『今夜、すべてのバーで』
2005年4月28日 未分類中島らも、講談社文庫。
アル中の主人公が、いよいよ危険な状態になって入院。退院するまで。ノンフィクションではないけれど、「ほとんど実話」らしい。
はじめて読んだのが高校生のとき、母が図書館から借りてきた単行本で、二度目は大学生のとき友人の部屋にあったものを見つけて借りました。三度目は引越し後の荷物整理の際に発見、何気なく手にとってそのまま最後まで一気読み。
読み返すたびに「細部まで覚えてる」と印象の強さを確かめ、新しい発見をし、いい本だと唸ってます。記憶に残る本は多いけれど、細部まではっきり覚えた状態で「また読みたいなー」と思いながら数年を過ごし、再読してはいい本だとこころの震えるような、くっきり輪郭の残る本はこの一冊きりしかないような気がします。
今回印象が強かったのは、医者の赤河と西浦老、中に中空を持った立体をつくる技術の話。特に医者は、前読んだときよりもいいひと度があがってました。もう何年かして読み直したら、もっといい人になっているのかしらん。
資料に裏打ちされた客観性の高い視点と、語り口と、それゆえに際立つ「中毒」のひどさ。アル中の資料を肴にアルコールを流し込んできた主人公が、「どうしてアルコールに生きてアルコールに死ぬ、たったそれだけのさっぱりした人生を送ってはいけないのか?」と悩む時のリアルさ。「自分が何か特別だと思っていないか?」という赤河の問いかけには、自分の中の青い部分がぎくーっとしたのがよくわかりました。現実が鋭すぎて怖い自分が何か特別な人間であるなら、それはつまり「特別に劣っている」ということなのでしょう。「アルコールを飲まないことによって与えられる報酬が、アルコールをやめるために必要なもの」この至言!そのまま生き死にに当てはめても充分通じる。
鋭い、でもあざやか、でもなく「くっきり」した本だという感想は、何年たってもかわりませんでした。
出てくる食べものが物凄くおいしそうだったり、超芸術について語られてたり、色々と身につまされる体験がさりげなくちりばめられていたり、巻末に山田風太郎との対談が収録してあったりと、やたら充実度が高いのが特徴です。
アル中の主人公が、いよいよ危険な状態になって入院。退院するまで。ノンフィクションではないけれど、「ほとんど実話」らしい。
はじめて読んだのが高校生のとき、母が図書館から借りてきた単行本で、二度目は大学生のとき友人の部屋にあったものを見つけて借りました。三度目は引越し後の荷物整理の際に発見、何気なく手にとってそのまま最後まで一気読み。
読み返すたびに「細部まで覚えてる」と印象の強さを確かめ、新しい発見をし、いい本だと唸ってます。記憶に残る本は多いけれど、細部まではっきり覚えた状態で「また読みたいなー」と思いながら数年を過ごし、再読してはいい本だとこころの震えるような、くっきり輪郭の残る本はこの一冊きりしかないような気がします。
今回印象が強かったのは、医者の赤河と西浦老、中に中空を持った立体をつくる技術の話。特に医者は、前読んだときよりもいいひと度があがってました。もう何年かして読み直したら、もっといい人になっているのかしらん。
資料に裏打ちされた客観性の高い視点と、語り口と、それゆえに際立つ「中毒」のひどさ。アル中の資料を肴にアルコールを流し込んできた主人公が、「どうしてアルコールに生きてアルコールに死ぬ、たったそれだけのさっぱりした人生を送ってはいけないのか?」と悩む時のリアルさ。「自分が何か特別だと思っていないか?」という赤河の問いかけには、自分の中の青い部分がぎくーっとしたのがよくわかりました。現実が鋭すぎて怖い自分が何か特別な人間であるなら、それはつまり「特別に劣っている」ということなのでしょう。「アルコールを飲まないことによって与えられる報酬が、アルコールをやめるために必要なもの」この至言!そのまま生き死にに当てはめても充分通じる。
鋭い、でもあざやか、でもなく「くっきり」した本だという感想は、何年たってもかわりませんでした。
出てくる食べものが物凄くおいしそうだったり、超芸術について語られてたり、色々と身につまされる体験がさりげなくちりばめられていたり、巻末に山田風太郎との対談が収録してあったりと、やたら充実度が高いのが特徴です。
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