『黒龍の柩』

2005年10月24日 未分類
北方謙三、幻冬舎文庫。

まず笑いの種扱いしたことを、土下座してお詫びしたいと思います。切腹は痛いので勘弁して。だって帯を書いた人がいけないよこれは!てっきり、土方-坂本間で怪しい協議が成立して、途中から偽史・パラレル・大逆転・if・もしも、などの「超展開」が繰り広げられるのかと思ってしまったのだもの。
その勘違い自体が妄想の域を超えた超展開だと何故気付かないわたし。

上巻読み終わっての感想を一言で言うなら、「新選組なら司馬遼太郎に止めを刺されているわたしでも大喜び」でしょうか。近藤は駄目な人ながら嫌味ではなく、沖田の純真さはそのまま可憐であり、山南さん脱走の理由が切なくて大変よい。
それにもまして、勝海舟がおいしいところを一人でさらっていっていますよ。
ずーっと登場、ずーっとおいしい勝海舟を見ていると、そういえば昔むかしは坂本龍馬より勝海舟が好きだったことを思い出します。貧乏御家人の育ちで、江戸っ子で、77歳まで生きて病死したところがわたしの好みでありました。そんな理想に限りなく近い北型版勝海舟が素敵すぎ。
勘定奉行の小栗さまも素敵だ。大人げがなくて頑固で偏屈で。勝に対する態度が面白くて、「じーさん大人気ない」と思っていましたが、今調べたら勝1823年、小栗1827年で、小栗のほうが年下でした。うはあ、なんて思い込みをしていたのか。
土方さん主人公らしいですが、峻烈で冷徹で熱血な、思う通りに格好良い男前でしたので大変満足です。ちらちらと見える可愛げがまたいいのです。
そして島田魁に見る、人物造形の輪郭の切り出し方のあざやかな手際にしびれました。たったあれだけの描写と登場で、島田がどんな人間として存在しているのか非常によくわかり、想像の中ではっきりくっきりとした輪郭を持って浮かび上がってきます。島田魁自体には思い入れは余りないのですが、これは見事にキャラクターが立っている。ここでキャラ立ちという安直にして軽薄な表現しかできない語彙の貧しさが悔やまれます。
登場人物の多くが、日本国内の騒乱というだけでない時代の捉え方をしており、新選組にもワールドワイドな視点を持つ人間がいたという解釈が新選です。純粋に剣だけに生きるのがほとんど沖田だけで、みな少なからず時代の動きと政争と諸外国について思いを巡らしているというのは今まで見たことのない造形です。大抵、世界を視野に入れているのは維新志士側という印象が強いので。
坂本が「ぼく」と言い出したのには、びっくりのあまり椅子から転げ落ちるかと思いました。

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