『水の都の王女』(上下)
2005年4月20日 未分類J・グレゴリイ・キイズ、岩原明子訳、ハヤカワ文庫。
小川の女神のために、大河の神を殺す誓いを立てて旅に出たペルカルは、若さゆえにほとんど取り返しがつかないようなあやまちをしでかしてしまう。その罪を償うためにせめて初志貫徹俺頑張る!と決意するも、運命は彼を河の中に放り込んではるか南の王国まで流し去ってしまうのでした。
一方、南の大河の国では、王女ヘジが儀式の後会えなくなってしまった従兄弟を探し、みずからの血統としきたりに抗っていた。従兄弟を地下に連れ去った儀式の日は近づき、ヘジは逃れ難い運命に逆らうために救いの手を求めた。
真っ当すぎてなんの感銘も抱かなかったので、上下巻まとめて感想。
ペルカルとヘジ二人の視点から交互に語られていく構成。視点交替が行われるポイントが絶妙で、読者の先が気になるという気持ちを掻き立てるのが上手い。でもそれだけ。ここで引き合いに出すのはファンに罵られそうですが、宮部みゆきのように「何もかも上手いけど偏向を感じないので魅力も感じない」。続編があるんですが読みたいと思いませんでした。ストーリーも世界観も舞台設定も登場人物も、全て高水準で真っ当な物語ほど退屈する、難儀な性癖の読者も世にはいるということで。
海外ファンタジーは、登場人物の成長が特になんの反省もないうちに行われ、後悔や反省を通して考え方が変化したというよりは、年食って心身ともに発達したので大人になりました、というような描かれ方をしたものにばかり遭遇していたので、読むのがかなり久しぶりです。ペルカルは前半その傾向が顕著な上に主人公とは思えない嫌な奴だったので、素敵ヒロインのヘジにばっかり目が行ってました。ヘジはいいよ、頑固で我儘で気位が高くて気が強くて聡明で自分がするべきことを知っている。周囲の惰性や圧力に膝を折らない意志の強さがたまらんですな。前田珠子の『万象の杖』はいつ続刊が出るのだろうかと悲しくなりましたが。
しかし異世界ファンタジーといえばインディアン文化、みたいな作品との遭遇率が高いのは何故なんでしょう。アメリカの人は異文化と言われたときにインディアン文化しか思いつかないのでしょうか。まあ、いきなり勘違いも甚だしい和風ファンタジーとか漢字が一切登場しない中華ファンタジーとか書かれるよりはマシか。ヨーロッパは近すぎるだろうし、考えてみれば日本のファンタジーもヨーロッパのような場所が舞台のものが圧倒的大多数だった時代もあるわけで。知識と文化の距離が反映されているのかなあと勝手な妄想すれば、それはそれで楽しく興味深い。
小川の女神のために、大河の神を殺す誓いを立てて旅に出たペルカルは、若さゆえにほとんど取り返しがつかないようなあやまちをしでかしてしまう。その罪を償うためにせめて初志貫徹俺頑張る!と決意するも、運命は彼を河の中に放り込んではるか南の王国まで流し去ってしまうのでした。
一方、南の大河の国では、王女ヘジが儀式の後会えなくなってしまった従兄弟を探し、みずからの血統としきたりに抗っていた。従兄弟を地下に連れ去った儀式の日は近づき、ヘジは逃れ難い運命に逆らうために救いの手を求めた。
真っ当すぎてなんの感銘も抱かなかったので、上下巻まとめて感想。
ペルカルとヘジ二人の視点から交互に語られていく構成。視点交替が行われるポイントが絶妙で、読者の先が気になるという気持ちを掻き立てるのが上手い。でもそれだけ。ここで引き合いに出すのはファンに罵られそうですが、宮部みゆきのように「何もかも上手いけど偏向を感じないので魅力も感じない」。続編があるんですが読みたいと思いませんでした。ストーリーも世界観も舞台設定も登場人物も、全て高水準で真っ当な物語ほど退屈する、難儀な性癖の読者も世にはいるということで。
海外ファンタジーは、登場人物の成長が特になんの反省もないうちに行われ、後悔や反省を通して考え方が変化したというよりは、年食って心身ともに発達したので大人になりました、というような描かれ方をしたものにばかり遭遇していたので、読むのがかなり久しぶりです。ペルカルは前半その傾向が顕著な上に主人公とは思えない嫌な奴だったので、素敵ヒロインのヘジにばっかり目が行ってました。ヘジはいいよ、頑固で我儘で気位が高くて気が強くて聡明で自分がするべきことを知っている。周囲の惰性や圧力に膝を折らない意志の強さがたまらんですな。前田珠子の『万象の杖』はいつ続刊が出るのだろうかと悲しくなりましたが。
しかし異世界ファンタジーといえばインディアン文化、みたいな作品との遭遇率が高いのは何故なんでしょう。アメリカの人は異文化と言われたときにインディアン文化しか思いつかないのでしょうか。まあ、いきなり勘違いも甚だしい和風ファンタジーとか漢字が一切登場しない中華ファンタジーとか書かれるよりはマシか。ヨーロッパは近すぎるだろうし、考えてみれば日本のファンタジーもヨーロッパのような場所が舞台のものが圧倒的大多数だった時代もあるわけで。知識と文化の距離が反映されているのかなあと勝手な妄想すれば、それはそれで楽しく興味深い。
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