『猫舌男爵』

2005年3月5日 未分類
皆川博子、講談社。

イエス!イエスイエスイエス!!
どうやら4が限りなく正答に近かったらしいです。思わず拳握ってガッツポーズしながら快哉を叫びました。それから愚昧なる編集者に怨嗟の声をあげました。詳しくは次回(の皆川博子の本感想)にして、以下感想。

「水葬楽」
広い広い、迷宮さながらの館に住むわたしと兄。母は豪奢な青貝と真珠の装飾を施された蓋つきの水槽に、しばらく保存されてそれから溶けた。父も養液に満たされた水槽の中で、脳の作る音楽を聴きながらいつか果てた。その間にわたしと兄は侏儒に出会った。侏儒は今はもう死に絶えた人々や言葉や世界の話をわたしと兄に教える。館の住人から空気同様に扱われていたわたしは、初めて言葉を教わり、書くことを知った。
多分、現在とは少しずれた世界の近未来。水槽は水葬。侏儒が語る言葉は強烈で容赦がない。わたしは周囲のエゴに晒されて、結局ものを綴るしかなくなってしまったのだろう。侏儒の罵倒と、わたしが受けた扱いの露骨さに、皆川博子の恐ろしさを知った。これだけの物を描く人が何故にあのような本を書いたのだろうか、と首を傾げたけれど、後日『鳥少年』の解説を読んでたいそう納得した。BGPが素晴らしい。西條八十とかランボーとか、もしかしたらユーゴーとかそんな感じ、と思ったら実際そうだった。これら著名な詩人が馴染む物語と言えば少しはイメージが伝わるか知らん。
「猫舌男爵」
これがもう、辛辣な皮肉なのか、それともそんなことは百も承知な慈愛に満ちたユーモアなのかちょっと判別がつかないほど戯画化された、エセ教養人の姿を描いている。一度「ぷっ」って失笑してからは爆笑につぐ爆笑。日本文化が好きです、とのたもう半可通の青年が訳した「猫舌男爵」という私家版のあとがきからはじまり、あとがきが周囲に及ぼした波紋を通過し、何故か登場人物が幸せになるという奇妙奇天烈な話。最初はヤン・ジェロムスキがまっとうな人間であると信じていたので、ねこしたって何よ?くらいにしか思わず、「THE NOTE BOOK OF KOHGA’S NIMPO」に不意打ちくらって腹がよじれるほど笑った。コーガ。ニンポ。ヤマダ・フタロ。歴史その他に関する知識も明らかにうさんくさい。ヤギによる拷問は相当に酷いはずなのだが……。「猫舌」をねこした、と読み、猫のように棘のある舌を持つ男爵が、夜な夜な乙女を攫って足の裏をなめる拷問をするのだろうか、と想像するところまではそれほどおかしくはないのだが、そこから先が想像を絶する。勝手に好きな女の子を登場させては、そのボーイフレンドに「彼女とどういう関係だ」と後日問い詰められたり(その彼女とボーイフレンドもたいそう人間がお粗末だったりする)、日本語の教師であった恩師の名前を辱めた挙句、過去の話を勝手に公開して家庭崩壊に導いたり。実にコミカルにエセ教養人の誠意のない翻訳のありさまや、それを許す本人の軽薄さを描き出している。ここまで厚顔無恥なら人生楽しくて仕方ないだろうな……。そういえば長々と自分の思い入れを不得要領に書き送った日本人の手紙も相当おかしい。見た瞬間、絶対にジェロムスキ青年には読めないだろうなと確信してしまった。
「オムレツ少年の儀式」
少年がオムレツ係になってから三日目の朝。恵まれた生い立ちではないけれど、母と二人暮らす少年は、マリア様がみていらっしゃることを心の励みにしている。
救いようのないどん底を淡々と描く。尾びれの比喩が幻想的な空気をかもし出してる。醜いものを直視しながら、醜いものの持つ魔的な魅力を存分にみせてくれるのはさすが。醜く嫌悪を催すことと、それにたとえようもなく心惹かれることがまったく矛盾しない。そして人が救済のない破滅の中にとどまっていることは、実際問題いかに言葉を飾ろうと無理であると冷徹に宣言しているように見えた。破滅に向かってひた走る、というところから連想したのは『罪と罰』だった。
「睡蓮」
書簡と日記で構成されている。早熟の天才ぶりをもてはやされた女流画家が、ひとり精神病院の部屋で死ぬまでに一体何があったのか。書簡と日記の日付けはさかのぼっていく。
結局のところ、真相はそれらしき姿が垣間見えるだけで、誰も明確な回答をしてはくれない。女流画家が大作家と交流を持っていたこと、似たような作品を葉発表したこと、心を病んで長い入院生活の果てに死んだこと。確かなことはそれだけなのに、日記から手紙から、その背後にあったことがちらちらと、あるいはゆらゆらと立ち上るようである。
一番わかりやすい話だった。
「太陽馬」
世界大戦を背景に、コサックに生まれた男の一生を描いた物語……ではない気がする。激動の時代、国と国が利権のために争い、民族の立つ場所はくるくるとめまぐるしく入れ替わり、明日の運命など誰にもわからない。彼は指の間に張った弦で会話する、「朕」の物語を、戦争で廃墟と化した図書館の本になぐさみに書き付ける。半ば視力を失った士官のために死ぬ。
圧巻。

短編5編を収録。童話でもおさめたかのような表紙の絵で、ふわふわした綺麗な紙。まさかこんな内容だとは。
最近微妙にロシア関連の本に縁があるような気がしてきた。
虚淵玄、角川スニーカー。

完結しました。

……?

なんだろう、後書きにそこはかとない悪意を感じる。気のせい?それとも自己投影による見間違い?

左道鉗子と黒幕が最高。五分の一なら愛せる、五分の一しか愛せないとのたもうた麗人も素敵。頭脳派の社長も捨て難い。
ある意味では愛が完全勝利。
「ある意味でハッピーエンド」が、おおむね「一般的には不幸な状態」なのはなぜかしら?
いい大人が平積みされたライトノベルの棚の前で深刻な顔してるのは、世間一般の目から見て十分に怪しいと思うのですよ。ライトノベルの品質やら世間一般という謎の客観性について論議したいわけではないのでとっとと結論に向かいますが、要するに、

作品に設定された客層が、ひとつのジャンルとしては異常に広くないですか?

小学校低学年の夢見るお年頃(しかも女の子)から、ミリタリーオタクな三十代(多分男性)までカバーできるジャンルなんてそうそうないと思うんだけどどうですか。
つまり何が言いたいのかというと、今日本屋で新刊平積みされてた『鬼哭街 鬼眼麗人』買ったんだけど、探してる間なんかいたたまれない気持ちになったってことです。なんで18禁PCゲームのシナリオライターが書いた本と乙女向け少女小説のBL本が一緒に並んでるんだよー!

この分類を最初に考えた人って神だと思う。多分どっかで「死んだ」って言われてる神だと思うけど。
森博嗣、中央公論新社。
「ジャンル、森博嗣」としか言いようのない本。冒頭に置かれるエピグラフもまたいつもの通りに意味不明。ただ、今回はかなり有名どころなので、切り取った部分以外もわかる読者が多いことは作者も承知なのかもしれない。いつも全速力でそ知らぬふりで、ついてこれない人間は置いてけぼりなのが森博嗣。

どうしても触れておかずにはいられないのが装丁の美しさ。この美しさに引かれて、森博嗣を初めて手に取った、というひとも少なくないらしい。本屋に新刊で広く平積みされていたとき、そこだけ切り取った空が広げてあるような不思議な空間をつくりだしていた。人間がいない、極限の世界を美しいと思う心のあらわれ、なのかもしれない。
主人公は飛行機乗り。戦争を知らない世代の次の、戦争を知る世代。大人は戦争を知らない、子どもは戦争を知っている。そんな近未来を舞台に、大志もなく漠然と空を飛んで人を殺す。漠然と人に殺されるのを待っている。日常と戦争は一続きで、人を殺した右手でハンバーガを食べる。そこになんの区切りもない。
温度のない曖昧な、数値だけがはっきりした世界で、人を殺すことと人に殺されることと死ぬことについてぐるぐると考える主人公。殺されるまで死なない生き物である子ども達は、生きるということの定義が通常考えられるそれからはるかに逸脱している。
あらゆるもものの価値が等価であるといいたげなまなざしが捉えた世界。あらすじだけを切り取ると、たいそう悲惨なはずなのに悲壮感は何処にもなく、読み終えると残るのは、さっぱりした空気だけだった。

個人的に空中戦とバルブの改良とエンジンの開発はときめき度高かったです。ロマンだ。
1、うろ覚えで探したので、良く似た名前の別人と間違えた。
2、そもそも探す人の名前を間違えていた。
3、探していたのも借りてきたのも確かに皆川博子で間違っていないが、
 A)ジャンルによって作品の質に差が有りすぎる人だった。
 B)作品ごとに出来不出来の激しい人だった。
 C)友人が皆川博子を過大評価していた。
    C’)ってういか友人が言っていたのは皆川博子とは別人だった。
 D)世間一般の感性をわたしが持ち合わせていなかった。
 E)皆川博子がへちょかった。
4、上記以外の原因により、知らないうちに不幸なすれ違いが起こっていた。

上記の設問を回避した場合、以下の可能性にたどり着くので注意。
1)作者が趣味丸出しで設定した登場人物が贔屓されてるとテンション下がるよね。
2)登場人物に作者の「好みのタイプ」が露骨に反映されていて、かつパロディでもパスティーシュでも色物でもネタ物でない場合は漏れなく倦怠感に襲われるよね。
3)ぶっちゃけ物語に関係ない作者の趣味なんてどうでもいいので、いい加減にしろ。
4)看板に偽りがあるのって駄目だと思う。

すいません。
なんとなく三谷幸喜。
芸能ネタはすなわち時事ネタであるのだなあつくづくと思った。
少なくとも10年単位で待たないと、それが残るものであるかどうかもわからない辺り(そして10年経ったら記憶にない辺り)。

『気まずい二人』角川書店。
人見知りで微妙に自意識過剰の三谷幸喜が、女性ゲストを呼んで恐怖の対談に臨む。で、それをまとめて「おおむね対談集」にした本。
初回の会話の途切れっぷりが面白い。「耳に入ってません」とはっきり言い切る三谷幸喜の態度に爆笑。これだけ面白かったら話し下手でも許されちゃうかもしれない。一人で外食するときに視線の収まりどころが悪くて居心地が宜しくない、プールで泳いだとき一方通行で歩いて帰ってくるとき何を考えていいのかわからない、など日ごろ感じていた座りの悪さを共有できる人がいたのが妙に嬉しかったです。本を片手に喫茶店は平気でも、一人で黙々と食事するのってなんかこう、視線が泳ぐというか考えが泳ぐというか、わたしはとにかくいたたまれない気分になります。
そしてこの本のもっとも偉大な点は、「(笑)」を一度も使用せずに会話の雰囲気を再現しているところにあると思います。「(笑)」は便利なだけに安易に使用してしまいがち、と指摘しつつ華麗にクリアしているのはさすが。脚本家にして劇作家なだけのことはあります。本職の腕が冴え渡る。

『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』朝日出版社。
朝日新聞で連載している身辺雑記を一冊にまとめたもの。シリーズ二冊目。2001年9月25日〜2002年12月25日連載分。
井上陽水ってへんなひとですよね(ものすごく褒めてる)。
芸能ネタis時事ネタの法則。
長野まゆみ、文春文庫『鉱石倶楽部』購入。ハードカバーで昔々に読んで、たいそう待ち焦がれていた文庫化万歳。
写真などの視覚的要素が重要な本は、文庫になると大抵ハードカバーのときに持っていた美しさを失うものだけれども、この本は見事なまでに持ち味の美しさを損なわずに文庫化されている。書き下ろし短編収録の上、写真と小エピソードも追加されていて、長野まゆみのファンタジー理科アイテムが好きなひとは買って損なしむしろ必見。綺麗な石が好きだという人も手にとって見ると良い。美しい言葉と美しい鉱石の写真を集めた美しい本である。
これから怪しい笑みを浮かべつつじっくり眺める予定。
米原万里、新潮文庫。
内容(「BOOK」データベースより)
同時通訳者の頭の中って、一体どうなっているんだろう?異文化の摩擦点である同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる著者が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同時通訳の内幕を初公開!「通訳」を徹底的に分析し、言語そのものの本質にも迫る、爆笑の大研究。

背表紙にあった内容紹介も大体こんな感じ。手応えのある、実にいい重さの本でした。読んだタイミングも良かったし。通訳の仕事の内側を垣間見る爆笑レポートとして読むもよし、美しい日本語で書かれた軽妙洒脱なエッセイとして読むもよし、母国語と外国語との関係についての参考にするもよし、一粒で二度三度四度とおいしい本。「ことば」について興味のある人間なら一読の価値アリ。
罵倒語についてのくだりを読んで、思わずハートマン軍曹を思い出した人はみじんこの類友です。あれは翻訳したひとも、翻訳してくれなきゃ嫌だとのたもうた監督も並みの人物ではない。
実はかなりアカデミックな本、しかし、それを感じさせないほどに洗練された著者の筆力が、「外国語によって母国語を見直す」という言葉を体現していると思う。通訳の人はみんな日本語が綺麗だと作中で言っていたけれど、本人も例に漏れず美しい言葉を使う人でありました。

ところで、大江健三郎がこの本のタイトルを指して「最悪」とのたまったそうですが、最悪なのはお前のセンスだ!と思った人は他にもいると信じている。
『あらしのよるに』がついに完結したので買おうかなーと、6冊セットで6300円に躊躇しつつもここで買わずして何が大人買いか!と右手をぶるぶるさせながら、

九鬼周造の『「いき」の構造』買っちゃった……。

講談社学術文庫はいい本が揃ってるんだけどいかんせん高いんだよなー、と本棚の前をうろうろしていたのが敗因。来月に見送る予定だったのにー!でも、同じ文庫の某事典を買わずに済ませた自分エライ。文庫でも辞書の類は2000円3000円平気でするんだもんなー。厳しい。
先日買った割とまっとうなブツ→『てるてる×少年10』『不実な美女か貞淑な醜女か』

追記。
7yで注文していたのをすっかり忘れて、『不実な美女か貞淑な醜女か』を買っていたことが発覚……。うわああん友人にプレゼントするからいいもんー!(泣)。
ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫。
「新約聖剣」やら「ひぐらし」やらに時間を取られて今月は恐ろしく冊数が少ないけれどもとりあえず「ドストエフスキー読んだぜ」と言えば、こいつに時間がかかったせいだと言い訳できる。多分。

訳のあまりのまずさに第一部で時が止まっていました。誰が発言したかわからないっつーのはあんまりではないのか……。ロシアの歴史や思想を殆ど知らないので、更に混乱しましたがそこら辺は自業自得としてあきらめるとしても!
指示語が具体的に誰を/何を指しているかわからないことが多い前半には泣きが入ったです。「君が言ったです」のような文章が平気で登場するのにも辟易したしな。一番アレだったのは「フランス語をカタカナ表記」で(以下略)。
ステパン氏はどうでもいいですよ。えんえんステパン氏のことを書いている第一部が非常につらかった。でも、ニコライ主導になった二部からは物凄い勢いで読みました。面白い。三倍速で読める。この勢いが下巻でも持続されるなら、下巻は二日くらいで読んでみせる!
ところで思想関係の部分で、途中までたいそうな勘違いをしていたことがわかったのでメモメモ。ロシアのキリスト教信者にとって、神と自然は同一のものではない。自然が人間を創造したという考えは、むしろ科学的な無神論である、と。自然イコール神であるところの日本人思考で読んでいたから、途中まで発言が矛盾してるよなこいつ、と派手に勘違いしていました。がっくり。
京極夏彦、集英社文庫。
ハードカバー、ノベルスときてついに文庫まで出た「でぶ」。版型が変わるごとに買って、結局同じ本を三回読んだ自分の気持ちがわからない。

徹底的にでぶにこだわった阿呆極まる本。くだらなさの極みでもあります。落ちはないわ毎回同じネタを引っ張るわ、一度目は笑っても三度目は笑えない。正直無理。
京極夏彦に何らかの夢を見ている人は読まないほうがいいと思います。
うっとうしくも濃いキャラクターに、くだくだしく繰り返されるしょうもないギャグが許せるという方だけどうぞ。
個人的に笑ったのは「プラナリアが直木賞」のくだりの変更と、巻末ゲスト漫画。元ネタに関する知識が増えるごとに、くすっという笑いも増える本なので、タイトルのパロディ元や、作中の小ネタを理解できるようになってから読むのが吉。
おすすめの買い順は、文庫>ハードカバー>ノベルス。

『文体練習』

2005年2月8日 未分類
レーモン・クノー、朝比奈弘治訳、朝日出版社。

買っちゃったー!高かったけど思い切ってよかった。一冊でこれほど笑って泣いて考え込んで唸らされて原文で読みたいと切に希望した本は久しぶりだ。強いて言うなら、一曲しか収録されていないCDのようなものだろうか。たとえば「パッヘルベルのカノン」などは、様々な人の手による様々なヴァリエーションを集めて一枚のCDに収めてあったりするので参考までに。

バスの中で、帽子を被った首の長い青年を見かける。青年は隣の乗客となにやらもめているようだ。しかし青年はすぐに空いた座席に腰を下ろしに行ってしまう。2時間後、友人と連れ立って歩いている青年をまた目撃する。友人らしき男は青年にコートのボタンについて何か忠告していた。

たったこれだけのできごとを、99通りのヴァリエーションで描き出す手腕にときめきつつおののいた。普通99通りもバリエーションを思いつかないし、思いついても書けない。
訳者がまたいい仕事をしていて、翻訳の不可能性と可能性、その挑戦が素晴らしい。音と意味が密接な関係にある洒落や擬音などはてきめんに翻訳不可能な言葉なのだが、それをこう訳すか!と解説を見るまでわからない苦心や技術やアイディアが凝縮されている。脱帽。そして訳が素晴らしいほど原文を読んでみたくて仕方なくなるのだけれども生憎とフランス語は読めない。それが無性に悔しかった。
装丁も本文レイアウトも軽妙洒脱。それにつけても『ウンベルト・エーコの文体練習』を買い損ねたことが悔やまれる。文庫版の再版を切実に希望。
樋口裕一、PHP新書。
「こんな話し方をするのは頭の悪い人だと思われる!だからこうして改めよう」
一口に言えばそれだけなんだけれども、頭の悪い話し方の実例がぱっと浮かぶ辺りや、「これは頭が悪いよね」と分類される話し方や、人間観察の着目点が非常に面白い。対処法の冷めたまなざしも、時として起こる改善方法の投げ出しっぷりも大変笑いを誘う。
この手の本、つまり文学でも学術書でもない新書を買うのは実に久しぶり。これがいわゆる実用書・ビジネス書というやつなのか。
薄い。
高い。
面白い。
見事な三点セット。つまり、じっくり読まなくても理解できて、ざらっと読んで面白くて、そしてすぐに実用できれば良い、っていうのがこの手の本が売れるための要件だということをしみじみと感じた。そしてちょっと高いのがまた値段設定として実にいいところをついているなあ。
書かれたものの何倍という量の書かれなかったものが、行間からにじみ出ているのが勿体無くて勿体無くて。でもちゃんと書いてしまったら売れない、売れる実用書の範疇からはみ出してしまうというのがわかってジレンマ。個人的には売れなくてもいいからちゃんと書いてくれー、と思うんだけどそうもいかないんだろうなー。
面白くて物足りない。面白いからこそ物足りない。どうせなら「何故そのような話し方をするのか」というところまで各項目ごとに突っ込んだ解説が欲しかった。日本人は「話し方」についての修練が全く足りていないですよね。
だからといって書き方についての修練ができているかと問われると辛いところだけれども。
とりあえず自分でわかる範囲では頭の悪い話し方はしていない……わからない範囲でやらかしていたらもう手の施しようがない。
沈黙は金だが非常に難しい、とはよく言ったもんだ。
虚淵玄、Nitroplus。発行までばっちりニトロプラスです。……って、これ一般店頭では入手できないってことですかもしかして。とりあえず7yとアマゾンで検索した結果では発見できないことを記す。

虚淵玄初のファンタジー、しかも完全書き下ろし、ということで「天挺」と一緒に通販しました。なんの予備知識もなくかつ予想もなく読み始めてみる。
読み終わってみる。
……黒ッ!
あとがきに書いてあるとおり、いつもと違って××××が××××しちゃっているのでなんつーかもう真っ黒ですね!←真っ暗ではないのがポイント。大人の事情万歳!でもこれは確かにゲームのシナリオとして採用は無理ですな……。だって××××が××××してるし。
でまあ以下詳しい感想。
馬といい武装といいカオスチャンピオンといい、いかにも虚淵節炸裂なんだけれども、どうにも「フツー」な文章に首を傾げまくり。わざと?わざとなの?このなんとも大仰かつ安直な言い回しはわざとなの?!なんというか頭の中は映画版指輪で萩原一至(主人公が作中で一番黒いところとかなー)。直前に『鬼哭街』を読んでいただけにどーにもこーにも。
もしかしてファンタジー向いてない?それともわたしが思うファンタジーと「面白い」点がかなり違うのか。
武装と最終兵器にはそれはもうありえんくらいのときめきを感じましたし、ヒロインについても全く綺麗に百舌落しくらいの勢いでひっかけられましたが、それでも評価はイマイチ。
色々と釈然としない。
ミヒャエル・エンデ著、丘沢静也訳。岩波書店。
奇想天外な長短30編からなる、児童文学よりもシュルレアリスムの絵画のごとき連作短編集。
「鮮やかなイメージと豊かなストーリーをそなえた三十の話は、ひとつずつ順番に、大きくゆがんだ鏡像となって前の話を映しだし、最後の話がまた最初の話につながっていく」訳者あとがきより引用。
児童文学の作家とみなされてきたミヒャエル・エンデが、現代を映し出すイメージを求め、神話やメルヘンの形を捨てて辿りついたのがこの辺りらしいです。一つの話は他の話を歪んだ鏡として映しだし、最後の話は最初の話へと続いていく。万華鏡のようなイメージの氾濫でありながら、明確なストーリーを持つ点では、幻想という言葉が相応しいのであるが、むしろここは「物語」と評するしかないと思われる。それも、児童向け文学から児童という制限を取り払った、神話からあの神々の名を削り、童話から「童」を外した、そんな意味での物語。ストーリーを持つが何一つ解明されていないエピソードや、圧倒的なイマジネーションから「ファンタジー」の匂いを嗅ぎ取る私にはこれ以上の適当な分類を思いつかない。
知人から「他の本に比べると難しい」と聞いてはいたけれど、まさかこんな直球勝負の難しさだとは思わず。全編を暗く灰色のしけった空気が覆う。腐り、悪臭を放ち、血を流し、倦怠し、絶望し、閉塞し、落下する。目覚めは否定され、キスは与えられず、女王は世界を滅ぼす。
しかしおそらくここに絶望はない。汚れた擦りガラスの向こう、灰色の空の下には誰かが立っている。誰かは誰かと同じ空の下にいる。
西澤保彦、新潮社。
って、これ新潮社から出てたのか!あまりに馬鹿馬鹿しいカバーに大ウケしたあとだけに不思議に思う気持ちと複雑な笑いが湧いてきた。
カバーの絵を不審に思って確認したら装画・挿絵が喜国雅彦で、納得しながら爆笑した。このセンスたまらん。サイコー。内容との相乗効果が素晴らしい。挿絵に「小説を読まずに表紙を描いたら内容と合っていませんでした」という「おわび」があんまり悪びれた様子もなく紛れ込んでるのも笑った。ちょこちょこと名前を耳にして「面白いセンスだなー」と思っていたけど、次からは笑えるものを期待して探すことにしよう。

「ミステリ劇場」というサブタイトルが実は相当に意味深長で、むしろこちらのほうが一冊の本としてまとまった短編7作品の方向性を明確に言い表している。
「ミステリ」という単語は、謎解きとか推理小説ジャンルとかそういう名称より前に、子どもの頃に見たテレビ番組では怖い話についていた思い出があるので(某奇妙な物語とか、心霊番組とか)、ある意味ではダブルミーニングなのかな。怪獣や改造人間や幽霊が、なんの合理的な説明もなく堂々と登場し、主人公三人組をいいだけ翻弄する脱力系の設定にもかかわらず、ほぼ全編きっちり謎と解決が仕込んである手練の仕事。「怪獣は密室に踊る」は普通にミステリ分類が可能(普通に、というのもおかしな表現だけれど)。108号室にいつまでたっても救助が来ない理由である、とあるしかけについては、実行可能性を考えれば多少現実味が薄いものの、きっとこいつは浮かれたり焦ったりするとろくに周囲を見なくなるに違いない、と思わせるキャラクターの造形で読ませる。いや、これ、実際にやろうとしたらサングラス男の労力が甚大に必要だし、実行したら結構間抜けな労働が必要になると思うんですが。寝室が趣味の部屋と化しているオタクには通用しない技かも……などと思い悩んでも、怪獣が登場するような話に何を求めるかお前はと一喝されそうなので中止。
「聖夜の宇宙人」だけさりげなくお約束を外してるんですが、これは目くらましの弾幕かしら。
夜中に突然7yでレイモン・クノーの『文体練習』と、『MELTY BLOOD公式攻略ガイドブック』を注文してみたり、『フルーツバスケット』の16巻を買ってネタバレ待ち持越ししてみたり、帰省中に友人に勧められてあっさり陥落した『ハッピーロンリーウォーリーソング』を息を詰めて心の中で復唱したり、西澤保彦を手当たり次第借りてきて読んでいたらシリーズ物が一冊混じっていて涙を呑んだとか。
家主が「天挺」と一緒に『白貌の伝道師』を購入したのでとりあえず積んでおく。帯の「全ての虚淵はどす汚れている!」という鋼屋氏の言葉に死ぬほど笑った。『真月譚』の2巻は明日コンビニに届くのでそれまでお預け。そして同時進行で読んでいる『鏡の中の鏡』に危うく違う世界に連れて行かれそうに。
なにはともかく、感想は読んだその日に書かないと手が鈍るということを思い知りました。
西澤保彦、文芸春秋。本格ミステリ・マスターズ。
ふりがなは「かみのろじっく、ひとのまじっく」。
英タイトルが「Logic of God is Magic of Human」。
略して「ろじろじ」って呼ぶのは間違い。
奥付見たら装丁が京極夏彦で、思わず「そっちじゃなくて小説の仕事しろよ!」と口走る。

11歳のぼくは「学校」の寮で同じ年頃の少年少女と暮らしている。「学校」は少し普通の学校と違った不思議なところだが、ぼくは両親のもとに帰る日がそれほど遠くないこと、親しい友達であるステラが綺麗な少女であることなどから、それほど苦痛を感じずに日々を過ごしている。
ある日、新しい生徒が「学校」にやってくることになった。ぼく以外の生徒はそのことに対し、恐怖を覚えているらしい態度を取る。明確な理由はわからないが、新入生による環境の変化は「学校」に住み着いている「邪悪なもの」を呼び起こすきっかけになるらしい。
新入生の登場と同時に事件が起こる。

立て続けに事件が起こるので、犯人は動機はとゆっくり考える暇も与えられない。集団推理は行われるが、犯人が特定されるには事件ではなく作品自体の結末と真相に至らなければならない仕組みになっている。
……「本格ミステリ・マスターズ」の作品に、ほぼ同じ構成のものがあるんですがほぼ同じ構成だとか言いながらまた同じように徹頭徹尾すかーんと騙された自分に対するこの気持ちを一体何処にやったらいいのか誰か教えてください。
認識が社会的なものに影響されるというのはさておき、その認識は身体的に作用したりはしないんだろうか。作用しているように見えるんだけれど、認識が影響を及ぼすのは情動だけで身体構成を左右したりはしないらしい。

あ、認識が知覚を凌駕するといったらあれもそうじゃないですか。
西澤保彦、集英社。
道化師「ハーレクイン」を名乗る謎の男と、彼に願いをかなえてもらうべくビルを訪れる依頼者(主に女性)のあれやこれやを描いた連作短編集。
「トランス・ウーマン」だけが微妙に形態を異にしている。ハーレクインが報酬を明確に要求し、理恵は明らかに尋常ならざる力の介在を体験している。
これが段々「話を聞くだけで全部解決」その場から動かないことを売りにする安楽椅子探偵の趣を呈するのだからやはりミステリである。
あとがきの篠田真由美に、色々な意味で笑いが止まらなかった。そうか、デビューが同じ頃なのか。探偵が美形なのは京極もじゃないかなーとかいらんことが頭をよぎる。あれは探偵が探偵役してないから違うんだろうけど。同じ「ハーレクイン」を書いても篠田真由美のほうが耽美なのがおかしくて仕方がない。宝塚って的を射た評価だよなほんと。
「ピクチャアウィンドウ」の表記にこだわりでもあるのかといぶかしみつつ、篠田真由美に恨みはないと一応明言しておく。
恨みはないよ、恨みは。
『異邦人』西澤保彦、集英社。
23年前、父が謎の死を遂げる数日前にタイムスリップしてしまったわたし。父の死をきっかけに、不本意な人生を歩まざるを得なかった最愛の姉のため、わたしは父の死を回避するべく奔走する。

なんちゅうキュートな話なのか!キュートは違うという方もいるかもしれないけど、とにかく可愛い。何もかも上手くいくハッピーエンドというのはシアワセなことなのだなあ。その幸福な姿こそが愛らしい。
同性しか愛せない姉が、父の死によって実家に戻って家業を継がざを得なくなる。不本意な結婚をしてまで家業を継いだのは、弟であるわたしのためであったと時間遡行してから思い出すわたしの内省をえんえんと読まされる。それでもなおこの話はキュートで可愛らしいのである。
タイムスリップして、迷宮入りとなった殺人事件を阻止しようとするという、SFな設定は西澤保彦の得意路線らしいです。でも、これ「足跡がなかった」っていう時点で既に犯人わかってしまうんですが。というか、最早「タイムスリップして事件に割り込む」という王道展開を見せた時点で、話の構造が丸わかりになってますが。ずばり綾辻某の某ホラーと展開同じ。最近読んだばっかりなので余計に切なかった……。
謎解きよりもセクシュアリティの問題を前面に押し出しているので、骨子というか主題がよくわからないことに。結局重要なのはどっちなんだ。参考文献見たときにうわあと思ったのは私だけではないはず。
そして姉の恋人、季里子のエピソードに「それは中山可穂!」と呟かずにはいられなかった。

『聯愁殺』西澤保彦、原書房。
タイトルの意味が解らない。そして「装丁に使用した絵の著作権所有者さん連絡求む」という奥付手前の文章に爆笑。内容と全く関係ないところでウケてどうする。
登場人物の名字がおかしなことになっているのは、いつものことなのでしょうか。読めねええ。最初は、作家辺りにモデルがいて、その名前をパロディに仕立てたから変な名前なのかなー、とも思ったんですが、どうやらそうでもない様子。『異邦人』でもそうだったけど、登場人物が難読名字というのは西澤作品ではデフォルトなのか。
無差別連続殺人に巻き込まれた梢絵。辛うじて助かったものの、どうして自分が狙われたのか理由が全くわからない。事件から数年経っても殺されかけたという記憶は薄れず、せめて自分が殺されかけた理由、犯人の動機でも知れば不安の幾らかは解消されるのではないかと、「恋謎会」というアマチュア推理集団に真相解明を依頼する。
探偵役を自称する集団がディスカッションすることによって真相にたどり着く、推理合戦の見本のような作品。仮説仮説また仮説。そして仮説の披露と否定と肯定を繰り返し、より「らしい」結論にたどりつく。
「らしい」結論なので、ディスカッションの結果が真相とは限らないわけですが、この途中経過を楽しめない人や、結局真相はどうなってんだよという気の短い方にはお勧めできない。
ですが。この作品なんと二段落ちになってるんですよ。推理合戦のち真相、のあとにもうひとつ章があって、それはもう想像を絶する落ちがついてます。落ちがついてると言ってしまってる時点でネタバレですいません。目次の章立てを見ればわかることなのでネタバレ許せない派のかたは、確認しつつ読み進めることを推奨。
一番怪しい人も怪しくない人も、単独でも共謀でも、誰が犯人でも驚かないぞー、と思っていたけどあの結末には驚いた。途中で「双侶さんが犯人で真相に気付いた面子は皆殺し」「実は恋謎会が全員共謀で梢絵さんお亡くなり」とか相当かっとんだ想像をしていたにもかかわらず、ぽかーんとなりました。参った。

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