酒見賢一、文春文庫。
表紙のミュシャ絵がすごく綺麗で、装丁のセンスが素晴らしい。そしてすいません、ずっと「さかみけんいち」だと思ってました。しかも『陋巷に在り』のひとだと検索するまで気付きませんでした。土下座。
時代はヴィクトリア朝。性に関する奇怪な妄想を抱えた紳士が招待される館で、語り手の語る物語とは。
なんと、作中に「語り手」であるはずの視点が人格を持って「私は語り手です」と登場してしまっているところで既に尋常の小説ではない。「私」はことごとに「私は語り手なので」と自らが語り手であることを強調するが、「私=語り手」が、物語の中での視点、三人称や一人称ナレーションを含むあの語り手であることを了解していないと、一章では語られる妄想が薄弱なので少々混乱する恐れあり。
語り手の言う「語り手の事情」とは、そこで展開されている物語を読者に提供するための外部要請と、物語が語り手に物語を受け取ることが出来る立場で関われという内部要請の二種類あるようです。外部というのは読者が「その場面を見たい」と要求してきたときに真っ暗だから見えませんというのではなく見えるようになるということ。あるいは彼に何が起こっているのか時代に即しない知識であっても、外部読者の水準に合わせて場面を解説すること。内部要請は、物語と全くかかわりがない、つまり物語を知らないものに物語を語ることは出来ないので、語るべき物語と遭遇したときはそ知らぬ顔で通り過ぎることは許されないということ。おおむねこんな感じで解釈しております。
前者の事情は第三章が一番わかりやすいかと。後者についてはあちらこちらに散見されるので、よくよくそのつもりになって読んでみると面白いと思われます。
童貞喪失にテンプレな夢を見る少年、女装趣味かと思いきや女性化妄想を抱く中年、性奴隷の調教を実行しようとする荒くれ男。一回り成長し、妄想まで一回り成長させた少年の再登場。
語りから文章からとにかく上手い。軽妙で精妙、読みやすい文章で、妄想とメタとラブロマンスをつづってしまう辺り、卑怯だ卑怯だと唸ってしまいました。
酒見賢一は『後宮小説』でファンタジーのベル大賞を獲ったとき、文章が美しいと絶賛されていたような気がするんですが、詳細はどうだったかな。『後宮小説』を読んだときはぴんとこなかったのですが、今回『語り手の事情』を読んで文章の美しさにに愕然としました。何故気付かなかった自分。
表紙のミュシャ絵がすごく綺麗で、装丁のセンスが素晴らしい。そしてすいません、ずっと「さかみけんいち」だと思ってました。しかも『陋巷に在り』のひとだと検索するまで気付きませんでした。土下座。
時代はヴィクトリア朝。性に関する奇怪な妄想を抱えた紳士が招待される館で、語り手の語る物語とは。
なんと、作中に「語り手」であるはずの視点が人格を持って「私は語り手です」と登場してしまっているところで既に尋常の小説ではない。「私」はことごとに「私は語り手なので」と自らが語り手であることを強調するが、「私=語り手」が、物語の中での視点、三人称や一人称ナレーションを含むあの語り手であることを了解していないと、一章では語られる妄想が薄弱なので少々混乱する恐れあり。
語り手の言う「語り手の事情」とは、そこで展開されている物語を読者に提供するための外部要請と、物語が語り手に物語を受け取ることが出来る立場で関われという内部要請の二種類あるようです。外部というのは読者が「その場面を見たい」と要求してきたときに真っ暗だから見えませんというのではなく見えるようになるということ。あるいは彼に何が起こっているのか時代に即しない知識であっても、外部読者の水準に合わせて場面を解説すること。内部要請は、物語と全くかかわりがない、つまり物語を知らないものに物語を語ることは出来ないので、語るべき物語と遭遇したときはそ知らぬ顔で通り過ぎることは許されないということ。おおむねこんな感じで解釈しております。
前者の事情は第三章が一番わかりやすいかと。後者についてはあちらこちらに散見されるので、よくよくそのつもりになって読んでみると面白いと思われます。
童貞喪失にテンプレな夢を見る少年、女装趣味かと思いきや女性化妄想を抱く中年、性奴隷の調教を実行しようとする荒くれ男。一回り成長し、妄想まで一回り成長させた少年の再登場。
語りから文章からとにかく上手い。軽妙で精妙、読みやすい文章で、妄想とメタとラブロマンスをつづってしまう辺り、卑怯だ卑怯だと唸ってしまいました。
酒見賢一は『後宮小説』でファンタジーのベル大賞を獲ったとき、文章が美しいと絶賛されていたような気がするんですが、詳細はどうだったかな。『後宮小説』を読んだときはぴんとこなかったのですが、今回『語り手の事情』を読んで文章の美しさにに愕然としました。何故気付かなかった自分。
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