『しゃばけ』

2005年5月21日 未分類
畠中恵、新潮文庫。

虚弱体質な廻船問屋の一人息子一太郎、通称若旦那と、超過保護な妖怪の手代佐助&仁吉がどたばたな日常を送りつつ連続殺人事件を解決する話。
若旦那は幼い頃から妖怪に囲まれまくって育ち、身のまわりに当たり前のように妖怪がいる日常を暮らしているツワモノ。佐助と仁吉に日々過保護の檻で牽制されながらも、自分の生き方について考えることの多い17歳。こっそり出かけた帰り道に人殺しに遭遇してしまい、なんとかその場は逃げ切ったけれども、事件はそこで終わらなかったのでした。

新人らしからぬ馴れ馴れしい文章にびっくり。読者との距離感がうまく取れていない、という作品にはいくつも出会ったけれど、「近すぎる」という作品は非常に珍しいのでは。遠すぎてもあまり問題にならないけど、近すぎると大抵どっか破綻してしまってるものだけどなあ、作品のレベルの高さを考えるとこれはすごい。
若旦那がたまたまいきあった人殺しに端を発した、連続殺人事件を解決する筋は終始一貫しているし、死にかけ若旦那の周囲の人間模様や環境その他無駄になってる細部もなし、慣れた手つきでまるっと仕上げられた餅みたいな作品。一瞬シリーズ三作目くらいのところを間違って買ってしまったのかと思いました。
多分「近い」と思ったのと「シリーズ半ば?」と思った原因は同じで、説明の省略の多さなんでしょう。鈴彦姫の登場する辺りなんかで感じたのですが、地の文での説明がほとんどない。つくもがみで鈴が本性で、と一応の説明はあるのだけれど、若旦那の対応があっさりしすぎ。何故若旦那が驚きもしないのか云々は、手代二人と合流してからあるにはある……、というかこれがどうにも「読者さまにはおなじみ」とシリーズ進んで説明の辺りを省略し始めた作品によくある「共通理解を前提にした説明の省略」にしか見えない。シリーズ初期からの読者には通じても、新規参加の読者には微妙に通じないおかしな説明を目にしたことが全くない人はいないと思います。あの微妙な省略のきいた説明を見て、「あれ?」と思ったこともあれば、人に指摘されるまで気付かず「ああ」と思ったことも多々ある身としては、正直この距離感には好感が持てません。お願いだから一作目くらいはきちんとやってよ、と思います。なじみの客しかいない舞台とか楽屋とかいう雰囲気は勘弁して欲しい。登場するだけ登場して、説明もない活躍の場所もない名前だけ妖怪はいったいなんだったのかと。
あと気になったのは心理描写の()使用と、むやみな台詞の多さ。表紙折り返しの著者紹介の「都筑道夫の小説講座に通って〜」。非常に読みやすくて明るい物語ではありますが、どうしても京極の『豆腐小僧』と比較してしまうので評価が辛めになりました。

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