サンテグジュペリ、池澤夏樹訳、集英社文庫。
初めて読んだのがいつなのかは覚えていないのですが、絵本のような体裁の、横書きハードカバーだったように思います。図書館から借りてきたのは間違いない。そのときは「君はバラに責任がある」という台詞の、一種武骨な感じさえただよわせた直截な言い方が印象に残ったのでした。キツネが王子さまに向かって言った「飼い慣らす」も、およそ友だちになるとは程遠い、支配-服従の・隷属の関係を言い表すのに使うような言葉を「自分たちはまだ友だちではないから」という意味で使うとはなんとおそろしいセンスだ、と仰天したのでよく覚えています。
で、正直に申告すると、「池澤夏樹の新訳でよみがえる星の王子さまの世界」という帯がついているのですが、池澤夏樹を一冊も読んだことのないエセ読書家としてはいったい何が新しいのかさっぱりでした。池澤夏樹訳とそれ以外を読み比べろということなのかしらん。
バラは相変わらず素敵な女性だけれど、わたしの記憶の中では、準備して準備してようやく日の出の時間に咲いたとき、完璧に咲き出でながら「目が覚めていなくって、ひどい姿でしょう?」となおその姿が完璧でない振りをする、虚栄心と切って捨てることができないほどの見栄と意地を張っていたのが、この訳では「彼女は準備にとても手間をかけて疲れたのか、あくびをしながら言った――」になっていて、ちょっと残念でした。はじめて読んだ訳が誰の訳なのか、どうしてメモとって置かなかったのでしょう。反省。
酒飲みの「恥ずかしいんだ、酒を飲むことが」という告白がだいぶ身につまされました。恥ずかしいんだ、恥ずかしいと恥ずかしがることそれ自体が。忘れたいけど酒と違って恥ずかしがっても恥ずかしいことは忘れられないぜべいべー。
「でも、はかない、ってどういう意味?」
「それは、すぐにも失われるかもしれない、という意味だよ」
キツネは素敵だ。ほんとうに素敵だ。秘密を教えるためだけに、飼い慣らされて飼い慣らし、王子さまにその口から、
「きみの悲しみが消えたとき(悲しみはいつかは消えるからね)、きみはぼくと会ったことがあるというだけで満足するはずだ」
と言わしめるキツネ。なんてひどいやつなんだブラボー。すばらしい。ひどいこと、はとてもわたしの心を打つ。
この本を読み終えて思うのは、ひとつひとつのエピソードに作者が何を伝えたかったのか読み取ろうとするより、エピソードが自分にとってどういう意味に思えるか、自分がどういう風にとらえるかの方が大事で、難解でわかりにくい物語から無理に教訓的な意味を読み取ろうとするよりも、相対するたびに自分が変わっていることを感じることができる道しるべみたいなものだと思えばいいんじゃないかしらということです。
かんじんなことは目に見えない、つまり「考えるんじゃない、感じるんだ!」
どうしようもないオチですね。
初めて読んだのがいつなのかは覚えていないのですが、絵本のような体裁の、横書きハードカバーだったように思います。図書館から借りてきたのは間違いない。そのときは「君はバラに責任がある」という台詞の、一種武骨な感じさえただよわせた直截な言い方が印象に残ったのでした。キツネが王子さまに向かって言った「飼い慣らす」も、およそ友だちになるとは程遠い、支配-服従の・隷属の関係を言い表すのに使うような言葉を「自分たちはまだ友だちではないから」という意味で使うとはなんとおそろしいセンスだ、と仰天したのでよく覚えています。
で、正直に申告すると、「池澤夏樹の新訳でよみがえる星の王子さまの世界」という帯がついているのですが、池澤夏樹を一冊も読んだことのないエセ読書家としてはいったい何が新しいのかさっぱりでした。池澤夏樹訳とそれ以外を読み比べろということなのかしらん。
バラは相変わらず素敵な女性だけれど、わたしの記憶の中では、準備して準備してようやく日の出の時間に咲いたとき、完璧に咲き出でながら「目が覚めていなくって、ひどい姿でしょう?」となおその姿が完璧でない振りをする、虚栄心と切って捨てることができないほどの見栄と意地を張っていたのが、この訳では「彼女は準備にとても手間をかけて疲れたのか、あくびをしながら言った――」になっていて、ちょっと残念でした。はじめて読んだ訳が誰の訳なのか、どうしてメモとって置かなかったのでしょう。反省。
酒飲みの「恥ずかしいんだ、酒を飲むことが」という告白がだいぶ身につまされました。恥ずかしいんだ、恥ずかしいと恥ずかしがることそれ自体が。忘れたいけど酒と違って恥ずかしがっても恥ずかしいことは忘れられないぜべいべー。
「でも、はかない、ってどういう意味?」
「それは、すぐにも失われるかもしれない、という意味だよ」
キツネは素敵だ。ほんとうに素敵だ。秘密を教えるためだけに、飼い慣らされて飼い慣らし、王子さまにその口から、
「きみの悲しみが消えたとき(悲しみはいつかは消えるからね)、きみはぼくと会ったことがあるというだけで満足するはずだ」
と言わしめるキツネ。なんてひどいやつなんだブラボー。すばらしい。ひどいこと、はとてもわたしの心を打つ。
この本を読み終えて思うのは、ひとつひとつのエピソードに作者が何を伝えたかったのか読み取ろうとするより、エピソードが自分にとってどういう意味に思えるか、自分がどういう風にとらえるかの方が大事で、難解でわかりにくい物語から無理に教訓的な意味を読み取ろうとするよりも、相対するたびに自分が変わっていることを感じることができる道しるべみたいなものだと思えばいいんじゃないかしらということです。
かんじんなことは目に見えない、つまり「考えるんじゃない、感じるんだ!」
どうしようもないオチですね。
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