『私小説 from left to right』
2004年11月19日 未分類どうしても「フロムライト〜」って言ってしまうのはそっちの方が語呂がいいから。
水村美苗、新潮社。
素晴らしく敷居の高い本。余りに読み手を限定するので信じられず一瞬ぽかーんとなったり。いやだって、本文中の英語が理解できないと、話が理解できないって凄いでしょう。てっきり英語部分は飛ばしても大丈夫なんだと思ったわよ。念のため調べてみれば「英語がわからないと読めません。英語以外の言葉も出てきます」だもん。仏語なんてわかりません。辞書片手に呼んだ自分は偉いと思いながらも、同時に、勉強しながら読んでる自分偉いという気分に浸らせてくれた本も久しぶりだなと思った。学術書以来だ。
私小説。人生を定められずにアメリカで大学院生をしながら日々を過ごす美苗が、先延ばしにしていた口答試験を受けて日本に帰るかどうかを決めるまでのたった一日を描いている。作中での時間経過こそ一日足らずであるものの、語られる時間は彼女がアメリカに着てからの20年ほぼ全て。漫然とした印象であるが、実際漫然としてるのは作品ではなく主人公である美苗とその姉である奈苗の態度であり、「漫然」ということをこれ以上ない明確さで描き出している。焦燥も不安も、言葉を一枚隔てたぼんやりとしたものでしかない姉妹の、索漠とした孤独と屈辱。「左から右」と横書きでなければならなかったのは、作中での会話が横書きの言語で行われているからではなく、美苗が日本語を使う人間としてアメリカに暮らす20年のうち、いつも意識するとも無しに感じていた「境界」とその曖昧さ、明確さ、をあらわすには縦書きであってはならなかった、ということだと思われる。文化だけでなく、人種だけでなく、言語ということによって隔てられた世界や、創造された世界については、誰かの感想を聞くよりも読んだほうがはやいと思うので割愛。
以下個人的に尽きる感想。
目が滑った。難しい内容になったり、一文が長くなったりすると途端に理解できなくなる。横書きの魔力恐るべし。というかやっぱり自分の脳は縦書きにフォーマットされてるんだなー。会話文と地の文の差が一見してわからない、英語はともかくフランス語は読めない、ページが隔たると時系列が混乱するなど、分量の割りに長いものを読んでいる気分になりました。字数換算するとそれほど長い作品ではない筈。著者略歴を見て余りの知識階級ぶりに尻尾を巻いて退散寸前、『続明暗』の著者であることを知りやたら驚いた。『明暗』の続編を、何処かの出版社だかが企画立てて募集してたのも、応募した女性の作品が出版されたのも知っていたけど水村美苗という名前とは一ミリも一致していなかったよ!リアルタイムで聞いてたはずなんだけどもなあ。
えーと、のが変換っていうんだったけかな?「教えるのが大変な」「教えるのの大変な」という互換の効く「の」と「が」の関係がたいそう気になりました。地の文で「〜のの」を連発されるといやんな気分になります。「ひたぶる」とか出てくる割にはなんだか日本語がうまく使えない人なんだろうか、と思わせるような文章がそこここに。「美苗」が20年間、古典文学と家族との会話以外で日本語に触れていないということを前提にわざとやったのだとしたら、芸が細かいっていうか細かすぎて凄い。
「大教授」素敵!「大教授」素敵!(二回言う)。美苗が出会った教師陣は素敵な人が多いですね。あと、「chopstick」が恥ずかしいとか、宮殿のごとき図書館には馴染めないとか、「わかるわかる!」と手を打ってしまうようなことがたびたびありました。
次は『本格小説』だー!関連があるらしいので非常に楽しみです。
水村美苗、新潮社。
素晴らしく敷居の高い本。余りに読み手を限定するので信じられず一瞬ぽかーんとなったり。いやだって、本文中の英語が理解できないと、話が理解できないって凄いでしょう。てっきり英語部分は飛ばしても大丈夫なんだと思ったわよ。念のため調べてみれば「英語がわからないと読めません。英語以外の言葉も出てきます」だもん。仏語なんてわかりません。辞書片手に呼んだ自分は偉いと思いながらも、同時に、勉強しながら読んでる自分偉いという気分に浸らせてくれた本も久しぶりだなと思った。学術書以来だ。
私小説。人生を定められずにアメリカで大学院生をしながら日々を過ごす美苗が、先延ばしにしていた口答試験を受けて日本に帰るかどうかを決めるまでのたった一日を描いている。作中での時間経過こそ一日足らずであるものの、語られる時間は彼女がアメリカに着てからの20年ほぼ全て。漫然とした印象であるが、実際漫然としてるのは作品ではなく主人公である美苗とその姉である奈苗の態度であり、「漫然」ということをこれ以上ない明確さで描き出している。焦燥も不安も、言葉を一枚隔てたぼんやりとしたものでしかない姉妹の、索漠とした孤独と屈辱。「左から右」と横書きでなければならなかったのは、作中での会話が横書きの言語で行われているからではなく、美苗が日本語を使う人間としてアメリカに暮らす20年のうち、いつも意識するとも無しに感じていた「境界」とその曖昧さ、明確さ、をあらわすには縦書きであってはならなかった、ということだと思われる。文化だけでなく、人種だけでなく、言語ということによって隔てられた世界や、創造された世界については、誰かの感想を聞くよりも読んだほうがはやいと思うので割愛。
以下個人的に尽きる感想。
目が滑った。難しい内容になったり、一文が長くなったりすると途端に理解できなくなる。横書きの魔力恐るべし。というかやっぱり自分の脳は縦書きにフォーマットされてるんだなー。会話文と地の文の差が一見してわからない、英語はともかくフランス語は読めない、ページが隔たると時系列が混乱するなど、分量の割りに長いものを読んでいる気分になりました。字数換算するとそれほど長い作品ではない筈。著者略歴を見て余りの知識階級ぶりに尻尾を巻いて退散寸前、『続明暗』の著者であることを知りやたら驚いた。『明暗』の続編を、何処かの出版社だかが企画立てて募集してたのも、応募した女性の作品が出版されたのも知っていたけど水村美苗という名前とは一ミリも一致していなかったよ!リアルタイムで聞いてたはずなんだけどもなあ。
えーと、のが変換っていうんだったけかな?「教えるのが大変な」「教えるのの大変な」という互換の効く「の」と「が」の関係がたいそう気になりました。地の文で「〜のの」を連発されるといやんな気分になります。「ひたぶる」とか出てくる割にはなんだか日本語がうまく使えない人なんだろうか、と思わせるような文章がそこここに。「美苗」が20年間、古典文学と家族との会話以外で日本語に触れていないということを前提にわざとやったのだとしたら、芸が細かいっていうか細かすぎて凄い。
「大教授」素敵!「大教授」素敵!(二回言う)。美苗が出会った教師陣は素敵な人が多いですね。あと、「chopstick」が恥ずかしいとか、宮殿のごとき図書館には馴染めないとか、「わかるわかる!」と手を打ってしまうようなことがたびたびありました。
次は『本格小説』だー!関連があるらしいので非常に楽しみです。
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