみると実に恥ずかしい。
『振り子』と『新リア』の下巻は来年に持ち越し。
今年は「海外作品にも手をつける」「金田一コンプ」「ラヴクラフト全集」という目標を一応達成できました。
来年は「SFも行ってみよう」「ヤプー」あたりを目標としたいと思います。
詩?……もっと先の話になりそうです。
『マリア様がみてる 未来の白地図』『花片戯曲』
2005年12月27日 未分類『マリア様が見てる 未来の白地図』
今野緒雪、集英社コバルト文庫。
ちゃんと話が進んでいてすばらしいなあ。この調子ですすめてくれればいいのになあ。
ドリルが「先に私なんかをお家に上げるなんてどうかしてます」と言い出したときのドリルの内心を想像してもだえました。「なに考えているんだろうこの人は!」と罵倒するドリル一人称希望。
相変わらず田中有馬はクールで素敵ィー。なんだろう、この素直で直球であさって向いたクールさは。今までにないタイプで分類に困る。
『花片戯曲』
真堂樹、集英社コバルト文庫。
買いのがしていた番外編を回収。シリーズが長くなると、作者みずから大切な何かを壊し始めるのってどうしてなんでしょう?
ロミオとジュリエット・ハッピーエンド版かしら、と考えてから、はたと気づいた。このパターン一度本編で見てるぞ。あれは果実の特殊ペイントだったけど。
……なんだろう今日の日記。
今野緒雪、集英社コバルト文庫。
ちゃんと話が進んでいてすばらしいなあ。この調子ですすめてくれればいいのになあ。
ドリルが「先に私なんかをお家に上げるなんてどうかしてます」と言い出したときのドリルの内心を想像してもだえました。「なに考えているんだろうこの人は!」と罵倒するドリル一人称希望。
相変わらず田中有馬はクールで素敵ィー。なんだろう、この素直で直球であさって向いたクールさは。今までにないタイプで分類に困る。
『花片戯曲』
真堂樹、集英社コバルト文庫。
買いのがしていた番外編を回収。シリーズが長くなると、作者みずから大切な何かを壊し始めるのってどうしてなんでしょう?
ロミオとジュリエット・ハッピーエンド版かしら、と考えてから、はたと気づいた。このパターン一度本編で見てるぞ。あれは果実の特殊ペイントだったけど。
……なんだろう今日の日記。
『蜘蛛の糸・杜子春』
2005年12月25日 未分類芥川龍之介、新潮文庫。
本棚導入の際に発掘されたので再読。
それはそれは活字に飢えていた子どもの頃、父親の本棚に入っていたのを無断で拝借したのが出会いでした。で、小学生だから漢字は読めない、むつかしい物語になると意味がわからない、と苦労しつつ中学生くらいまでずっと読んでいました。今読み返すと、なんて耽美なのかとときめき打ち震えますな。これを気に入っていた子どもなら、そりゃ耽美主義にも育つと言うものです。
「蜘蛛の糸」
「犬と笛」
「蜜柑」
「魔術」
「杜子春」
「アグニの神」
「トロッコ」
「仙人」
「猿蟹合戦」
「白」
解説二本と年譜つき。
子どもの頃好きだったポイント。
・蓮池の描写
・髪長彦の与えられた大将の装い
・蜜柑の色
・喋る札の王
・杜子春の贅沢
・電燈の明かりがさした村
・猿蟹合戦の容赦のない結末と繰り返し
こう書き出してみると、我ながら恐ろしい気持ちになります。どんな趣味だ小学生。そしてその小学生とひとつも変わらない好みの現在。
特に好きだったのは「魔術」と「アグニの神」。時雨の険しい坂を上り下りして、ようやくたどり着く竹薮に囲まれた小さな洋館。上海の敷石に染みるような不思議な香の匂い。
うつくしい。
違う世界からの空気が漂ってくるようです。一行目から、目の前に違う世界が広がって、これからそこに踏み入るような気分にさせてくれる書き手は貴重です。
しかしこう読み返すと、軽快でいながら無駄も隙もない完璧な文章にため息が出ます。「魔術」の場面転換の手際にはもはや言葉もなし。
「白」はわかりやすくて繰り返し読んだものの、道徳的な面が前面に押し出されていたのであまり好きになれなかった昔と、感想がほとんど同じでした。成長がない。
「猿蟹合戦」は太宰のかちかち山と合わせて読むとよりいっそう楽しめると思います。ああひどい。
本棚導入の際に発掘されたので再読。
それはそれは活字に飢えていた子どもの頃、父親の本棚に入っていたのを無断で拝借したのが出会いでした。で、小学生だから漢字は読めない、むつかしい物語になると意味がわからない、と苦労しつつ中学生くらいまでずっと読んでいました。今読み返すと、なんて耽美なのかとときめき打ち震えますな。これを気に入っていた子どもなら、そりゃ耽美主義にも育つと言うものです。
「蜘蛛の糸」
「犬と笛」
「蜜柑」
「魔術」
「杜子春」
「アグニの神」
「トロッコ」
「仙人」
「猿蟹合戦」
「白」
解説二本と年譜つき。
子どもの頃好きだったポイント。
・蓮池の描写
・髪長彦の与えられた大将の装い
・蜜柑の色
・喋る札の王
・杜子春の贅沢
・電燈の明かりがさした村
・猿蟹合戦の容赦のない結末と繰り返し
こう書き出してみると、我ながら恐ろしい気持ちになります。どんな趣味だ小学生。そしてその小学生とひとつも変わらない好みの現在。
特に好きだったのは「魔術」と「アグニの神」。時雨の険しい坂を上り下りして、ようやくたどり着く竹薮に囲まれた小さな洋館。上海の敷石に染みるような不思議な香の匂い。
うつくしい。
違う世界からの空気が漂ってくるようです。一行目から、目の前に違う世界が広がって、これからそこに踏み入るような気分にさせてくれる書き手は貴重です。
しかしこう読み返すと、軽快でいながら無駄も隙もない完璧な文章にため息が出ます。「魔術」の場面転換の手際にはもはや言葉もなし。
「白」はわかりやすくて繰り返し読んだものの、道徳的な面が前面に押し出されていたのであまり好きになれなかった昔と、感想がほとんど同じでした。成長がない。
「猿蟹合戦」は太宰のかちかち山と合わせて読むとよりいっそう楽しめると思います。ああひどい。
『アダルト・チルドレンと家族』
2005年12月16日 未分類斎藤学、学陽書房。
発掘したの読む。「心の中の子どもを癒す」
この手の本に必ずサブタイトルがついている理由が知りたい。
さっきの『悪魔の〜』よりはずっと真面目でかたい内容の本。心の問題について論じている文章で「効率的に癒す」という表現は逆に新鮮でよかった。変にべたべたした語りのものよりずっといい。
共依存怖いよ共依存。最近冗談ではすまない怖さを感じます。
といってもやっぱり今の自分とはあまり関係のない話ばかりで、わたしが求める本は今回の発掘では発見されませんでした。
発掘したの読む。「心の中の子どもを癒す」
この手の本に必ずサブタイトルがついている理由が知りたい。
さっきの『悪魔の〜』よりはずっと真面目でかたい内容の本。心の問題について論じている文章で「効率的に癒す」という表現は逆に新鮮でよかった。変にべたべたした語りのものよりずっといい。
共依存怖いよ共依存。最近冗談ではすまない怖さを感じます。
といってもやっぱり今の自分とはあまり関係のない話ばかりで、わたしが求める本は今回の発掘では発見されませんでした。
『悪魔のわたしと天使の自分』
2005年12月16日 未分類金盛浦子、日本文芸社。
サブタイトルが「幸せになる自分探しのナビゲーター」。本棚を導入して片づけしていたら出てきました。内容はアダルトチルドレンが流行ったけどあれは結構大事なキーワードなのよ+サブタイトル通り。わたしにとってはさんざん既出の内容で、感想は一言で「だからどうしたそれで解決したら苦労はしない現実の悩みはエンドレスリピート」終わり。
中島らも『今夜、すべてのバーで』の主人公が、アル中の文献を読み漁った「アル中について博識な」アル中で、文献を漁っておそろしい体験談をいくつも読み、男性として文化的耐性をつけてそれでもなおアル中になった、と語っていたことを思い出しました。
心理学・病気の文献を読み漁り、知識を溜め込み、医者がうっかり洩らした専門用語に普通に相槌を打ち、自分を分析しつくして、それでもやっぱりメンヘラー。
エンドレスリピートでまわりつくすと何も言うことがなくなるので、沈黙が増えました。
サブタイトルが「幸せになる自分探しのナビゲーター」。本棚を導入して片づけしていたら出てきました。内容はアダルトチルドレンが流行ったけどあれは結構大事なキーワードなのよ+サブタイトル通り。わたしにとってはさんざん既出の内容で、感想は一言で「だからどうしたそれで解決したら苦労はしない現実の悩みはエンドレスリピート」終わり。
中島らも『今夜、すべてのバーで』の主人公が、アル中の文献を読み漁った「アル中について博識な」アル中で、文献を漁っておそろしい体験談をいくつも読み、男性として文化的耐性をつけてそれでもなおアル中になった、と語っていたことを思い出しました。
心理学・病気の文献を読み漁り、知識を溜め込み、医者がうっかり洩らした専門用語に普通に相槌を打ち、自分を分析しつくして、それでもやっぱりメンヘラー。
エンドレスリピートでまわりつくすと何も言うことがなくなるので、沈黙が増えました。
平野耕太の『進め!!聖学電脳研究部』を買いました。
ネタが濃いのはわかるんですが、濃すぎてわけわかりません。
相変わらずとち狂っていてサイコー(信者)。
ネタが濃いのはわかるんですが、濃すぎてわけわかりません。
相変わらずとち狂っていてサイコー(信者)。
コンビニで漫画を買う
2005年12月3日 未分類『BLEACH』の新刊をコンビニでゲットー。もう20巻なのか。
ルキアかわいいよルキア。
あと狛村も。
崩玉が萌玉に見えた上に、トラペゾヘドロンかと思った。
ルキアかわいいよルキア。
あと狛村も。
崩玉が萌玉に見えた上に、トラペゾヘドロンかと思った。
高村薫、新潮社。
出版社 / 著者からの内容紹介
保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。
上巻読了しました。今のところ、代議士の父親と禅家の息子が、雪の降り積もる北の寺でひたすら向かい合って昔語りをするだけの話。『晴子情歌』のときも悩みましたが、こんなむやみな本、いったいどう感想を書いたらいいのか見当もつきません。なにしろわたしは現代と政治経済と生きている人間の名前と事実の羅列にまったくロマンを感じられないたちで、ひたすらにそういったものを回避した結果として典型的な「政治に無関心な若者」になってしまった人間です。父親の代議士としての語りには、まるで政治家から政治家の人生を丸々口移しで聞いてきたようなリアルを感じても、それ以前にわたしは政治家のリアルなど想像もつかないのでした。息子の出家としての話も同じです。しょうがないのでひたすら登場人物たちの、ぶあつさを楽しみました(『晴子情歌』は結局、晴子さんの語る少女期からの人生のいきいきとした姿だけを楽しんだので、今回も同じ読みかたをしている進歩のなさ)。
小和田和尚を看取る上巻ラスト付近から加速してきました。いつものようにジェットコースターな内容の下巻が待っていると思うととても楽しみです。
家にある『小説吉田学校』や『大宰相』は読んだほうがいいのかしらん。
出版社 / 著者からの内容紹介
保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。
上巻読了しました。今のところ、代議士の父親と禅家の息子が、雪の降り積もる北の寺でひたすら向かい合って昔語りをするだけの話。『晴子情歌』のときも悩みましたが、こんなむやみな本、いったいどう感想を書いたらいいのか見当もつきません。なにしろわたしは現代と政治経済と生きている人間の名前と事実の羅列にまったくロマンを感じられないたちで、ひたすらにそういったものを回避した結果として典型的な「政治に無関心な若者」になってしまった人間です。父親の代議士としての語りには、まるで政治家から政治家の人生を丸々口移しで聞いてきたようなリアルを感じても、それ以前にわたしは政治家のリアルなど想像もつかないのでした。息子の出家としての話も同じです。しょうがないのでひたすら登場人物たちの、ぶあつさを楽しみました(『晴子情歌』は結局、晴子さんの語る少女期からの人生のいきいきとした姿だけを楽しんだので、今回も同じ読みかたをしている進歩のなさ)。
小和田和尚を看取る上巻ラスト付近から加速してきました。いつものようにジェットコースターな内容の下巻が待っていると思うととても楽しみです。
家にある『小説吉田学校』や『大宰相』は読んだほうがいいのかしらん。
『フーコーの振り子』(上)
2005年11月23日 未分類ウンベルト・エーコ、藤村昌昭訳、文春文庫。
まずは上巻を読み終わりました。わけわかりません。ぱっと開いて、見開きページの中で見たことも聞いたこともない単語が3割、見たり聞いたりしたことはあるけれどなんのことかよくわからない単語が6割、きちんと知っている単語が1割。そしてその1割の中で、作者が捏造した面白ストーリーや元ネタありのパロディやらを「完全にわかって」読めるのなんて更に1割を切っていそうな恐怖。以前に牧野修の『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』で「演歌の黙示録」を読んだときも相当幻惑されましたが、それをあっさり超えてしまっていて、これは壮大な空中楼閣なのかそれとも全て確かにこの世に存在することなのか、境界を見極めるどころか、焦点を合わせると消えてしまう視界の端でしかとらえられない蜃気楼とにらめっこしている気分です。
ほんっとうに読めたところだけ粗筋。
主人公はフーコーの振り子のある国立工芸院の中に、閉館後まで隠れ潜んで何かを待っている。そして何故そんなことになったのか回想をはじめる。出版社の仲間の一人が、テンプル騎士団に関する本を出版する話を進めているうちに、命を狙われていると言い残して失踪した。全てはオカルトマニアの虚言でできていると信じていた計画や団体の話が急に真実味を帯びてくる。私は、私たちは、愉快な遊びの気分のまま、触れてはいけない真実に触れてしまったのだろうか?ともかくも、私は12時過ぎに現れる相手を待っている。
この回想がほぼ上巻すべて。殺人事件のようなことも起きれば、行方不明者もいる、あちらこちらに姿を見せるテンプル騎士団に関係あるらしい謎の人物や、またテンプル騎士団!と思わせるようなできごと。本を出版しようという企画が、何故か転がって回って拉致監禁暗殺の危機にまで及んでしまう。そこに至るまでのいきさつは、もつれにもつれ、当事者にすら理解できない。出版社にそれっぽい話を持ち込んでくる人間はみんな、ありもしないことを信じているオカルトマニアの電波ばっかりだったはずなのに……!
ウンベルト・エーコがものすごく電波(を受信しているとしか思えない誇大妄想狂)を描くのが上手くて意表を突かれました。作者の肩書きのせいか、こんなに電波を素敵に書くなんて思いもよりませんでした。またその電波をごく簡潔に的確にあらわす表現の巧みさも素敵。「他人の主張を自分の主張の根拠にしているような連中」のような。今具体的に引用しようとして本を開き、どのページだったか探すのを断念しました。何せ上巻本文が約550ページほどという分厚さです。かろうじて二段組ではないのですが、改行による空白がほとんどない驚異のみっしり具合には溜息が出ます。
翻訳が非常にこなれていて読みやすいのですが、こなれていて読みやすい以上に信用ならない気配があって心配です。イタリアの人間が会話しているのに「恐れ入谷の鬼子母神」はないでしょう……。
この類の、こなれていると好意的に解釈できないような、砕きすぎて思わずけつまずいてしまうような訳がちょこちょこあります。今のところストーリーの進行にはさして影響はありませんでしたが、感想を書くために色々検索したら「数値間違っている」という突込みまであって気になって仕方ありません。しかし日本語以外でこれを読もうとしたら、一生の大仕事になりそうなので大人しくあきらめます。
まずは上巻を読み終わりました。わけわかりません。ぱっと開いて、見開きページの中で見たことも聞いたこともない単語が3割、見たり聞いたりしたことはあるけれどなんのことかよくわからない単語が6割、きちんと知っている単語が1割。そしてその1割の中で、作者が捏造した面白ストーリーや元ネタありのパロディやらを「完全にわかって」読めるのなんて更に1割を切っていそうな恐怖。以前に牧野修の『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』で「演歌の黙示録」を読んだときも相当幻惑されましたが、それをあっさり超えてしまっていて、これは壮大な空中楼閣なのかそれとも全て確かにこの世に存在することなのか、境界を見極めるどころか、焦点を合わせると消えてしまう視界の端でしかとらえられない蜃気楼とにらめっこしている気分です。
ほんっとうに読めたところだけ粗筋。
主人公はフーコーの振り子のある国立工芸院の中に、閉館後まで隠れ潜んで何かを待っている。そして何故そんなことになったのか回想をはじめる。出版社の仲間の一人が、テンプル騎士団に関する本を出版する話を進めているうちに、命を狙われていると言い残して失踪した。全てはオカルトマニアの虚言でできていると信じていた計画や団体の話が急に真実味を帯びてくる。私は、私たちは、愉快な遊びの気分のまま、触れてはいけない真実に触れてしまったのだろうか?ともかくも、私は12時過ぎに現れる相手を待っている。
この回想がほぼ上巻すべて。殺人事件のようなことも起きれば、行方不明者もいる、あちらこちらに姿を見せるテンプル騎士団に関係あるらしい謎の人物や、またテンプル騎士団!と思わせるようなできごと。本を出版しようという企画が、何故か転がって回って拉致監禁暗殺の危機にまで及んでしまう。そこに至るまでのいきさつは、もつれにもつれ、当事者にすら理解できない。出版社にそれっぽい話を持ち込んでくる人間はみんな、ありもしないことを信じているオカルトマニアの電波ばっかりだったはずなのに……!
ウンベルト・エーコがものすごく電波(を受信しているとしか思えない誇大妄想狂)を描くのが上手くて意表を突かれました。作者の肩書きのせいか、こんなに電波を素敵に書くなんて思いもよりませんでした。またその電波をごく簡潔に的確にあらわす表現の巧みさも素敵。「他人の主張を自分の主張の根拠にしているような連中」のような。今具体的に引用しようとして本を開き、どのページだったか探すのを断念しました。何せ上巻本文が約550ページほどという分厚さです。かろうじて二段組ではないのですが、改行による空白がほとんどない驚異のみっしり具合には溜息が出ます。
翻訳が非常にこなれていて読みやすいのですが、こなれていて読みやすい以上に信用ならない気配があって心配です。イタリアの人間が会話しているのに「恐れ入谷の鬼子母神」はないでしょう……。
この類の、こなれていると好意的に解釈できないような、砕きすぎて思わずけつまずいてしまうような訳がちょこちょこあります。今のところストーリーの進行にはさして影響はありませんでしたが、感想を書くために色々検索したら「数値間違っている」という突込みまであって気になって仕方ありません。しかし日本語以外でこれを読もうとしたら、一生の大仕事になりそうなので大人しくあきらめます。
山尾悠子、国書刊行会。「人形と冬眠者と聖フランチェスコの物語」。
これはどう感想を書いたものか、とても悩みます。完璧に美しい。しかしさっぱりわからない。粗筋を抜き出したところで意味はないし、各パートの関連性は他の関連性をお互いに否定しあうような気配さえある。帯の「人形と〜」という説明はこれ以上なく簡素に正しいけれど、何一ついいあらわしてはいない。
「銅版」
「閑日」
「竈の秋」
「トビアス」
「青金石」
の五つの章から成り立つ連作小説。箱入りで布張り、ハトロン紙のカバーがついて、帯まで美しい装丁。
「わたし」は駅で列車を待つ間に、深夜営業の画廊に入る。画廊には古色蒼然たる銅版画が飾ってあり、画商が言うには小説の挿絵で画題を<人形狂いの奥方への使い><冬寝室><使用人の氾濫>という。
そういえば、以前にも似たような光景を目にしたことがある。そのときは「わたし」はまだ小さく、母に手を引かれてやはり列車待ちの時間潰しに画廊へ入ったのだった。その時見た絵のタイトルは<痘瘡神><冬の花火><幼いラウダーテと姉>だった。
霜月の第四週からはじまり、春先まで続く冬眠のさなかに、ふと目覚めてしまった冬眠者の少女は、冬眠の間締め切られる塔の棟の中から、窓の外を彷徨うゴーストを見つけ声を掛ける。冬眠しない使用人たちに助けを求めるが応じてもらえず、眠ることもできない少女は凍死を免れるため、塔の棟の窓からゴーストの導きを頼りに飛び降りる。
「閑日」と「竈の秋」で、冬になると冬眠してしまう冬眠者の物語を、「銅版」と「トビアス」で冬眠者の物語の小説についている挿絵と「わたし」の物語を、「青金石」では聖フランチェスコの元を訪れた冬眠者の青年が語る春の光景を描いています。
冬眠者の住む館を舞台にしたエピソードと、「青金石」はつながっている。「わたし」が語る絵のエピソードと、冬眠者の物語はつながっている。しかし「トビアス」で突然、「わたし」はにんげんが少なくなってガソリンの備蓄も尽きようとしている日本の片田舎で生まれ育ったと、冬眠者の館があったのとはかけ離れた世界の話をはじめる。そこから更に一転して「青金石」では西暦1226年の春、聖フランチェスコの物語に。
どう縺れてどう絡んでいるのか、どうほぐせばいいのか見当もつかない複雑なエピソードの関連は、一度読んだ程度では整理のしようがありません。最初は、「わたし」のエピソードに枠取られた冬眠者の物語、そこにまったく独立した聖フランチェスコの物語がついているという形に見えたのですが、感想を書くために整理しようとしたら、逆に絡んで渾然一体となってしまい、もはやわけがわかりません。
この辺りが参考になるかもしれません、『ラピスラズリ』刊行山尾悠子インタビュー。
http://www.kokusho.co.jp/yamaointv.htm
読む前にはレビューサイトで「したたるような美文」と言われていたので、てっきり牧野修のような腐敗寸前までただれた美文を想像していたのですが、物語の季節がもっぱら冬であるためか、予想とはまったく違った硬質で端整な文章ででありました。いやしかし完璧に美しいことは間違いありません。登場人物にも小道具にも舞台にも、作者の偏重がうかがわれないのが良かった。特定の傾向に執着するのは、それはそれでうつくしいのですが、この突き放したようなバランスの良さはたいそう心地よいです。
次は恐怖の『作品集成』8800円+税ですよ……。いつになることやら。
これはどう感想を書いたものか、とても悩みます。完璧に美しい。しかしさっぱりわからない。粗筋を抜き出したところで意味はないし、各パートの関連性は他の関連性をお互いに否定しあうような気配さえある。帯の「人形と〜」という説明はこれ以上なく簡素に正しいけれど、何一ついいあらわしてはいない。
「銅版」
「閑日」
「竈の秋」
「トビアス」
「青金石」
の五つの章から成り立つ連作小説。箱入りで布張り、ハトロン紙のカバーがついて、帯まで美しい装丁。
「わたし」は駅で列車を待つ間に、深夜営業の画廊に入る。画廊には古色蒼然たる銅版画が飾ってあり、画商が言うには小説の挿絵で画題を<人形狂いの奥方への使い><冬寝室><使用人の氾濫>という。
そういえば、以前にも似たような光景を目にしたことがある。そのときは「わたし」はまだ小さく、母に手を引かれてやはり列車待ちの時間潰しに画廊へ入ったのだった。その時見た絵のタイトルは<痘瘡神><冬の花火><幼いラウダーテと姉>だった。
霜月の第四週からはじまり、春先まで続く冬眠のさなかに、ふと目覚めてしまった冬眠者の少女は、冬眠の間締め切られる塔の棟の中から、窓の外を彷徨うゴーストを見つけ声を掛ける。冬眠しない使用人たちに助けを求めるが応じてもらえず、眠ることもできない少女は凍死を免れるため、塔の棟の窓からゴーストの導きを頼りに飛び降りる。
「閑日」と「竈の秋」で、冬になると冬眠してしまう冬眠者の物語を、「銅版」と「トビアス」で冬眠者の物語の小説についている挿絵と「わたし」の物語を、「青金石」では聖フランチェスコの元を訪れた冬眠者の青年が語る春の光景を描いています。
冬眠者の住む館を舞台にしたエピソードと、「青金石」はつながっている。「わたし」が語る絵のエピソードと、冬眠者の物語はつながっている。しかし「トビアス」で突然、「わたし」はにんげんが少なくなってガソリンの備蓄も尽きようとしている日本の片田舎で生まれ育ったと、冬眠者の館があったのとはかけ離れた世界の話をはじめる。そこから更に一転して「青金石」では西暦1226年の春、聖フランチェスコの物語に。
どう縺れてどう絡んでいるのか、どうほぐせばいいのか見当もつかない複雑なエピソードの関連は、一度読んだ程度では整理のしようがありません。最初は、「わたし」のエピソードに枠取られた冬眠者の物語、そこにまったく独立した聖フランチェスコの物語がついているという形に見えたのですが、感想を書くために整理しようとしたら、逆に絡んで渾然一体となってしまい、もはやわけがわかりません。
この辺りが参考になるかもしれません、『ラピスラズリ』刊行山尾悠子インタビュー。
http://www.kokusho.co.jp/yamaointv.htm
読む前にはレビューサイトで「したたるような美文」と言われていたので、てっきり牧野修のような腐敗寸前までただれた美文を想像していたのですが、物語の季節がもっぱら冬であるためか、予想とはまったく違った硬質で端整な文章ででありました。いやしかし完璧に美しいことは間違いありません。登場人物にも小道具にも舞台にも、作者の偏重がうかがわれないのが良かった。特定の傾向に執着するのは、それはそれでうつくしいのですが、この突き放したようなバランスの良さはたいそう心地よいです。
次は恐怖の『作品集成』8800円+税ですよ……。いつになることやら。
ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫。
一家でルーレット(賭博場)のある温泉地にやってきたロシアの将軍。その家で家庭教師をしている青年が、賭博にのめり込んで人生の一切を博打につぎ込む話。
薄いのでさっくり読めました。昔ならポリーナと主人公の関係に喜びときめいたところですが、今はぼんやりと「恋に狂うってこういうことなのだなあ」と思ったのみです。残念。
「おばあさま」が財産をルーレットでそっくりはたくくだりや、主人公がルーレットで思い切った賭け方をしてそれが突然おそろしくなってしまうくだりなんかは、まったくリアルでした。博打は掛け金をかけてから結果が出るまでの間に、突然いいようもなく怖くなって逃げ出したくなるのに、いい結果が出るとその最中のおそれも怯えも一切消えてしまい、また次の勝負に出たくなる。負ければ負けたで悔しく、他人にそれを悟られるのも嫌で、儲けが消えただけでも身銭を切っていてもやはり負けた悔しさでやせ我慢をしながら次の勝負に出る。そのうちに見栄を張ることも忘れて熱狂してしまう。
世の中には勝っても負けてもテンションがあがる一方の人がいるようで、こういう人は博打にのめりこんだら生半可なことではやめられないのだろうなあと思います。そして負けても大丈夫なように、できるだけ儲けが残るようにと安全な勝負をしたがる人間はギャンブルでは勝てないのでした。
ちょっと身に沁みている。
ポリーナが主人公の部屋へやってきたとき、それがどいういうことなのか、ポリーナの決意がどれほどのものであるのか気付かずに、「一時間だけ待っていてください」って置き去りにした挙句、お金の話をはじめてしまった主人公。それはポリーナ怒るよ、怒るに決まってるよ。ここでルーレットに勝ってしまった、それも大勝ちしてしまったせいで人生を棒に振ることになり、そのまま博打の虜になってしまったその後の主人公を見ると、まさしく「博打に勝って人生に負けた」という感じ。
マドモアゼル・ブランシュの、最初はひたすらお金を持っている男目当ての態度は鼻につくばかりだったのですが、主人公がルーレットで大勝ちしてポリーナに捨てられてからが素晴らしく素敵でした。昨日まで視界の端に入れようとすらしなかった主人公に向かって、突然「一緒にパリに連れて行ってあげる」と言い出し、ストッキングをはかせろとベッドの中から脚を、美しい脚を突き出す。主人公が博打で勝った金を、二ヶ月と持たずに使い果たし、そして主人公をあっさりと捨てる。お金に汲々として振り回される登場人物が多い中で、ものの見事にお金を使い捨てにして惜しまない態度が潔い。主人公にお金が入った途端に豹変するところも、豹変して受け入れられるのが当然と思っているところも、前半のただ「将軍夫人」になりたいだけにしか見えないときよりはるかに魅力的でした。
一家でルーレット(賭博場)のある温泉地にやってきたロシアの将軍。その家で家庭教師をしている青年が、賭博にのめり込んで人生の一切を博打につぎ込む話。
薄いのでさっくり読めました。昔ならポリーナと主人公の関係に喜びときめいたところですが、今はぼんやりと「恋に狂うってこういうことなのだなあ」と思ったのみです。残念。
「おばあさま」が財産をルーレットでそっくりはたくくだりや、主人公がルーレットで思い切った賭け方をしてそれが突然おそろしくなってしまうくだりなんかは、まったくリアルでした。博打は掛け金をかけてから結果が出るまでの間に、突然いいようもなく怖くなって逃げ出したくなるのに、いい結果が出るとその最中のおそれも怯えも一切消えてしまい、また次の勝負に出たくなる。負ければ負けたで悔しく、他人にそれを悟られるのも嫌で、儲けが消えただけでも身銭を切っていてもやはり負けた悔しさでやせ我慢をしながら次の勝負に出る。そのうちに見栄を張ることも忘れて熱狂してしまう。
世の中には勝っても負けてもテンションがあがる一方の人がいるようで、こういう人は博打にのめりこんだら生半可なことではやめられないのだろうなあと思います。そして負けても大丈夫なように、できるだけ儲けが残るようにと安全な勝負をしたがる人間はギャンブルでは勝てないのでした。
ちょっと身に沁みている。
ポリーナが主人公の部屋へやってきたとき、それがどいういうことなのか、ポリーナの決意がどれほどのものであるのか気付かずに、「一時間だけ待っていてください」って置き去りにした挙句、お金の話をはじめてしまった主人公。それはポリーナ怒るよ、怒るに決まってるよ。ここでルーレットに勝ってしまった、それも大勝ちしてしまったせいで人生を棒に振ることになり、そのまま博打の虜になってしまったその後の主人公を見ると、まさしく「博打に勝って人生に負けた」という感じ。
マドモアゼル・ブランシュの、最初はひたすらお金を持っている男目当ての態度は鼻につくばかりだったのですが、主人公がルーレットで大勝ちしてポリーナに捨てられてからが素晴らしく素敵でした。昨日まで視界の端に入れようとすらしなかった主人公に向かって、突然「一緒にパリに連れて行ってあげる」と言い出し、ストッキングをはかせろとベッドの中から脚を、美しい脚を突き出す。主人公が博打で勝った金を、二ヶ月と持たずに使い果たし、そして主人公をあっさりと捨てる。お金に汲々として振り回される登場人物が多い中で、ものの見事にお金を使い捨てにして惜しまない態度が潔い。主人公にお金が入った途端に豹変するところも、豹変して受け入れられるのが当然と思っているところも、前半のただ「将軍夫人」になりたいだけにしか見えないときよりはるかに魅力的でした。
やっときたー(購入日記)
2005年11月18日 未分類『ラピスラズリ』山尾悠子、国書刊行会。ついに買いました。三千円近くするので、高いなあと思っていたのですが、箱入りハードカバーで実に凝った装丁、国書刊行会ということで納得のお値段。ハトロン紙がカバーとしてかかっていたのですが、しわしわで悲しいのでアイロンかけようと思います。
挟み込みのチラシを見ていたら、『珍説愚説辞典』というたいそう面白そうな本が紹介されていました。4500円+税。高い。くそうさすがだぜ国書刊行会!
そして「妖怪の本」として紹介されている好評既刊と新刊、ずらっと並んで3400円6800円4000円4000円7600円。高い。そして多田克己京極夏彦分高め。
ネットで本を探していたら、『ファウスト』がついに分冊になるとか、『作家養成講座 官能小説編』という素敵な本があるのだとか、色々面白いことを知りました。
それにつけても金の欲しさよー
挟み込みのチラシを見ていたら、『珍説愚説辞典』というたいそう面白そうな本が紹介されていました。4500円+税。高い。くそうさすがだぜ国書刊行会!
そして「妖怪の本」として紹介されている好評既刊と新刊、ずらっと並んで3400円6800円4000円4000円7600円。高い。そして多田克己京極夏彦分高め。
ネットで本を探していたら、『ファウスト』がついに分冊になるとか、『作家養成講座 官能小説編』という素敵な本があるのだとか、色々面白いことを知りました。
それにつけても金の欲しさよー
サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫。
初めて読んだのがいつなのかは覚えていないのですが、絵本のような体裁の、横書きハードカバーだったように思います。図書館から借りてきたのは間違いない。そのときは「君はバラに責任がある」という台詞の、一種武骨な感じさえただよわせた直截な言い方が印象に残ったのでした。キツネが王子さまに向かって言った「飼い慣らす」も、およそ友だちになるとは程遠い、支配-服従の・隷属の関係を言い表すのに使うような言葉を「自分たちはまだ友だちではないから」という意味で使うとはなんとおそろしいセンスだ、と仰天したのでよく覚えています。
で、正直に申告すると、「池澤夏樹の新訳でよみがえる星の王子さまの世界」という帯がついているのですが、池澤夏樹を一冊も読んだことのないエセ読書家としてはいったい何が新しいのかさっぱりでした。池澤夏樹訳とそれ以外を読み比べろということなのかしらん。
バラは相変わらず素敵な女性だけれど、わたしの記憶の中では、準備して準備してようやく日の出の時間に咲いたとき、完璧に咲き出でながら「目が覚めていなくって、ひどい姿でしょう?」となおその姿が完璧でない振りをする、虚栄心と切って捨てることができないほどの見栄と意地を張っていたのが、この訳では「彼女は準備にとても手間をかけて疲れたのか、あくびをしながら言った――」になっていて、ちょっと残念でした。はじめて読んだ訳が誰の訳なのか、どうしてメモとって置かなかったのでしょう。反省。
酒飲みの「恥ずかしいんだ、酒を飲むことが」という告白がだいぶ身につまされました。恥ずかしいんだ、恥ずかしいと恥ずかしがることそれ自体が。忘れたいけど酒と違って恥ずかしがっても恥ずかしいことは忘れられないぜべいべー。
「でも、はかない、ってどういう意味?」
「それは、すぐにも失われるかもしれない、という意味だよ」
キツネは素敵だ。ほんとうに素敵だ。秘密を教えるためだけに、飼い慣らされて飼い慣らし、王子さまにその口から、
「きみの悲しみが消えたとき(悲しみはいつかは消えるからね)、きみはぼくと会ったことがあるというだけで満足するはずだ」
と言わしめるキツネ。なんてひどいやつなんだブラボー。すばらしい。ひどいこと、はとてもわたしの心を打つ。
この本を読み終えて思うのは、ひとつひとつのエピソードに作者が何を伝えたかったのか読み取ろうとするより、エピソードが自分にとってどういう意味に思えるか、自分がどういう風にとらえるかの方が大事で、難解でわかりにくい物語から無理に教訓的な意味を読み取ろうとするよりも、相対するたびに自分が変わっていることを感じることができる道しるべみたいなものだと思えばいいんじゃないかしらということです。
かんじんなことは目に見えない、つまり「考えるんじゃない、感じるんだ!」
どうしようもないオチですね。
初めて読んだのがいつなのかは覚えていないのですが、絵本のような体裁の、横書きハードカバーだったように思います。図書館から借りてきたのは間違いない。そのときは「君はバラに責任がある」という台詞の、一種武骨な感じさえただよわせた直截な言い方が印象に残ったのでした。キツネが王子さまに向かって言った「飼い慣らす」も、およそ友だちになるとは程遠い、支配-服従の・隷属の関係を言い表すのに使うような言葉を「自分たちはまだ友だちではないから」という意味で使うとはなんとおそろしいセンスだ、と仰天したのでよく覚えています。
で、正直に申告すると、「池澤夏樹の新訳でよみがえる星の王子さまの世界」という帯がついているのですが、池澤夏樹を一冊も読んだことのないエセ読書家としてはいったい何が新しいのかさっぱりでした。池澤夏樹訳とそれ以外を読み比べろということなのかしらん。
バラは相変わらず素敵な女性だけれど、わたしの記憶の中では、準備して準備してようやく日の出の時間に咲いたとき、完璧に咲き出でながら「目が覚めていなくって、ひどい姿でしょう?」となおその姿が完璧でない振りをする、虚栄心と切って捨てることができないほどの見栄と意地を張っていたのが、この訳では「彼女は準備にとても手間をかけて疲れたのか、あくびをしながら言った――」になっていて、ちょっと残念でした。はじめて読んだ訳が誰の訳なのか、どうしてメモとって置かなかったのでしょう。反省。
酒飲みの「恥ずかしいんだ、酒を飲むことが」という告白がだいぶ身につまされました。恥ずかしいんだ、恥ずかしいと恥ずかしがることそれ自体が。忘れたいけど酒と違って恥ずかしがっても恥ずかしいことは忘れられないぜべいべー。
「でも、はかない、ってどういう意味?」
「それは、すぐにも失われるかもしれない、という意味だよ」
キツネは素敵だ。ほんとうに素敵だ。秘密を教えるためだけに、飼い慣らされて飼い慣らし、王子さまにその口から、
「きみの悲しみが消えたとき(悲しみはいつかは消えるからね)、きみはぼくと会ったことがあるというだけで満足するはずだ」
と言わしめるキツネ。なんてひどいやつなんだブラボー。すばらしい。ひどいこと、はとてもわたしの心を打つ。
この本を読み終えて思うのは、ひとつひとつのエピソードに作者が何を伝えたかったのか読み取ろうとするより、エピソードが自分にとってどういう意味に思えるか、自分がどういう風にとらえるかの方が大事で、難解でわかりにくい物語から無理に教訓的な意味を読み取ろうとするよりも、相対するたびに自分が変わっていることを感じることができる道しるべみたいなものだと思えばいいんじゃないかしらということです。
かんじんなことは目に見えない、つまり「考えるんじゃない、感じるんだ!」
どうしようもないオチですね。
気分が宜しくないので本を買ってきました。
『星の王子さま』サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫。
『賭博者』ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫。
『マイブック』新潮文庫。2006年の記録をつけるため自分の本。
三島の『春の雪』が映画化ということで平積みになっていましたが、どうせなら豊饒の海ぜんぶ平積みにしておいてくれればいいのになー。
『星の王子さま』サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫。
『賭博者』ドストエフスキー、原卓也訳、新潮文庫。
『マイブック』新潮文庫。2006年の記録をつけるため自分の本。
三島の『春の雪』が映画化ということで平積みになっていましたが、どうせなら豊饒の海ぜんぶ平積みにしておいてくれればいいのになー。
長野まゆみ、河出文庫。「天球儀文庫」というシリーズ名で刊行された初期作品4冊をまとめたもの。秋の新学期から翌年の夏期休暇まで、アビと宵里二人の少年が過ごした日々を描く。
「月の輪船」
「夜のプロキオン」
「銀星ロケット」
「ドロップ水塔」
4編を収録。
初期作品ですから、それはもうどこの国ともつかない洋風の街を舞台に、気の利いた文房具や季節ごとのお菓子、ちょっとした冒険や不思議なできごととの遭遇が楽しげに乱れ飛んでいます。
色や植物をあらわすのに選ばれた名詞は、もはや現実の事物からはほとんど乖離して、言葉から連想されたイメージが先に立つようです。長野まゆみが描く少年は、単に年齢が十代の人間・男ではなく「少年」という別様の生き物であるわけですが、作中に現れるさまざまな名詞もわたしにとってはカギでくくった物語中の存在、現実のそれとはもはや結びつかない想像上の存在なのです。
あとがきで「昔洋風、今和風で〜」と作風の変化について作者自らその理由を述べています。わたしは和風でも洋風でもあの美しさが損なわれない限りは一向に平気なのですが、問題はそこじゃない気がするのです……。うん、絶対そこではない。
そしていつも思うのですが、後書きでの作者はおそろしいほど大上段なものいいをしますね。確かに、毎回必ずわたしの知らないうつくしいものについて言及していて、そこはいつもひれ伏して尊敬しますけど、最近ちょっとげんなりさせられることが多いような。
そしてものすごくびっくりしたのがこれ、本当に河出文庫なのですか!どこからどう見ても講談社文庫です。慌てて手元にある講談社文庫を引っ張り出してきて比較してしまいました。以前の白地に紺色、マットな質感の紙を使用したデザインが独特で好きだったんですが……時代は変わる。
「月の輪船」
「夜のプロキオン」
「銀星ロケット」
「ドロップ水塔」
4編を収録。
初期作品ですから、それはもうどこの国ともつかない洋風の街を舞台に、気の利いた文房具や季節ごとのお菓子、ちょっとした冒険や不思議なできごととの遭遇が楽しげに乱れ飛んでいます。
色や植物をあらわすのに選ばれた名詞は、もはや現実の事物からはほとんど乖離して、言葉から連想されたイメージが先に立つようです。長野まゆみが描く少年は、単に年齢が十代の人間・男ではなく「少年」という別様の生き物であるわけですが、作中に現れるさまざまな名詞もわたしにとってはカギでくくった物語中の存在、現実のそれとはもはや結びつかない想像上の存在なのです。
あとがきで「昔洋風、今和風で〜」と作風の変化について作者自らその理由を述べています。わたしは和風でも洋風でもあの美しさが損なわれない限りは一向に平気なのですが、問題はそこじゃない気がするのです……。うん、絶対そこではない。
そしていつも思うのですが、後書きでの作者はおそろしいほど大上段なものいいをしますね。確かに、毎回必ずわたしの知らないうつくしいものについて言及していて、そこはいつもひれ伏して尊敬しますけど、最近ちょっとげんなりさせられることが多いような。
そしてものすごくびっくりしたのがこれ、本当に河出文庫なのですか!どこからどう見ても講談社文庫です。慌てて手元にある講談社文庫を引っ張り出してきて比較してしまいました。以前の白地に紺色、マットな質感の紙を使用したデザインが独特で好きだったんですが……時代は変わる。
『黒龍の柩』(下巻)
2005年10月26日 未分類北方謙三、幻冬舎文庫。
上巻がいきなり池田屋の真っ最中からはじまって、一番盛り上がって衰退するところからはじめていいのと驚きましたが、甘かった。主眼は伏見鳥羽以降、大政奉還・徳川慶喜京退去のあとからでした。
下巻は鳥羽伏見の戦いに敗れた新選組が江戸に戻ったところから、転戦を繰り返し、函館五稜郭で「土方歳三」が死亡するまでを斬新な解釈でもって描いています。
どれくらい斬新かというと、甲州から蝦夷地を目指して転戦する土方歳三の目標を「蝦夷地新国家樹立のための慶喜移送作戦」として、西郷隆盛の手の者と暗闘を繰り返しながら北上する脱出劇が展開されています。蝦夷地についても必要とあらば江戸まで戻ったりとまさしく縦横無尽。
「本書の執筆にあたって北方はありふれた史実や常識を繰り返すことなく、その間隙を縫って独自の解釈・視座を打ち出したのである」(解説より)
もしかしたら全部とは言わないけれど、一部こんなことが本当にあったのかもしれないと思わせる展開で、ときどき我に返ってしまった自分が大変興醒めでした。我に返らず最後まで読めばどんなに楽しかったかと、途中で我に返ったことが大変悔しい。考えるんじゃない、感じるんだ!
近藤謎の投降も納得がいく決着がついていましたし、榎本の優柔不断ぶりや大鳥圭介の拙劣さも非常によかった。まさかの島田出ずっぱりには、ついには愛着がわいてきました。狷介な大石の壊れてゆく姿もきちんと書かれるとは思っていませんでした。
下巻で一番重要な位置を占めていた西郷は、ものすごく嫌な感じの化け物として扱われていて、背が高くて細身で陰険悪辣な西郷隆盛像がとても新鮮でした。多かれ少なかれ、いい人として扱われていることが多かった西郷がこれか!とこれもまた斬新で感じ入る。作中でその力を散々に振るいながら、ついに一度もはっきりと顔を見せることがなかったそのありようが、登場人物たちに対してだけでなく、読者に対しても貫かれているのがまた良かった。
主人公の土方歳三は、不撓不屈で実戦指揮なら常勝不敗、剣の腕も立つ、非常に有能で冷徹で熱血な人物で、割とよく見る造形なのですが、蝦夷地に新国家を樹立する夢に賭けているという一点で、全てが何もかも新しい。どんなに戦況が悪化しようと、決して投げない不屈さにむやみに憧れる。
「俺は、侍ではないのだな。ぱっと散ることが性に合わん」
何故に昔自分が、この新選組副長に熱烈に憧れたのかわかった気がしました。
ところで帯なのですが、「こんなにロマンティックな幕末小説があったのか!」という煽り文句も書いてあります。
北方謙三ってハードボイルドなのにロマンティックというおそろしい両立をこなしていますよね。そして北方を「ロマンティック止まらない」と思っている人間が自分だけでないことに安心しました。
上巻がいきなり池田屋の真っ最中からはじまって、一番盛り上がって衰退するところからはじめていいのと驚きましたが、甘かった。主眼は伏見鳥羽以降、大政奉還・徳川慶喜京退去のあとからでした。
下巻は鳥羽伏見の戦いに敗れた新選組が江戸に戻ったところから、転戦を繰り返し、函館五稜郭で「土方歳三」が死亡するまでを斬新な解釈でもって描いています。
どれくらい斬新かというと、甲州から蝦夷地を目指して転戦する土方歳三の目標を「蝦夷地新国家樹立のための慶喜移送作戦」として、西郷隆盛の手の者と暗闘を繰り返しながら北上する脱出劇が展開されています。蝦夷地についても必要とあらば江戸まで戻ったりとまさしく縦横無尽。
「本書の執筆にあたって北方はありふれた史実や常識を繰り返すことなく、その間隙を縫って独自の解釈・視座を打ち出したのである」(解説より)
もしかしたら全部とは言わないけれど、一部こんなことが本当にあったのかもしれないと思わせる展開で、ときどき我に返ってしまった自分が大変興醒めでした。我に返らず最後まで読めばどんなに楽しかったかと、途中で我に返ったことが大変悔しい。考えるんじゃない、感じるんだ!
近藤謎の投降も納得がいく決着がついていましたし、榎本の優柔不断ぶりや大鳥圭介の拙劣さも非常によかった。まさかの島田出ずっぱりには、ついには愛着がわいてきました。狷介な大石の壊れてゆく姿もきちんと書かれるとは思っていませんでした。
下巻で一番重要な位置を占めていた西郷は、ものすごく嫌な感じの化け物として扱われていて、背が高くて細身で陰険悪辣な西郷隆盛像がとても新鮮でした。多かれ少なかれ、いい人として扱われていることが多かった西郷がこれか!とこれもまた斬新で感じ入る。作中でその力を散々に振るいながら、ついに一度もはっきりと顔を見せることがなかったそのありようが、登場人物たちに対してだけでなく、読者に対しても貫かれているのがまた良かった。
主人公の土方歳三は、不撓不屈で実戦指揮なら常勝不敗、剣の腕も立つ、非常に有能で冷徹で熱血な人物で、割とよく見る造形なのですが、蝦夷地に新国家を樹立する夢に賭けているという一点で、全てが何もかも新しい。どんなに戦況が悪化しようと、決して投げない不屈さにむやみに憧れる。
「俺は、侍ではないのだな。ぱっと散ることが性に合わん」
何故に昔自分が、この新選組副長に熱烈に憧れたのかわかった気がしました。
ところで帯なのですが、「こんなにロマンティックな幕末小説があったのか!」という煽り文句も書いてあります。
北方謙三ってハードボイルドなのにロマンティックというおそろしい両立をこなしていますよね。そして北方を「ロマンティック止まらない」と思っている人間が自分だけでないことに安心しました。