加藤尚武、講談社学術文庫。
うーん、講談社学術文庫はいい仕事をしているなあ。最近つくづくそう思います。
「現代の倫理学で議論される原理的な問題と応用倫理学で取り扱われる内容を、明確に描き出したい」(あとがきより)
倫理的であれ、道徳的であれ、正しくあれと言うけれど、ではその「倫理」「道徳」「正義」の基準は一体なんであるのか。何処にあるのか。どう決まるのか。
「この本は、臓器移植や環境問題、ナチスとアンネ・フランクというような現代の道徳的なジレンマ・難問を中心にして組み立てられている。われわれの生活文化の中に、同じようなジレンマ・難問が発生する可能性がいつもある。倫理学は、問題が発生した時の用心に解決の型を用意しておかなくてはならない」(まえがきより)
倫理という言葉は知っているけれど、倫理学って一体なあに?という人にも、まえがきのこの言葉ですぐに理解されると思います。ところどころ専門用語や学術的な記述があって、「読み物」としてはちょっと難易度が高すぎるのではないかしらという気もしますが、わかるところだけわかるように読んでも面白い話題がたくさん取り上げられます。
第1章 人を助けるために嘘をつくことは許されるか
第2章 十人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか
第3章 十人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか
第4章 エゴイズムに基づく行為はすべて道徳に反するか
第5章 どうすれば幸福の計算ができるか
第6章 判断能力の判断は誰がするのか
第7章 <……である>から<……べきである>を導き出すことはできないか
第8章 正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同の利益で決まるのか
第9章 思いやりだけで道徳の原則ができるのか
第10章 正直者が損をすることはどうしたら防げるか
第11章 他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか
第12章 貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか
第13章 現在の人間には未来の人間に対する義務があるか
第14章 正義は時代によって変わるか
第15章 科学の発達に限界を定めることができるか
「囚人のジレンマ」という有名なゲームについて説明されているくだりを立ち読みで読んでみるのもいいかもしれません。全体にずばりと爽快な語り口で、座右の銘にしたいような名言が目白押し。
「現代で特に功利主義批判が重大な課題になってきているのは、実はベンサムやミルの時代にはまだ発生していなかった功利主義と自由経済と民主主義の組み合わせシステムができあがってしまったからである(中略)。歴史的に言えば、世俗化、市場化、民主化はばらばらに起こった出来事で」ある、という指摘にあっと意表を突かれました。そういえばそうだ、現代という時代とシステムに生きているわたしには、この三つの組み合わせは自明であり、最初からそうであったような錯覚を抱いていますが、近代化などというものはまさしく「近代」のものでしかないのですよね。成る程なあと思うと同時に、時代背景によって「正しい」ということが左右される可能性にも思い至り、倫理や道徳などの絶対的なイメージのあるものの、実は相対的なものでしかないのかしら、と「波の来ない砂漠で、砂上の楼閣の上に暮らしている現代人」の現状に、そこはかとない不安を感じもします。後のほうの章でその「相対主義」も否定されてしまうわけですが。
第7章の「〜である」と「〜べきである」の関係は、この間読んだ『子どもための哲学』の中で論じられている「悪いことはしてはいけない」という疑問とほぼ同じです。続けて読むと理解度が上がって興味深い。
功利主義の問題点を語るとき、しきりとカントが引用されるのですが、カントのこういった解釈をはじめてみたのでびっくり斬新です。カントといえば「ア・プリオリ」と「理性」のイメージしかない貧弱な知識がいかんのですけどね……。
わかるところだけを読みたいように読んで、わかるところだけ好き勝手に楽しむ読み方ができる入門書。もっと知りたいと思わせてくれたポイントだけ、引用と紹介に従ってさらに専門書を読むというやり方もできます。
うーん、講談社学術文庫はいい仕事をしているなあ。最近つくづくそう思います。
「現代の倫理学で議論される原理的な問題と応用倫理学で取り扱われる内容を、明確に描き出したい」(あとがきより)
倫理的であれ、道徳的であれ、正しくあれと言うけれど、ではその「倫理」「道徳」「正義」の基準は一体なんであるのか。何処にあるのか。どう決まるのか。
「この本は、臓器移植や環境問題、ナチスとアンネ・フランクというような現代の道徳的なジレンマ・難問を中心にして組み立てられている。われわれの生活文化の中に、同じようなジレンマ・難問が発生する可能性がいつもある。倫理学は、問題が発生した時の用心に解決の型を用意しておかなくてはならない」(まえがきより)
倫理という言葉は知っているけれど、倫理学って一体なあに?という人にも、まえがきのこの言葉ですぐに理解されると思います。ところどころ専門用語や学術的な記述があって、「読み物」としてはちょっと難易度が高すぎるのではないかしらという気もしますが、わかるところだけわかるように読んでも面白い話題がたくさん取り上げられます。
第1章 人を助けるために嘘をつくことは許されるか
第2章 十人の命を救うために一人の人を殺すことは許されるか
第3章 十人のエイズ患者に対して特効薬が一人分しかない時、誰に渡すか
第4章 エゴイズムに基づく行為はすべて道徳に反するか
第5章 どうすれば幸福の計算ができるか
第6章 判断能力の判断は誰がするのか
第7章 <……である>から<……べきである>を導き出すことはできないか
第8章 正義の原理は純粋な形式で決まるのか、共同の利益で決まるのか
第9章 思いやりだけで道徳の原則ができるのか
第10章 正直者が損をすることはどうしたら防げるか
第11章 他人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか
第12章 貧しい人を助けるのは豊かな人の義務であるか
第13章 現在の人間には未来の人間に対する義務があるか
第14章 正義は時代によって変わるか
第15章 科学の発達に限界を定めることができるか
「囚人のジレンマ」という有名なゲームについて説明されているくだりを立ち読みで読んでみるのもいいかもしれません。全体にずばりと爽快な語り口で、座右の銘にしたいような名言が目白押し。
「現代で特に功利主義批判が重大な課題になってきているのは、実はベンサムやミルの時代にはまだ発生していなかった功利主義と自由経済と民主主義の組み合わせシステムができあがってしまったからである(中略)。歴史的に言えば、世俗化、市場化、民主化はばらばらに起こった出来事で」ある、という指摘にあっと意表を突かれました。そういえばそうだ、現代という時代とシステムに生きているわたしには、この三つの組み合わせは自明であり、最初からそうであったような錯覚を抱いていますが、近代化などというものはまさしく「近代」のものでしかないのですよね。成る程なあと思うと同時に、時代背景によって「正しい」ということが左右される可能性にも思い至り、倫理や道徳などの絶対的なイメージのあるものの、実は相対的なものでしかないのかしら、と「波の来ない砂漠で、砂上の楼閣の上に暮らしている現代人」の現状に、そこはかとない不安を感じもします。後のほうの章でその「相対主義」も否定されてしまうわけですが。
第7章の「〜である」と「〜べきである」の関係は、この間読んだ『子どもための哲学』の中で論じられている「悪いことはしてはいけない」という疑問とほぼ同じです。続けて読むと理解度が上がって興味深い。
功利主義の問題点を語るとき、しきりとカントが引用されるのですが、カントのこういった解釈をはじめてみたのでびっくり斬新です。カントといえば「ア・プリオリ」と「理性」のイメージしかない貧弱な知識がいかんのですけどね……。
わかるところだけを読みたいように読んで、わかるところだけ好き勝手に楽しむ読み方ができる入門書。もっと知りたいと思わせてくれたポイントだけ、引用と紹介に従ってさらに専門書を読むというやり方もできます。
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