言いたいことは色々あるんだけれど、とりあえず「俺は向田邦子が読みたくて長野まゆみを読んでるんじゃなーい!」。ぐぎぎぎぎ。
子供の頃、ゲームするときのお約束として「三回パスしたら負け」というのが大変メジャーだったため、未だにその呪縛から逃れられない三つ子の魂百まで根性で意地で書く。
『コドノモクニ』長野まゆみ、河出書房新社。
「小鳥の時間」「子供だっていろいろある」「子どもは急に止まれない」の三篇を収録。「わたし」の視点から一人称で語られる子どもの頃の話。語り手が共通なので連作かな?多分著者の子どもの頃の話ではないかと。大阪で万博があった頃に小学校5年生だったという記述が出てくるので。
で、語り手である「わたし」がどうしても作者に見えて仕方ないのですが、これが物語である以上決してイコールで結ばれることはないわけで。そんなことはわかってる、わかっているけれども!
読むのに二日かかったわ。どうしてくれる。
多分、読者=みじんこが求めているところと、物語が与えてくれるところが全く違ったというだけで、作品自体の価値が云々される筋合いは全くないはず。ただ、「長野まゆみ」という作者を好んで読む手合い(極端な言い方をすれば、若いお嬢さん方)は、「一昔前の女の子が過ごしたリアルな少女時代」には興味がないと思うんだけどなあ。こういうものを読んで感慨にふけるには私はまだ若すぎたし、かといって作中に登場する「女の子が好むもの」に愛着は全く感じない……。むしろ「少年が愛好するもの」として登場する小物に惹かれて長野フリークやってるのになんだかなあ。とりあえず「少女時代」を、女の子が好むようなものに全く気をひかれずに素通りしてきた身には色々と辛う御座いました。刺繍は好きだけど、フリルは嫌いよ。ピンク色の下敷きも、苺柄の小物も持ったことがないわ。なんで「わたし」の気持ちはほとんどわからなかったり。
個人的に一番腹が立ったのは、「わたし」の自覚的な美意識。自分が全く自覚というものと縁なく無駄に時間を費やしたことを思って、こんな小学生がいてたまるかー!と、嫉妬ではらわたが煮えくり返るのですよ。きいぃぃー!ハンカチ噛み千切ってやる。←たいそう妬ましい。
……もしあれが本当だったら、やはり作家という生き物は次元が違うのだなあと涙に暮れるしかない。
(ちゅーかなんですか、チェーホフ読む小学生とか、尾崎紅葉読む小学生とかって。マジですか)
子供の頃、ゲームするときのお約束として「三回パスしたら負け」というのが大変メジャーだったため、未だにその呪縛から逃れられない三つ子の魂百まで根性で意地で書く。
『コドノモクニ』長野まゆみ、河出書房新社。
「小鳥の時間」「子供だっていろいろある」「子どもは急に止まれない」の三篇を収録。「わたし」の視点から一人称で語られる子どもの頃の話。語り手が共通なので連作かな?多分著者の子どもの頃の話ではないかと。大阪で万博があった頃に小学校5年生だったという記述が出てくるので。
で、語り手である「わたし」がどうしても作者に見えて仕方ないのですが、これが物語である以上決してイコールで結ばれることはないわけで。そんなことはわかってる、わかっているけれども!
読むのに二日かかったわ。どうしてくれる。
多分、読者=みじんこが求めているところと、物語が与えてくれるところが全く違ったというだけで、作品自体の価値が云々される筋合いは全くないはず。ただ、「長野まゆみ」という作者を好んで読む手合い(極端な言い方をすれば、若いお嬢さん方)は、「一昔前の女の子が過ごしたリアルな少女時代」には興味がないと思うんだけどなあ。こういうものを読んで感慨にふけるには私はまだ若すぎたし、かといって作中に登場する「女の子が好むもの」に愛着は全く感じない……。むしろ「少年が愛好するもの」として登場する小物に惹かれて長野フリークやってるのになんだかなあ。とりあえず「少女時代」を、女の子が好むようなものに全く気をひかれずに素通りしてきた身には色々と辛う御座いました。刺繍は好きだけど、フリルは嫌いよ。ピンク色の下敷きも、苺柄の小物も持ったことがないわ。なんで「わたし」の気持ちはほとんどわからなかったり。
個人的に一番腹が立ったのは、「わたし」の自覚的な美意識。自分が全く自覚というものと縁なく無駄に時間を費やしたことを思って、こんな小学生がいてたまるかー!と、嫉妬ではらわたが煮えくり返るのですよ。きいぃぃー!ハンカチ噛み千切ってやる。←たいそう妬ましい。
……もしあれが本当だったら、やはり作家という生き物は次元が違うのだなあと涙に暮れるしかない。
(ちゅーかなんですか、チェーホフ読む小学生とか、尾崎紅葉読む小学生とかって。マジですか)
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