ろくごまるに、富士見ファンタジア文庫。「封仙娘娘追宝録」シリーズ1・2巻。

5年ぶりに新刊が出たということで、借りて読みました。持ち主から聞く前評判。
「殷雷刀かわいいよ殷雷刀」
そうか、刀で擬人化すると男の殷雷が可愛いと申すか持ち主(27歳男)よ。
度し難い業の深さよのう。
ざくっと読みました。以下感想。

『天を騒がす落とし物』
下半分が白いよ!下半分どころか改行が多くてページの半分くらいが白い気がするよ!
ヒロイン仙人がうっかりして宝具を人間界にぶちまける。人間に戻って拾いにいく。護衛に刀の宝具をつけてもらう。刀は人型に化けるし意思もあるし喋りますよーというところからはじまる一人と一本の珍道中。
・前評判どおり刀は結構可愛い。
・後半の展開はやすぎ。
・非常にベタだけど、器物がその本性によって能力を発揮し/制限されながら戦うのってときめくよね。

『嵐を招く道士たち』
・回収が進むほどインフレする敵味方の戦力を調整するために気をつけている作者の手の内が露骨過ぎてちょっと困る。
・ときどき登場人物の心理展開がはやすぎる。
・シリアスとギャグの絶妙な配分、というか境界線をぎりぎり綱渡りタイトロ−プダンサーな空気がおもしろくてよいですね。

ここでやめてやるー!ということはなく、むしろさー次巻行ってみようー!という楽しさ。

『伝奇集』

2006年2月15日 読書
J.L.ボルヘス作、鼓直訳、岩波文庫。短編集。

八岐の園
 トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス
 アル・ムターシムを求めて
 『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール
 円環の廃墟
 バビロニアのくじ
 ハーバート・クエインの作品の検討
 バベルの図書館
 八岐の園
工匠集
 記憶の人、フネス
 刀の形
 裏切り者と英雄のテーマ
 死とコンパス
 隠れた奇跡
 ユダについての三つの解釈
 結末
 フェニックス宗
 南部

物語と言うよりは、観念と記号と数学と世界の構造大解体再構築な印象の強い短編集。凝縮されすぎて説明するのがとっても大変な短編がこれでもかと詰め込まれています。実在しない書物に、実在しない書物の引用・注釈を散りばめ、実在しない誰かが実在しない世界を語る、だけでなく虚構と現実をあっさりまたぎこして実在も架空も区別なく平等に扱われていたりするので、一体どこからどこまでが本当で嘘なのかめくるめくメタフィクションへダイブしたい人にはとてもおすすめ。このメタ加減はエーコといい勝負です。というか「バベルの図書館」は間違いなく『薔薇の名前』を直撃していますよね。図書館の主の名前はホルヘだったし。

時間の並行と「ありとあらゆる可能性が同時に存在する」本/迷宮について語られる「八岐の園」を読んでいると、選択肢によって物語が分岐してゆくPCゲームソフトを思い出します。ノベル形式でループものだったりすると倍率ドン。ありとあらゆる可能性を繰り返し、並列させ、選び取り、やり直す。あるいは現在の選択によってさかのぼって過去がつくられる。「時間」と物語の関係を愛する人間には、他の「時間」ヴァリエーション短編は心臓直撃のときめきです。誰か「アル・ムターシム」と「ハーバート・クエイン」に登場する本の内容をコンセプトに物語を書いてはくれないものかしら。
「バビロニアのくじ」の数学大増殖な雰囲気はどこかで見たことがあります。が思い出せない。「バベルの図書館」はやっと出会えたねひゃっほー!とわたし大喜び。「記憶の人」「刀」はふつうにストーリーがあってとっつきやすいのでどうぞ。「死とコンパス」はなにこの殺し愛、とうっかり萌えました。

時間を扱ったノベル形式な18禁PCゲームソフト(複数)については、タイトルをあげると検索で無駄足を踏む人が大量発生してしまいそうなのでご想像におまかせします。ていうかメジャーすぎて名前挙げるのが恥ずかしいようわーん。
高村薫、新潮社。

長いこと読みさしで放置していた下巻、ようやく読み終わりました。相変わらず盛り上がってからはノンストップなのですが、盛り上がるまでが重いこと重いこと。格闘いたしました。

そしていったいどう感想を書いたらいいのか途方に暮れます。『照り柿』以降毎回途方に暮れている気がする……。
とりあえず言えることは、理解不能であった現在の日本の政治が、なぜにああもう曖昧に不明瞭で理解を拒むのか理解できました。民衆の要求と体制の鈍重さを政治家がすり合わせ、さし当たっての決断だけで進むその日々が、このような毎日を繰り返し積み上げたのが政治だというなら、この混迷も時代遅れもさもありなん。理解不能な現代日本の政治経済についてのとっかかりとしては十分でありました。
人間が濃い。執拗な描写が一人一人をリアルにぶ厚くしている。主人公の青森の代議士福澤榮は、作者の作り出した架空の政治家であるのですが、作者は別に政治家でもなければ男性でもない、ただの小説家であるというこの驚異。公開されている資料だけで書いて、新聞社やらなにやらの専門筋から「どこから情報を仕入れたのですか」と質問されるその綿密な下調べと精確な想像力!作家恐るべし。今この人にかなう力量の小説家ってどのくらいいるのでしょう。
そして読み手がもの知らずにも程がある政治無関心層ゆえに、日本語として理解できてもどういう意味なのかわからない部分が多すぎです。たとえば「二百海里」が成立した、という一文が言わんするところは、海産物や海底資源に関する利権と縄張りの線引きのし合い、どころか自分に有利なように大国が線を引いてしまった、ということなのですが、こういう風にちゃんと理解できた部分のほうが多分少ないです。おそらく半分くらいなんのこっちゃです。
かなり最初から「息子の優が参議院から知事に転身した」と何度も繰り返されているのに、下巻の半ば、寺の本堂で集まって話を始めた辺りを読んで「これはいったい何がどうなのか」とちっとも仕掛けがわからずに考え込んだわたしはアホです。重森についても既に結果がわかっているのに、どうなるんだろうと思って読んでいました。これは記憶力がないのではなく、書いてあることをそのまま読んだだけでどういうことか理解していなかったよい証拠だと思います。
彰之の語りが中途半端に終わってしまったような気がしていますが、初江さんひどい女だな!ひどいっていうか駄目な女ですね。いや、ひどい上に駄目な女か。しかし男にとって強く気を引かれる女だということはよくわかった。しかし腹立つ。さらに腹が立つのは秋道だけれども、ラストの赤犬の仔を彼の暗喩として考えると、ものすごく暗澹たる将来が待っているのではないかと憂鬱になります。彰之の悟りっていうか明日はどっちだ……。
下巻が残り三分の一ほどになったところで、終わるのかと心配になりましたが、どこで終わっても同じ、あるいは終わりなどないというような気にもなりました。金庫番の自殺の話に焦点が合い、それがきちんと回収されたところで終わっていますが、語り続けようと思えばあと5冊くらいは続いたのではないかと思われます。
次があるとしても優はない。むしろ睦子さんが見たい。次男は次男でしかない器の小ささで、次世代は父親は廃業しても政治家はやめないとのたまった榮に比べるとみな粒が小さくて誰か物語の主人公になれるのかしら。
感想の書きようがないので、読んでいる最中に思ったことのうち思い出せることだけをだらだら書いてみました。感想やレビューを求めてネットを探してみたけれど、参考になる感想は見つけられませんでした。みんなこの本のどこを読んでいるんだ、どこから読んだらいいんだ、ヒントプリィィーズ!
苑崎透、電撃文庫。同名ゲームのノベライズ。

昔むかあし、この本の持ち主に「ここが面白いよ!」と見せてもらった部分がとてもつまらなかったので、全編そういう雰囲気だったらたまらんわと勘違いして敬遠しておりました。予想とだいぶ違っておりました。食わず嫌いはよくないことを実感しました。

しかし開いてびっくりしたのが、ルビの多さ。なんかもう真っ黒じゃないですか。この真っ黒さには見覚えがあるぞと思いつつ読んでいたら、始まってしばらく「古橋秀行っぽい文章で神坂一のネタを書いてみる」というハイブリッドに複雑骨折な文章が続いて生ぬるい笑みが浮かびました。奥付は1997年4月発行。カバー折り返しの内容紹介も、ああいかにも1997年という時代を感じさせてこっ恥ずかしいですね!恥ずかしいのは自分の若かりしころであってこの本のことではありませんけどね!
うっかりエキサイトしてしまいまいた。そんな前半を通過して、悪魔主義者の友人が登場するあたりからは、借り物ではない作者の文章が流暢に盛り上がっていい感じ。

「なんでもなあ、プラトンの『笑いについて』と交換だったらしいぜ」
(中略)
かつてその数少ない写本の存在が、アレクサンドリアさえかすむ世界最大の図書館を焼失させる原因にさえなった。だが、改革派が盛んな現在、その異端性になんの意味があるのか。

オタクって自分が好きなもののためなら、ジャンルという目に見えない垣根を飛び越えていくどころか、サブカルも純文学も文化論も宗教論も歴史もおかまいなしに自分の趣味の名の下に統合してしまうおそろしい生き物ですよね。うむ、だがそれがいい。それでなくてはオタク読書の楽しみなどない。
わがまま放題振り回し型ヒロインと、巻き込まれ主人公が好きな人は楽しめるのではないかと思われます。ああ面白かった。
イラストの人はなにゆえに「美形」と指摘のある狂信者をあんな顔に書いたのだろうか。美形?
小谷野敦、ちくま新書。

童貞であること、もてない苦しみ、恋愛弱者の定義、近代の恋愛教の洗脳、などを「もてない男」の視点から論じた本。まじめな手続きで論証しながら作者が愉快に語る内容は、爆笑必至なり。

再読。
この手の本は一般向けに妙にセンセーショナルな売り方をすることがあります。この本も、表紙にある引用文や各回のタイトルを見ていると、巷にあふれる恋愛の本と勘違いしそうになります。が、よく見ると全く違い、比較文学から文化論、セクシュアリティおよびフェミニズムについてと、幅広くアカデミックな内容なのです。
そこら辺を見落として読んだ初回は、売り方から期待されるイメージと一致しない内容に「タイトルと全然違う本だねー、微妙」で済ませてしまったのですが、今回はちゃんと読みました。読めました。
妾の機能、定義に関する考察が面白かったです。そういえば家族法を専攻した「家族」大好きな知り合いの本棚には、家族や夫婦について制度や文化から論じた本はたくさんあったけれど、妾について論じている本は見なかったわー。日本には長い長い妾の歴史があるのだから、研究本を読むのも楽しげです。
「もてない男だから、もてない男について書く、女については女が書いてくれ」と(言う割にはときどきぽろりと迂闊な発言をしていたりしますが)、もてない男の視点に徹して書いているのが良心的に感じられていいですな。
さくっと読める厚さで、とても読みやすい。おすすめ。

ノートパソコンの画面があまりに見づらくて、自分が何を書いているのかいまいち掴めません。すごい文章になっていても見逃してください。
夏目漱石、岩波文庫。

「夢十夜」「文鳥」「永日小品」を収録。
岩波文庫はストイックでいいですなあ。基本的に仮名遣いと漢字をあらためただけで、送り仮名や難読語についてはルビで対処するという手法をとっているので、原文の雰囲気がかなり残っています。旧字旧仮名で書かれた文章を現代かな新字に直すと、どうも緊迫感のないぬるっとしたのっぺらぼうのようになってしまう……そんなこだわりを捨てられない人間におすすめ。
そうは言ってもやはり原文の美しさにはかないませんけれど。

「夢十夜」
はじめて読んだときに、第一夜のファンタジックな美しさと、第十夜の馬鹿馬鹿しさにしてやられました。第一夜の美しさは原文で読んだほうがより鮮やかですが、こうして手軽に読み返せる、入手も可能な媒体であることはとてもすばらしいですね。
十夜はそれはもうひどい話で、自分内夏目漱石のパブリックイメージぶち壊しでした。
庄太郎は「崖から飛び降りないと豚に舐められますよ」と美しい女に脅されるが、底が見えないほどの崖に飛び込んでは命が危ういと思い断る。女の言葉どおりに豚がやってくる。豚が嫌いな庄太郎は、持っていたステッキで豚の鼻面を殴る。豚はころりと崖下に落下する。一安心したところにまた豚がやってくる。豚を殴る。ふと気がつくと、向こうから雲霞のごとく豚が走ってくる。地平線が豚で黒い。庄太郎は七日六晩豚を殴るが、ついに力尽きて豚に舐められ、高熱を発して寝込んでしまう。
最初に読んだとき、本当に夏目漱石なのかと疑い、読んでから友人に話したところネタ扱いされて信じてもらえませんでした。中学国語の教科書に載っていたよとフォローしてくれた後輩ありがとう。わたしはその教科書使わなかったのでとても残念よ。
第五夜の「蹄の跡はいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似をしたものは天探女である。この蹄痕の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵である」も簡潔ながら強烈で好きです。
「文鳥」
鈴木三重吉に「文鳥いいよー文鳥いいよー」とすすめられて、では文鳥を飼おう、君そろえてくれたまえ、と文鳥を飼い始めた夏目先生の話。
約束した割に三重吉はなかなか文鳥を買ってきてくれない。もう忘れてしまったという頃に、ようやく籠と文鳥を持ってやってくる。忘れていたといいながら、飼いはじめると文鳥の可愛らしさに目がくらむ先生。その割には世話のいくらかを家人に任せ、忙しさにかまけて死なせてしまう。そして「なんてひどいことを」と三重吉にはがきを送る先生。先生かわいいよ先生。
文鳥が昔知っていた美しい女に似ていると思い出すあたりを、何かの評論本で読んだのだけれど、思っていたのと全然違っていました。どうも永日小品の「心」の引用と混ざりに混ざっていた様子。評論などで他人の「漱石の思い出す女がどうこう」という意見を聞くより、先に自分で読んでそれから「この女はどこから湧いた着想なのか」と考えたほうが楽しい。読む順を誤った。
「永日小品」
「同じ作者の大作には見られない、独特の風味やこくを湛えた文章である。
 短編でも随筆でもない、小品という、閑雅な、ゆとりのある、今やいささか耳遠くなった呼び名が、すでに文章の性質をよくあらわしているかのようである」(解説より)
今日も一日寒かった、と冬の日を描いた「火鉢」を読むと、大作よりも小品の方が好きだなあとしみじみします。カバー折り返しの「漱石の最暗部」という言い方はぴんとこないけれど、先生の身近なできごとや心象を通じて、等身大の先生が感じられるような、そういった空気が小品集には漂っているのです。
ときどきはっとするような美文だし。
「息が切れたから、立ち留まって仰向くと、火の粉がもう頭の上を通る。霜を置く澄み切って深い空の中に、数を尽して飛んで来ては卒然と消えてしまう」
「火事」を見学に行った野次馬な男の話なのに、どうよこの美文。この臨場感。いいないいなと一人にやにやしています。

以下趣味がばれる連想。
牧野修の「夜明け、彼は妄想より来る」(『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』)を読んでいるときに、夢十夜の第七夜を思い出していた。
小品の「金」は京極夏彦の古本屋と鬱小説家を連想した。
同じく小品の「紀元節」は似たようなことをやらかした自分の過去を思い出して穴があったら入りたくなった。

ところどころわからない部分があるので、学校の授業でやるような詳細な読解のついたテキストがないものかとネットの海を探索開始。
安野モヨコ、講談社文庫。

帯に「美容の道は女道」「最強のキレイとは」と書いてある、ファッション雑誌で連載していた安野モヨコのエッセイ文庫版。

美容の土台は健康よね、としみじみ頷きながら読みました。ファッション‐美容のカテゴリにある雑誌より、美容‐健康のラインを健康に踏み越えそうな雑誌に気をひかれるようになったお年頃の乙女には切実なエピソードたくさんです。
あとは相変わらず、否前回よりも過激に誤解されそうな「可愛いことこそが女子の本懐である」という主張が貫かれております。美しいことがもっとも大切で、仕事ができることより可愛いことのほうが重要。同性ウケよりも異性ウケに決まっている、彼氏あるいは旦那に守ってもらうファッションが正解……。
しかしこの主張の中には、男性に従属する、という成分はほとんど発見されないのでした。「悪いこととしてはいけないの関係」を思い出します。
なんだか別の意味で男が眼中にないような気がする本。

この本が主にターゲットとしている若い女性層のうちどのくらいが「赤線地帯が発生」というたとえを理解できるのか、平成16年という奥付を眺めながら考え込んでしまいましたとさ。
木村裕一作、あべ弘士絵、講談社。

あらしのよるに第7巻。

1〜6までを箱入りセットで買ったあと、特別編だけサイズが揃わないのは嫌だと見送っていたところに、サイズの揃った本編最終巻を発見。『しろい〜』は買ってないけど読む順番はこれでいいのかしらとどきどきしながら購入。

なかったことにしました。

2ちゃんねる風に言うなら、あまりの「厨テンプレ」にドン引き。
あるいはどこのへ(ryですかと小一時間。
あー、なんかほら、いい単語がある、こういう「なかったことにしたい」という気持ちを簡単にいいあらわす単語が。

自分的黒歴史。

……。
もう最近の自分のやる気のなさにどうしたものかと思う気力も根こそぎになるような感想ですね。
古橋秀之、ファミ通文庫。

近所の書店に売っていなかったのでネット通販したら、年明けになってしまいました。出遅れ感山積み。

ドリルが地下から出てきて「ドリドリドリッ!」と笑ったり威嚇したりしてもあんまり感銘を受けない自分に、感性が磨耗したのねーと思ったけれど、
「わが妹エリカの流法はネコミミ! ”野生の生命力”を暗示するッ!!」
で吹き出したので大丈夫だと安心しました。ちなみにここ「流法」に「モード」とルビ振ってあって、「ネコミミ」はゴシック太文字です。
「恋する妹はせつなくて、お兄ちゃんを想う時その肉体は鋼鉄と化す」(「鋼鉄」には「はがね」のルビあり)
など、近年この手の本はサブカル好きにしかわからないネタに特化してますけど、ネタ元がわからないとつまらないし、わかったらわかったで己の駄目人間ぶりを再認識して落ち込みますよね。
という感想で全体をまとめられるだろうかと目論見つつ読み進めていましたが、一番笑ったのは、
「兄者――ッ!!」
でした。198ページからページをめくるたびに呼吸困難になるほど笑いました。くそう、これなら元ネタを解する必要はない!おのれ古橋秀之!繰り返しは三度までというお約束をさりげなく守っているのもいいネ!
つられて喋り方も変わると言うものです。
せっせと『ラヴクラフト全集』を読んでいるおかげで、海冥寺の出番はおかしくてしょーがありません。異界の形容しがたきものの描写がすさまじく「らしい」。スカートの下から鎌といったらペトルーシュカよねー。
民萌書房や『定本ラブ(はあと)クラフト超全集』など、ちりばめられたネタに言及しているとキリがないのでここまでー。なんだかんだいっておそろしく巧いのに、なぜに「もうちょっと売れるといいね」の評価を不動のものにしているのかしらと不思議に思いつつ次の巻へ続く。ああ楽しみ。

『毛利元就』

2006年1月2日 読書
松永義弘、学陽書房人物文庫。

タイトルそのまま、毛利元就の75年の生涯ダイジェスト。文庫一冊でやろうとしたのがそもそもの敗因のような気がします。これで「文庫書き下ろし傑作長編」(背表紙より)って言われても。長編?傑作?
嘘はいかんなあ嘘は。

毛利元就は出てくるのがもう少し遅ければ、という話を家主としていたのですが、この人とにかく早い。織田信長が出てくる頃には地元平定してぶいぶい言わせていた、その領地なんと「中国・九州・四国十三州」。
それにしても南のほうのひとたちは、せっせと京都まであがってきますね。北のほうは、武田がぎりぎり届かなかったくらいかな?伊達は出てきてないし(白頭巾の酒飲み坊主については例にならない気がするのでパス)。関が原のときなんて船仕立てて九州からのぼってくるくらいアクティブですよね。
で、戦国時代からの恨みをえんえんと400年持ち越して、いまだ明治維新だと立ち上がる中国四国九州のひとびと面白い。興味深い。元就が軽く朝廷に献金したら、400年後に尊王派が台頭する原因になったとか、因果と言うやつはどうめぐるかわからないものです。

元就が順調に勢力を増大していく様子が、新年早々に読むには丁度いいおめでたさでしたが、史実並べて間にキャラクター挟んで、史実並べてキャラ挟んで、と、まるで油分と水分が分離しきって層になったドレッシングのようでした。なじんでない。元就の造型もつかみにくく、各エピソードにつながりが見出しにくかったりするし。評価は微妙によろしくない。

1 2 3 4 5 6 7

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索