ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳、東京創元社。

読んでも読んでも終わらないと思っていたけれど、下巻は意外と後半駆け足っぽい雰囲気で、それほど長いわけでもなかったのがちょっと残念。
一冊の書物をめぐって繰り広げられる殺人事件やら暗闘をメインに読みました。僧房で怪しい草を齧りながらインナースペースにひたりまくって推理するウィリアム師匠最高。文書館と迷宮の仕組みが冒険活劇のような気配をかもしだしていて最高。あれも最高これも最高、そして何が最高だったかというと、

んもうこの偏執狂!

と含み笑いしながら肩をどついてやりたいウンベルト・エーコの精緻なこだわりと教養。非凡かつ偏ってあるものをこよなく愛するタイプの本好きにはたまりません。偏執と耽美は紙一重で、みじんこは偏執と耽美こそを愛しております。
もう一回言っとこう。

最高だこの偏執狂!

文書館内部の地図が、物語中で語り明かされるくだりがあんまりにも偏執的な精密さをうかがわせて、思わず踊ってしまいました。周りに人がいなかったのがせめてもの救い。ものすごい怪しい動きをしていた自信があります。その怪しさと踊っていた時間の長さこそがエーコの偉大な本の素晴らしさを直裁に語っていたのですが、それを公表する度胸はありません頑張って感想書きます。片っ端から思いつく限りいってみよう。
べレンガーリオ。タッローニとダ・アルンデルが別人であるということに一瞬気付かず、なんで再登場してるの?!と目をむきました。タッローニは出てくるだけなので数に入れなくても大丈夫です。アルンデルのほうは、その悪癖が上巻でおおむね了解されますが、下巻ではそれ以上に悪趣味なので笑いが止まりません。アデルモはともかく(ネタバレ)はどうかと思うよ。そしてアデルモに対してはともかく、(ネタバレ)に対してはどっちがどうだったのかちょっぴり気になるようなならないような。
レミージョ@厨房係が大活躍で意外。と、言うか会談に絡んだ宗派皇帝教皇の争いはいまいちよくわからなかった。歴史とキリスト教の話はほとんど理解が及ばなかったので、この本の楽しみの全体の三分の一は理解できなかったということに。ああ残念。いずれリベンジの予定。異端審問官のベルナールはたいそう熱いですが、登場してからまもなく退場してしまうので、見せ場があんまりなかったです。ああいうひとが歴史の大舞台に登場すると、すごいことになるんだろうなーと思いながら読んでました。実際、教皇と皇帝の対立ですごいことになってる時代設定。
文書館に関しては、もう何も言うまい。ラストでは(ネタバレ)してしまうし、あの楽しさは読んだ人だけの特権ですよ。設計した人は知識階級の最高位にいたんでしょう。建築に従事した人たちは、終わってから殺されたりしなかったと余計なことまで想像できる文書館。神の威光、知識の泉、悪徳の巣。
アッボーネ僧院長の態度も、俗物振りが際立って素晴らしかった。晩餐の料理自慢にはじまり、宝石大好き権力大好き体面一大事の超保守派。なんというか(ネタバレ)まで予想通りで爆笑してしまいました。確かにああいうタイプなら(ネタバレ)に(ネタバレ)されて(ネタバレ)がお似合いですわー。ヴェナンツィオとペアで必須。
で、本命の犯人とウィリアムとアドソ。師匠があまりに師匠で、アドソが純真に慕いすぎてて泣ける。もう君ら師弟どころか親子でいいよ!揃って間抜けな失敗をして、お互いに罵りあったりころがりまわったりと、心あたたまる師弟コンビでした。特にラストのアドソの戦慄すべき問いに、答えられないと返したウィリアムの思いやりが切ないです。胸の中には既に確固たる答えがあるのに、論理的に正しいことであれば何者も恐れない師匠が答えなかった、というのがいいなあ。弟子の人生を思いやる師匠の姿が、二人の絆の強さを感じさせます。
真犯人は予想通り過ぎて脱力。先に(ネタバレ)を読んで(ネタバレ)していたのが敗因。(ネタバレ)配置からラスト(ネタバレ)までほぼおんなじだー!文書館での真犯人とウィリアムの切り結ぶ場面は息詰る緊迫感とカッコよさ。アドソが他のものなんて比べ物にならないと思うだけあります。
残念だったのは、読み手であるわたしのスペックが低すぎるのが原因で読み取れないたのしみが多すぎたこと(わたしにとっての主要な物語はキリスト教の歴史関係・連続殺人事件・記号論のみっつ)、特にキリスト教系に弱いばかりに、ぼへらーと無能に読み流した喜びがどれだけあるのでしょう。アドソが夢に見た「キュプリアーヌスの饗宴」は、厳格な一部の人が怒り出しかねないという印象を受けたんですが、詳しい人が読めばまた印象が違うのだろうなーと。ファラオが登場するたびに、なんでだなんでだと自問自答、それを律儀に3セット繰り返すアドソに爆笑しました。同じギャグは三回までだ!繰り返しネタも三度が限界だって!で、聖書のメジャーな人物がせっせと宴会で貪り食っている最中に、突然四十日間断食をはじめるキリスト。エーコお茶目すぎ。
イタリア語の原文には、ラテン語、ギリシア語、中高ドイツ語、サルヴァトーレの混沌とした言葉、など多数の言語が使用されているとのことで、これを原文で読んだイタリア人がうらやましいです。日本語では、カタカナで書かれている部分が「イタリア語以外の言語」なのですが、日本語の中でカタカナ表記という手法と、違う言語での記述がそのまま残っているのとでは、印象が全く違うんじゃないかと思うのです。ラテン語を読めないにしても、それらが身近なキリスト教圏のイタリア人と、キリスト教には縁のない日本語ネイティブの感想じゃ天と地ほどの差がありそう。ああもったいないなあ。
あとがきで、エーコの翻訳用メモの話をほのめかしては語らない訳者にちょっぴり怒りを覚えたのはわたしだけではないでしょう。語りえないことについては沈黙せよー!
「薔薇」がなんであったのか意見が分かれているみたいです。わたしは「僧院(あるいは文書館)」か「神」のいずれかだと思います。

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