H・P・ラヴクラフト、大瀧啓祐訳。

「宇宙からの色」
「眠りの壁の彼方」
「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」
「冷気」
「彼方より」
「ピックマンのモデル」
「狂気の山脈にて」
資料として「怪奇小説の執筆について」を収録。
最初にまず言いたい。

なにこの直訳。

直訳調を通り越してます。読みにくいったらありません。3巻はそれほど気にならなかったのですが、こちらはときどき「原文を見せろ!」と叫びたくなるようなおよそ硬直しきった文体に、原文では本当にどうなっていたのかと確かめたくなるような単語がちらほらと意味不明に文中で浮いています。おかげでいたくモチベーションが低下して、読み終えるのに時間がかかってしましいました。
それなのに、7巻までこの人が訳なのですね……。うわあどうしよう。やる気が逃げていく。
前巻の感想で、ラヴクラフトは怖くないよーと言ったわたしですが、訂正したいと思います。「宇宙からの色」がごっつい怖い。井戸の中にいるものよりも、井戸の中に呼び込まれた家族の狂気と変容が怖い。家の敷地内にある井戸に、深夜水を汲みに行ってそのまま帰ってこなくなる。それも息子が二人、一度にではなく二度に渡って。周囲の景色も地獄のようなありさまで、誰一人近寄ることのない家の中で、一家がじわじわと狂気と身体的な変容にさらされている状況を想像すると、怖気をふるいます。ううおっかない。
個人的に気に入ったのは「冷気」と「ピックマンのモデル」です。前者は短い尺の中での「冷気」に対するこだわりようと、オチが素敵。後者は語り手が「きみ、きみ」と、しきりに聞き手の「エリオット」に語りかける台詞のみで構成されていて、聞き手のエリオットの台詞は一切なし。これはもしや二人称?二人称の小説なんてめったにお目にかからないので、明確な分類は知らないのですが。しきりと名前を挙げられる「コットン・マザー」が何者かわからず非常に気になります。案内なしでは二度とたどりつくことのできない、暗い幻想のような街並みのイメージが「エーリッヒ・ツァン」のオーゼイユを思い出させてとても好みです。この「一度は行けたのに二度と発見できない」場所や街というモチーフがとても好き。
白眉らしき「狂気の山脈にて」は、

「テケリ・リ! テケリ・リ!」

に大爆笑してしまって、なにもかもが台無しでした。
てけりーり〜♪てけり〜り♪
さあ貴方もご一緒に恐怖のショゴスベッドにダイビング!などの、ろくでもないネタが頭の中をぐるぐると。多方面に展開する、多方面でイメージが形成される作品については、最初に出会ったものが作品に対する全体的な心象を決定してしまう、ということを改めて思い知りました。
よかった、ダンウィッチは多分最初にまともな本で読んでいるはず。

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