ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫。
寝る前に15分くらいずつのペースでちまちま読んでいたら、頭の中でストーリーがブツ切れになって大変でした。名前と人間が一致しなくなったりさ。
下巻でも相変わらずステパン先生が物語の半分くらいを占めていて、群像劇というには焦点偏りすぎ、かといってニコライの物語というにはステパン先生が全面に出張りすぎ。ステパン先生とニコライの間に直接的なつながりが全くないので、一体どこに一本筋を見出したものやら、対比されているとも思いにくい展開が不安定感全開。ニコライが登場しているときの物語の求心力と、ステパン先生が登場してだらだらしているときの魅力のなさがもはや笑いを誘うありさまでした。これは、もう別収録のニコライ独白を中心にすえて書き直してくれよドストエフスキー。そうでなければ、もう少し登場人物の整理をして、迷わず群像劇と呼べるバランスにととのえてくれ。小粒ながらぴりりとした人物多いのにもったいない。
物語の核心として扱われる筈のエピソードが、作品としては未定稿、単行本上梓の際には削られたままというのには驚いた。文庫では独立して本文中に含めず、二つの版の異同を注によって示しながら収録しています。これがわかりにくいったらなく、いっそ両方載せればいいのにと心底思いました。括弧多用がとんでもなく見づらかったので、もう少し見やすいやり方があったのではないかと不満が残ります。
キリーロフとシャートフとピョートルが印象深かった。特にシャートフ・ピョートルは、ニコライに思い入れが激しすぎてびっくりさせられるシーンあり。君ら何をそんなに思いつめてあこがれているのさ。思想のためにと言いながら明らかにニコライ個人に心惹かれていて、それはニコライがあんな決断を下したのと全くの無関係とは言えないんじゃないか、と横から檄文のビラ丸めた棒で突っ込みたい。
先生と夫人はものすごいラブロマンスでびっくりだ。20年かけて無駄にすれ違いロマンスなんて気合入りすぎ。
記述者兼語り手の「私」の黒子度合いの高さに感心した。
訳の不味さにも震撼した。
寝る前に15分くらいずつのペースでちまちま読んでいたら、頭の中でストーリーがブツ切れになって大変でした。名前と人間が一致しなくなったりさ。
下巻でも相変わらずステパン先生が物語の半分くらいを占めていて、群像劇というには焦点偏りすぎ、かといってニコライの物語というにはステパン先生が全面に出張りすぎ。ステパン先生とニコライの間に直接的なつながりが全くないので、一体どこに一本筋を見出したものやら、対比されているとも思いにくい展開が不安定感全開。ニコライが登場しているときの物語の求心力と、ステパン先生が登場してだらだらしているときの魅力のなさがもはや笑いを誘うありさまでした。これは、もう別収録のニコライ独白を中心にすえて書き直してくれよドストエフスキー。そうでなければ、もう少し登場人物の整理をして、迷わず群像劇と呼べるバランスにととのえてくれ。小粒ながらぴりりとした人物多いのにもったいない。
物語の核心として扱われる筈のエピソードが、作品としては未定稿、単行本上梓の際には削られたままというのには驚いた。文庫では独立して本文中に含めず、二つの版の異同を注によって示しながら収録しています。これがわかりにくいったらなく、いっそ両方載せればいいのにと心底思いました。括弧多用がとんでもなく見づらかったので、もう少し見やすいやり方があったのではないかと不満が残ります。
キリーロフとシャートフとピョートルが印象深かった。特にシャートフ・ピョートルは、ニコライに思い入れが激しすぎてびっくりさせられるシーンあり。君ら何をそんなに思いつめてあこがれているのさ。思想のためにと言いながら明らかにニコライ個人に心惹かれていて、それはニコライがあんな決断を下したのと全くの無関係とは言えないんじゃないか、と横から檄文のビラ丸めた棒で突っ込みたい。
先生と夫人はものすごいラブロマンスでびっくりだ。20年かけて無駄にすれ違いロマンスなんて気合入りすぎ。
記述者兼語り手の「私」の黒子度合いの高さに感心した。
訳の不味さにも震撼した。
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