森博嗣、講談社ノベルス。
Vシリーズ途中で読むのをやめていたので、これを期に最初から読んでみることにしました。本当に最初から読むとなると「F」からなんだけれど、さすがにそれは気力が……、とういわけでまずは『黒猫の三角』。新刊で読んだから6年ぶりくらいの再読です。
「野放しの不思議が集まる無法地帯」アパート阿漕荘の住人、保呂草探偵に奇妙な依頼が持ち込まれた。連続殺人事件の魔手から一晩ガードして欲しい、というのだ。ここ数年、那古野市には「数字にこだわる」殺人犯が跋扈している。依頼人には殺人予告が送られていた!衆人環視の中、密室に入った依頼人の運命は!?(カバー)
「遊びで殺すのが1番健全だぞ」
「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」(表紙より)
6年経ってようやく読み取れるようになったものの多さに愕然としつつ、森博嗣は昔っから「生きることと殺すこと」をめぐる問いを続けてきたのだなあと、感心するような安心するような。『スカイ・クロラ』でも言及されていたような、間接的な殺人について、全面解答とまではいかないものの、ある種の回答、一面の結論が既に提示されている点で、だいぶん親切な問いかけではあるけれども。合理的論理的な思考を、一般的な感情や情動といったエモーショナルなもので阻害されるのを、尋常でなく嫌がる天才。それが二人。対決して勝つのが紅子さんである辺りが、とても優しくて親切だと感じる。
うん、こういう人たちはとても人生が生き辛いだろうな。人生というか、社会というものが、思考性と真っ向から対立しているように感じるのだろうと。大変そう。ものすごく大変そう。
森博嗣の文章が何故こうも地に足がつかない不安定感をはらんでいるのかな、という辺りに重点を置いて読んだ結果、物語に関係ない情報は容赦なく省略されることと、情感に基づいた描写が少ないこと、という二点が理由らしく感じられた。パーティ会場のについての描写なんて、どこにドアがあってどこに階段があって、いかに密室が作られたか、といった類のものばかり。脱出経路の不可能性そのほか事件の謎を、前提として確定させるための情報のみ。主観性に左右される情報が極端に少ないといえばいいのか……。しかし推理小説としての形式というかお約束は、きっちり守ってるように見えるんだけど、どうにも反則が多いような気も同時にするから不思議なんだよなあ。状況については嘘がないけれど、人間の証言なんて当てにならない、というのはある意味まっとうなのかもしれない。この辺りは読み手の基準がどこにあるか、が全てか。
ミステリとしてどうかと聞かれると、よくわからない。一度読んで犯人がわかってるからかも。保呂草さんの(ネタバレ)には驚いたけど、そもそも謎解きしながら読んだりしないし。しかし前提条件が確かなものとするなら、犯人は扉から入ってきて扉から出て行った、というの以外ないと思うんだけど。
一本の独立した作品としては、やや弱い。しかしシリーズ全体が一つの謎となっていることが多い森博嗣に期待。「F」と「有限」に驚いた人は結構いると思うんですよ。友人に聞くと書いたもの全部つながってるらしいし。しかも小ネタじゃなくて構造的に。楽しみ。
Vシリーズ途中で読むのをやめていたので、これを期に最初から読んでみることにしました。本当に最初から読むとなると「F」からなんだけれど、さすがにそれは気力が……、とういわけでまずは『黒猫の三角』。新刊で読んだから6年ぶりくらいの再読です。
「野放しの不思議が集まる無法地帯」アパート阿漕荘の住人、保呂草探偵に奇妙な依頼が持ち込まれた。連続殺人事件の魔手から一晩ガードして欲しい、というのだ。ここ数年、那古野市には「数字にこだわる」殺人犯が跋扈している。依頼人には殺人予告が送られていた!衆人環視の中、密室に入った依頼人の運命は!?(カバー)
「遊びで殺すのが1番健全だぞ」
「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」(表紙より)
6年経ってようやく読み取れるようになったものの多さに愕然としつつ、森博嗣は昔っから「生きることと殺すこと」をめぐる問いを続けてきたのだなあと、感心するような安心するような。『スカイ・クロラ』でも言及されていたような、間接的な殺人について、全面解答とまではいかないものの、ある種の回答、一面の結論が既に提示されている点で、だいぶん親切な問いかけではあるけれども。合理的論理的な思考を、一般的な感情や情動といったエモーショナルなもので阻害されるのを、尋常でなく嫌がる天才。それが二人。対決して勝つのが紅子さんである辺りが、とても優しくて親切だと感じる。
うん、こういう人たちはとても人生が生き辛いだろうな。人生というか、社会というものが、思考性と真っ向から対立しているように感じるのだろうと。大変そう。ものすごく大変そう。
森博嗣の文章が何故こうも地に足がつかない不安定感をはらんでいるのかな、という辺りに重点を置いて読んだ結果、物語に関係ない情報は容赦なく省略されることと、情感に基づいた描写が少ないこと、という二点が理由らしく感じられた。パーティ会場のについての描写なんて、どこにドアがあってどこに階段があって、いかに密室が作られたか、といった類のものばかり。脱出経路の不可能性そのほか事件の謎を、前提として確定させるための情報のみ。主観性に左右される情報が極端に少ないといえばいいのか……。しかし推理小説としての形式というかお約束は、きっちり守ってるように見えるんだけど、どうにも反則が多いような気も同時にするから不思議なんだよなあ。状況については嘘がないけれど、人間の証言なんて当てにならない、というのはある意味まっとうなのかもしれない。この辺りは読み手の基準がどこにあるか、が全てか。
ミステリとしてどうかと聞かれると、よくわからない。一度読んで犯人がわかってるからかも。保呂草さんの(ネタバレ)には驚いたけど、そもそも謎解きしながら読んだりしないし。しかし前提条件が確かなものとするなら、犯人は扉から入ってきて扉から出て行った、というの以外ないと思うんだけど。
一本の独立した作品としては、やや弱い。しかしシリーズ全体が一つの謎となっていることが多い森博嗣に期待。「F」と「有限」に驚いた人は結構いると思うんですよ。友人に聞くと書いたもの全部つながってるらしいし。しかも小ネタじゃなくて構造的に。楽しみ。
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