しばらく図書館通いもネットもお休みですよ……。
これを期に、しばらく重たい本でもじっくり読むことにします。
引越し先でも図書館が近いといいんだけどなあ。
これを期に、しばらく重たい本でもじっくり読むことにします。
引越し先でも図書館が近いといいんだけどなあ。
『陰陽師 龍笛ノ巻』
2005年3月20日 未分類夢枕獏、文春文庫。
「怪蛇」「首」「虫めづる姫」「呼ぶ声の」「飛仙」収録。
『生成り姫』ってアサヒだったのか!近所の本屋では一括して「陰陽師」とシリーズで並んでたから気付かなかった。
賀茂保憲登場。着ていた水干が黒かったのでびっくりしましたよ。微妙に想像しにくい。そして連れてる式神が超キュート。めんどくさがりやでねこだいすき、って言うとやけに面白かわいらしい人に聞こえる。
あとは道満さんと晴明の、性格の悪さ対決が引き分け。
竹竿でつっつかれる、情けない仙人萌え。
どこがどうだと騒ぐ作品ではないので、個人的にまったり楽しむが吉。
「怪蛇」「首」「虫めづる姫」「呼ぶ声の」「飛仙」収録。
『生成り姫』ってアサヒだったのか!近所の本屋では一括して「陰陽師」とシリーズで並んでたから気付かなかった。
賀茂保憲登場。着ていた水干が黒かったのでびっくりしましたよ。微妙に想像しにくい。そして連れてる式神が超キュート。めんどくさがりやでねこだいすき、って言うとやけに面白かわいらしい人に聞こえる。
あとは道満さんと晴明の、性格の悪さ対決が引き分け。
竹竿でつっつかれる、情けない仙人萌え。
どこがどうだと騒ぐ作品ではないので、個人的にまったり楽しむが吉。
皆川博子、早川書房。
あれ、ハヤカワ・ミステリワールドですね、この本。
ラスト付近の、人間関係がまるまるくつがえされる仕掛けを見て、うわあミステリだと驚いたのは正しかった。カバー背中にある解説だと、なんだか純文学の頂点みたいなことになってますが、どちらかと言うと問答無用のエンタテインメントだと思います。
第二次大戦下のドイツ。マルガレーテは身よりもなく私生児を身ごもり、出産までの日々を<レーベンスボルン>という施設で暮らしている。その施設は「完全なるアーリアン」を増やすため、産婦や子ども達を集めていた。マルガレーテは、芸術を偏愛する医者クラウスに求婚され、エーリヒ、フランツ二人の少年の養母となる。戦争の行われているあいだ、危うい均衡を保っていた寄せ集めの家族は、戦争の終結とともに崩壊した。
第二次大戦が終わってから14年。ゲルトは<国防スポーツ団>に、友人に誘われて入団したが、キャンプ中に脱走する。母親と二人暮しであったが、その母は男と手を取ってアパートを出て行ってしまった。スポーツ団のヘルムートのしつこい勧誘を逃れ、適当に身を置く場所を探すうちに、ゲルトはエーリヒ、フランツの少年二人と知り合いになる。そのころ、クラウスと知り合いになったギュンターは、自分の子を産んだらしいマルガレーテと再会し、一目で恋に落ちる。
前半と後半で時代がかなり違います。登場人物も一部を除いてさまがわり。前半で主な視点であったマルガレーテは、後半では正常な思考を失い、時の流れに取り残されたような状態に。お金もちで軽薄な美青年だったギュンターはうらぶれた中年に。声楽を仕込まれた兄弟二人は、仮装して歌う大道芸人に。クラウスだけが相も変わらず偏執的に美を愛する、尊大不遜な変態ですが。
耽美好きな人にものすごくおすすめ。ボーイソプラノを保つために去勢された美少年と、その兄。古城の地下にある塩の湖と通路。薬物の投与によって成長を早められた美少女と、その双子の片割れ。追い詰められ義理の息子に恋をする母。人体実験。美に異常な偏執を示す、倣岸尊大な医者。作中作の、さらに作中作。
「死の泉」の装丁以外を残らず再現する、作者の細密なこだわりににやりとさせられました。前半のマルガレーテ一人称が、後半で手記になって登場するくだりを読んだとき、それまでの自分を虚構だと言われたような気がしてぎくっとしました。知らずに一人称に共感して読んでいたところを、作中人物に外側から眺められた気分。あとがきの足の謎まで含めて、素晴らしくミステリな一冊。
ただ、どうしてもゲルトとヘルムートが好きになれないので、そこだけ減点。出番も妙に薄いし。
あれ、ハヤカワ・ミステリワールドですね、この本。
ラスト付近の、人間関係がまるまるくつがえされる仕掛けを見て、うわあミステリだと驚いたのは正しかった。カバー背中にある解説だと、なんだか純文学の頂点みたいなことになってますが、どちらかと言うと問答無用のエンタテインメントだと思います。
第二次大戦下のドイツ。マルガレーテは身よりもなく私生児を身ごもり、出産までの日々を<レーベンスボルン>という施設で暮らしている。その施設は「完全なるアーリアン」を増やすため、産婦や子ども達を集めていた。マルガレーテは、芸術を偏愛する医者クラウスに求婚され、エーリヒ、フランツ二人の少年の養母となる。戦争の行われているあいだ、危うい均衡を保っていた寄せ集めの家族は、戦争の終結とともに崩壊した。
第二次大戦が終わってから14年。ゲルトは<国防スポーツ団>に、友人に誘われて入団したが、キャンプ中に脱走する。母親と二人暮しであったが、その母は男と手を取ってアパートを出て行ってしまった。スポーツ団のヘルムートのしつこい勧誘を逃れ、適当に身を置く場所を探すうちに、ゲルトはエーリヒ、フランツの少年二人と知り合いになる。そのころ、クラウスと知り合いになったギュンターは、自分の子を産んだらしいマルガレーテと再会し、一目で恋に落ちる。
前半と後半で時代がかなり違います。登場人物も一部を除いてさまがわり。前半で主な視点であったマルガレーテは、後半では正常な思考を失い、時の流れに取り残されたような状態に。お金もちで軽薄な美青年だったギュンターはうらぶれた中年に。声楽を仕込まれた兄弟二人は、仮装して歌う大道芸人に。クラウスだけが相も変わらず偏執的に美を愛する、尊大不遜な変態ですが。
耽美好きな人にものすごくおすすめ。ボーイソプラノを保つために去勢された美少年と、その兄。古城の地下にある塩の湖と通路。薬物の投与によって成長を早められた美少女と、その双子の片割れ。追い詰められ義理の息子に恋をする母。人体実験。美に異常な偏執を示す、倣岸尊大な医者。作中作の、さらに作中作。
「死の泉」の装丁以外を残らず再現する、作者の細密なこだわりににやりとさせられました。前半のマルガレーテ一人称が、後半で手記になって登場するくだりを読んだとき、それまでの自分を虚構だと言われたような気がしてぎくっとしました。知らずに一人称に共感して読んでいたところを、作中人物に外側から眺められた気分。あとがきの足の謎まで含めて、素晴らしくミステリな一冊。
ただ、どうしてもゲルトとヘルムートが好きになれないので、そこだけ減点。出番も妙に薄いし。
『M.G.H. 楽園の鏡像』
2005年3月15日 未分類三雲岳人、徳間書店。
無重力空間をゆっくりと漂う死体。破損した無骨な作業服と散らばった血粒―その姿はまるで数十メートルの高度から墜落したかのようだった!?日本初の多目的宇宙ステーション『白鳳』で起きた不可解な死は、はたして事故なのか、事件なのか。従妹の森鷹舞衣とともに、『白鳳』を訪れていた鷲見崎凌は、謎の真相を探ることになる…。ハイテクノロジーが集積する場所で、人は何を思い描くのか。第1回日本SF新人賞を、選考会満場一致で受賞した本格SFミステリー。(「BOOK」データベースより)
酷評するので好きな人は回れ右。
なんですかこの森博嗣の劣化コピーみたいな登場人物造形は。
ヒロインの、オタク向けメディアにありがちな都合のよさにも素で腹が立った。ありがち過ぎていまどき何処探してもいないぞこんなの。どうせならもっとあざとく、戸籍上は妹だけど四親等だから結婚できる間柄ですよ、くらいやってくれれば読み手も「狙ってるな、この作者」と嬉しくにやりとできたのに。強引を通り越して、単なる傲慢な馬鹿にしか見えません。主人公も(後半はともかく)前半ではひたすら鬱陶しい、自称孤高の天才。やかましいわ。京都の大学で助手をしていて専門は材料工学なんてどっかで聞いたようなプロフィールさげて出てくるくらいなら、もっと天才してから物を言え。過去の事件をきっかけに、外界に対して心を閉ざしているらしいですが、天才が一般市民と隔絶してるのと自分がトラウマで引きこもってるのを一緒くたにしているとしか思えませんね。よくわからない優越感が露骨で、こんな主人公とヒロインの話が読めるほど気が長くないんじゃー!と途中でうっかり投げそうになりました。しかし、大賞受賞作であること、世間で評判がいいらしいことを考えれば、登場人物の駄目さ加減を補ってあまりあるほどの凄い仕掛けがあるに違いない、と自分にいい聞かせて続行。
トリックは凄かった。面白かった。手に取るきっかけになった、与圧服(宇宙服みたいなもの)を着て無重力空間にただよう墜落死体と、無重力状態で球形の血液。被害者一人だけを襲った、宇宙ステーション内部の真空。どちらも発想の逆転が必要な仕掛けで「おおう!」と思わず手をうちました。なるほどなあ。犯人も完全に想定外。
うん、でも、博士がなんのために登場したのかさっぱりわかりませんでした。
あと、地球に衛星が落下しない理屈も、完全文系のわたしにはわかりません。
頼むよほんと……。もったいない……。
無重力空間をゆっくりと漂う死体。破損した無骨な作業服と散らばった血粒―その姿はまるで数十メートルの高度から墜落したかのようだった!?日本初の多目的宇宙ステーション『白鳳』で起きた不可解な死は、はたして事故なのか、事件なのか。従妹の森鷹舞衣とともに、『白鳳』を訪れていた鷲見崎凌は、謎の真相を探ることになる…。ハイテクノロジーが集積する場所で、人は何を思い描くのか。第1回日本SF新人賞を、選考会満場一致で受賞した本格SFミステリー。(「BOOK」データベースより)
酷評するので好きな人は回れ右。
なんですかこの森博嗣の劣化コピーみたいな登場人物造形は。
ヒロインの、オタク向けメディアにありがちな都合のよさにも素で腹が立った。ありがち過ぎていまどき何処探してもいないぞこんなの。どうせならもっとあざとく、戸籍上は妹だけど四親等だから結婚できる間柄ですよ、くらいやってくれれば読み手も「狙ってるな、この作者」と嬉しくにやりとできたのに。強引を通り越して、単なる傲慢な馬鹿にしか見えません。主人公も(後半はともかく)前半ではひたすら鬱陶しい、自称孤高の天才。やかましいわ。京都の大学で助手をしていて専門は材料工学なんてどっかで聞いたようなプロフィールさげて出てくるくらいなら、もっと天才してから物を言え。過去の事件をきっかけに、外界に対して心を閉ざしているらしいですが、天才が一般市民と隔絶してるのと自分がトラウマで引きこもってるのを一緒くたにしているとしか思えませんね。よくわからない優越感が露骨で、こんな主人公とヒロインの話が読めるほど気が長くないんじゃー!と途中でうっかり投げそうになりました。しかし、大賞受賞作であること、世間で評判がいいらしいことを考えれば、登場人物の駄目さ加減を補ってあまりあるほどの凄い仕掛けがあるに違いない、と自分にいい聞かせて続行。
トリックは凄かった。面白かった。手に取るきっかけになった、与圧服(宇宙服みたいなもの)を着て無重力空間にただよう墜落死体と、無重力状態で球形の血液。被害者一人だけを襲った、宇宙ステーション内部の真空。どちらも発想の逆転が必要な仕掛けで「おおう!」と思わず手をうちました。なるほどなあ。犯人も完全に想定外。
うん、でも、博士がなんのために登場したのかさっぱりわかりませんでした。
あと、地球に衛星が落下しない理屈も、完全文系のわたしにはわかりません。
頼むよほんと……。もったいない……。
『月は幽咽のデバイス』
2005年3月14日 未分類森博嗣、講談社ノベルス。しばらく森博嗣はVシリーズ読んでます。
あー、確かにあの月はかすかな(ネタバレ)機構でしたね。タイトルと事件の真相にほとんど関係がなくて残念。
密室空間で発見された死体は、死んだ後に部屋中を引きずり回されたような跡が。完全防音、扉に鍵のかかったオーディオルームで一体何が?
と、例によって密室崩しが主眼……なのかな?死体の惨状と原因についてはすぐにわかってしまうので、部屋にこぼれた水と、飛び散ったグラスの破片が「何故/どのようにして、そうなったか」を推理してみるのがよいかと思われます。
屋敷の間取りやら何やらを、きっちり考えながら読む人は、途中でオーディオルームに何が起こったのかわかるかもしれません。水槽についても(ネタバレ)は結構有名だったような気がするし。
問題は、絵を送りつけて買わせるという、クーリングオフ問題でよく耳にする業者のようなやり口で(ネタバレ)が何をしたかったのかよくわからなかったこと。絵に絡んだエピソードと密室事件がほとんど関係ないこと、莉英さんがたいそう素敵なのに(ネタバレ)は(ネタバレ)で、弱っちい上にみっともないこと。
全体として、インパクトに乏しい上に、各エピソードの繋がりが弱く、印象に残りにくい話だった。まあでも、これだけの速度でこれだけの量を書いているのだから、たまにこういう並程度の作品があっても仕方ないかとも思います。年単位で待たされた上に外れだった、というわけでもないし。まったりまったり。
そして実はシリーズ全体の仕掛けについて、友人からネタバレを聞き込んでしまったいたわたし。忘れたい。すごく忘れたい。
あー、確かにあの月はかすかな(ネタバレ)機構でしたね。タイトルと事件の真相にほとんど関係がなくて残念。
密室空間で発見された死体は、死んだ後に部屋中を引きずり回されたような跡が。完全防音、扉に鍵のかかったオーディオルームで一体何が?
と、例によって密室崩しが主眼……なのかな?死体の惨状と原因についてはすぐにわかってしまうので、部屋にこぼれた水と、飛び散ったグラスの破片が「何故/どのようにして、そうなったか」を推理してみるのがよいかと思われます。
屋敷の間取りやら何やらを、きっちり考えながら読む人は、途中でオーディオルームに何が起こったのかわかるかもしれません。水槽についても(ネタバレ)は結構有名だったような気がするし。
問題は、絵を送りつけて買わせるという、クーリングオフ問題でよく耳にする業者のようなやり口で(ネタバレ)が何をしたかったのかよくわからなかったこと。絵に絡んだエピソードと密室事件がほとんど関係ないこと、莉英さんがたいそう素敵なのに(ネタバレ)は(ネタバレ)で、弱っちい上にみっともないこと。
全体として、インパクトに乏しい上に、各エピソードの繋がりが弱く、印象に残りにくい話だった。まあでも、これだけの速度でこれだけの量を書いているのだから、たまにこういう並程度の作品があっても仕方ないかとも思います。年単位で待たされた上に外れだった、というわけでもないし。まったりまったり。
そして実はシリーズ全体の仕掛けについて、友人からネタバレを聞き込んでしまったいたわたし。忘れたい。すごく忘れたい。
森博嗣、講談社ノベルス。
例の一行が避暑地に出かけて殺人事件。
「ラストの一行で、読者を襲う衝撃の真実!」とカバー背中に書いてあるんですが、へえ、そうなんだ以上の感想を抱けずぬぼーっと流してしまいました。ラスト一行の衝撃といえば京極の『絡新婦の理』が凄まじかったので、ついそう思ったのかもしれません。ラスト一行までに費やした迂回が桁違いだからね。
むしろp255から始まる保(ネタバレ)の方が驚いたよ!毎回読者をびっくりさせるのが、犯人でもトリックでもないというおそろしさ。
と、いうか森博嗣はミステリに一般的に求められるようなサプライズに、興味がないんじゃないかな。提示される条件に、わざと読者を引っ掛けようとする意図を感じないし、その条件を前提として考えると、犯人その他の真相は簡単に読み取れるので。事件の真相としての動機や犯人がわからなければ、途中で実行犯や機械的なトリックについては読者に見破られても構わない風に見える。実際、紅子さんも犯人ついては「そんなことなら、最初からわかっていたもの」と、最後までわからなかったのは動機(みたいなもの)だと言っているし。
毎回「密室」ネタになるのも、そろそろどうかと思わないでもないですが。
人間があやつられる人形を演じるくだりがいいなあ。今回のテーマ人形が、真相と密接に結びついてるのが面白かった。確かに真相は人形でモナリザでした。人形マトリクスの(ネタバレ)は可愛らしくて壮観だろうなー……って、キャンバスの裏にあったアレも(ネタバレ)に見えるんじゃないんですか?誰も気付かなかったとか言わないよね?
まったく関係ないですが、図書館から借りた森博嗣の本は、沢山の人が丁寧に読んだあとが残っていて、とてもやさしい感じがします。おんなじ本でも、こんなにやわらかい手触りになるんですねえ。なんか本自体がふかふかしてて素敵です。
例の一行が避暑地に出かけて殺人事件。
「ラストの一行で、読者を襲う衝撃の真実!」とカバー背中に書いてあるんですが、へえ、そうなんだ以上の感想を抱けずぬぼーっと流してしまいました。ラスト一行の衝撃といえば京極の『絡新婦の理』が凄まじかったので、ついそう思ったのかもしれません。ラスト一行までに費やした迂回が桁違いだからね。
むしろp255から始まる保(ネタバレ)の方が驚いたよ!毎回読者をびっくりさせるのが、犯人でもトリックでもないというおそろしさ。
と、いうか森博嗣はミステリに一般的に求められるようなサプライズに、興味がないんじゃないかな。提示される条件に、わざと読者を引っ掛けようとする意図を感じないし、その条件を前提として考えると、犯人その他の真相は簡単に読み取れるので。事件の真相としての動機や犯人がわからなければ、途中で実行犯や機械的なトリックについては読者に見破られても構わない風に見える。実際、紅子さんも犯人ついては「そんなことなら、最初からわかっていたもの」と、最後までわからなかったのは動機(みたいなもの)だと言っているし。
毎回「密室」ネタになるのも、そろそろどうかと思わないでもないですが。
人間があやつられる人形を演じるくだりがいいなあ。今回のテーマ人形が、真相と密接に結びついてるのが面白かった。確かに真相は人形でモナリザでした。人形マトリクスの(ネタバレ)は可愛らしくて壮観だろうなー……って、キャンバスの裏にあったアレも(ネタバレ)に見えるんじゃないんですか?誰も気付かなかったとか言わないよね?
まったく関係ないですが、図書館から借りた森博嗣の本は、沢山の人が丁寧に読んだあとが残っていて、とてもやさしい感じがします。おんなじ本でも、こんなにやわらかい手触りになるんですねえ。なんか本自体がふかふかしてて素敵です。
森博嗣、講談社ノベルス。
Vシリーズ途中で読むのをやめていたので、これを期に最初から読んでみることにしました。本当に最初から読むとなると「F」からなんだけれど、さすがにそれは気力が……、とういわけでまずは『黒猫の三角』。新刊で読んだから6年ぶりくらいの再読です。
「野放しの不思議が集まる無法地帯」アパート阿漕荘の住人、保呂草探偵に奇妙な依頼が持ち込まれた。連続殺人事件の魔手から一晩ガードして欲しい、というのだ。ここ数年、那古野市には「数字にこだわる」殺人犯が跋扈している。依頼人には殺人予告が送られていた!衆人環視の中、密室に入った依頼人の運命は!?(カバー)
「遊びで殺すのが1番健全だぞ」
「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」(表紙より)
6年経ってようやく読み取れるようになったものの多さに愕然としつつ、森博嗣は昔っから「生きることと殺すこと」をめぐる問いを続けてきたのだなあと、感心するような安心するような。『スカイ・クロラ』でも言及されていたような、間接的な殺人について、全面解答とまではいかないものの、ある種の回答、一面の結論が既に提示されている点で、だいぶん親切な問いかけではあるけれども。合理的論理的な思考を、一般的な感情や情動といったエモーショナルなもので阻害されるのを、尋常でなく嫌がる天才。それが二人。対決して勝つのが紅子さんである辺りが、とても優しくて親切だと感じる。
うん、こういう人たちはとても人生が生き辛いだろうな。人生というか、社会というものが、思考性と真っ向から対立しているように感じるのだろうと。大変そう。ものすごく大変そう。
森博嗣の文章が何故こうも地に足がつかない不安定感をはらんでいるのかな、という辺りに重点を置いて読んだ結果、物語に関係ない情報は容赦なく省略されることと、情感に基づいた描写が少ないこと、という二点が理由らしく感じられた。パーティ会場のについての描写なんて、どこにドアがあってどこに階段があって、いかに密室が作られたか、といった類のものばかり。脱出経路の不可能性そのほか事件の謎を、前提として確定させるための情報のみ。主観性に左右される情報が極端に少ないといえばいいのか……。しかし推理小説としての形式というかお約束は、きっちり守ってるように見えるんだけど、どうにも反則が多いような気も同時にするから不思議なんだよなあ。状況については嘘がないけれど、人間の証言なんて当てにならない、というのはある意味まっとうなのかもしれない。この辺りは読み手の基準がどこにあるか、が全てか。
ミステリとしてどうかと聞かれると、よくわからない。一度読んで犯人がわかってるからかも。保呂草さんの(ネタバレ)には驚いたけど、そもそも謎解きしながら読んだりしないし。しかし前提条件が確かなものとするなら、犯人は扉から入ってきて扉から出て行った、というの以外ないと思うんだけど。
一本の独立した作品としては、やや弱い。しかしシリーズ全体が一つの謎となっていることが多い森博嗣に期待。「F」と「有限」に驚いた人は結構いると思うんですよ。友人に聞くと書いたもの全部つながってるらしいし。しかも小ネタじゃなくて構造的に。楽しみ。
Vシリーズ途中で読むのをやめていたので、これを期に最初から読んでみることにしました。本当に最初から読むとなると「F」からなんだけれど、さすがにそれは気力が……、とういわけでまずは『黒猫の三角』。新刊で読んだから6年ぶりくらいの再読です。
「野放しの不思議が集まる無法地帯」アパート阿漕荘の住人、保呂草探偵に奇妙な依頼が持ち込まれた。連続殺人事件の魔手から一晩ガードして欲しい、というのだ。ここ数年、那古野市には「数字にこだわる」殺人犯が跋扈している。依頼人には殺人予告が送られていた!衆人環視の中、密室に入った依頼人の運命は!?(カバー)
「遊びで殺すのが1番健全だぞ」
「仕事で殺すとか、勉強のために殺すとか、病気を直すためだとか、腹が減っていたからとか、そういう理由よりは、ずっと普通だ」(表紙より)
6年経ってようやく読み取れるようになったものの多さに愕然としつつ、森博嗣は昔っから「生きることと殺すこと」をめぐる問いを続けてきたのだなあと、感心するような安心するような。『スカイ・クロラ』でも言及されていたような、間接的な殺人について、全面解答とまではいかないものの、ある種の回答、一面の結論が既に提示されている点で、だいぶん親切な問いかけではあるけれども。合理的論理的な思考を、一般的な感情や情動といったエモーショナルなもので阻害されるのを、尋常でなく嫌がる天才。それが二人。対決して勝つのが紅子さんである辺りが、とても優しくて親切だと感じる。
うん、こういう人たちはとても人生が生き辛いだろうな。人生というか、社会というものが、思考性と真っ向から対立しているように感じるのだろうと。大変そう。ものすごく大変そう。
森博嗣の文章が何故こうも地に足がつかない不安定感をはらんでいるのかな、という辺りに重点を置いて読んだ結果、物語に関係ない情報は容赦なく省略されることと、情感に基づいた描写が少ないこと、という二点が理由らしく感じられた。パーティ会場のについての描写なんて、どこにドアがあってどこに階段があって、いかに密室が作られたか、といった類のものばかり。脱出経路の不可能性そのほか事件の謎を、前提として確定させるための情報のみ。主観性に左右される情報が極端に少ないといえばいいのか……。しかし推理小説としての形式というかお約束は、きっちり守ってるように見えるんだけど、どうにも反則が多いような気も同時にするから不思議なんだよなあ。状況については嘘がないけれど、人間の証言なんて当てにならない、というのはある意味まっとうなのかもしれない。この辺りは読み手の基準がどこにあるか、が全てか。
ミステリとしてどうかと聞かれると、よくわからない。一度読んで犯人がわかってるからかも。保呂草さんの(ネタバレ)には驚いたけど、そもそも謎解きしながら読んだりしないし。しかし前提条件が確かなものとするなら、犯人は扉から入ってきて扉から出て行った、というの以外ないと思うんだけど。
一本の独立した作品としては、やや弱い。しかしシリーズ全体が一つの謎となっていることが多い森博嗣に期待。「F」と「有限」に驚いた人は結構いると思うんですよ。友人に聞くと書いたもの全部つながってるらしいし。しかも小ネタじゃなくて構造的に。楽しみ。
皆川博子、講談社。
装丁も重さも厚さも文字の大きさも字体も、何もかもがわたし好み。まるでわたしの好みに合わせてあつらえたかのようです(妄想)。不満な点があるとしたら、僧院の見取り図がややわかりにくいことだけ。
欧州大戦のさなか。コンラートは瀕死の若い士官を連れ、ドイツとポーランド国境に人知れず建つ古びた僧院に逃げ込んだ。廃墟のようなそこには、博士を自称する狂気の科学者が住んでいた。人間と薔薇を合成させ、長く美しい姿を留める実験を行う博士は、コンラートのつれてきた士官を救うと言う。
時は流れて、第二次世界大戦のさなか。ポーランド。ワルシャワに住む少女ミルカは、ふとしたことからスパイとして追われていた少年ユーリクを助ける。戦争が激化するにつれ悪化していく状況のなかで、少年はミルカをかばって警察に検挙される。少女の家族もまた思いがけぬ事件で離散し、ミルカは親切なドイツの撮影技師に引き取られる。
同じころ、薔薇の僧院ではひとりの男が薔薇の世話をしながら自給自足で暮らしていた。男の名はヨリンゲル。コンラートが世話していた薔薇のうちのひとつと同じ名前だが、男にはコンラートがいた頃から今までの間の記憶に空隙がある。そこにSSを連れた帝国のハイニがやってくる。僧院は接収され、ハイニが集めた「美しい劣等体」を飼うための、そしてハイニがくつろぐための場所となる。
このみっつの物語が主体だが、関わりの薄いと思われるこの三つの物語を繋ぐのは『<ヴィーナスの病>の病原体とその治療薬に関する研究』という謎の本である。ひとつめの物語はこの本そのもので、コンラートの一人称による手記という形を取る。しかしコンラートの手記に登場する『<ヴィーナスの病>の病原体とその治療薬に関する研究』は、博士の書いた研究書である。本はあらわれたり消えたりしながら登場人物を幻惑し、それ自身と密接な関係のある薔薇の僧院へと誘う。
最終的にはいくつもの物語が合流し、誰が誰なのか、何が真実なのか、全てが明快に説明される。戦争は終結する。閉鎖し、停滞していた僧院にも未来と外界が開かれる。
ので。
結末よりも経過を楽しむのが重要。ラストが一人に収束するのがちょっとバランスが悪い感じ。登場人物の間で物語が取っていた完璧なバランスが、一人に偏りすぎて崩れたような。僧院に収束するのかと思っていた。
荘重華麗な文章で綴る、「物語を必要とする不幸な人間」の物語。
わたしごときの貧弱な語彙で何が説明できようか、とも思うのですが、投げずに頑張ってみようと思います。
時代は第一次世界大戦から、第二次世界大戦が終了するまで。ひと時代もふた時代もまたぐ。実に壮大。
と、言うか。第一次・二次ともに世界大戦は実際に起こった歴史上の事実ですから、やや不謹慎な物言いになりますが、戦争というものは実にドラマチックなものです。幸福も不幸も、希望も絶望も、およそ物語に必要と思われる要素が、日常とは異なる鮮やかさでたちのぼる場所。材料がよければそれだけで何かひとつ、読めるものが書けてしまいそうなものですが、実際の戦争を背景に、これに立ち向かう物語を紡ぐとなると、ちょっとやそっとの重さではつりあいません。そこで必要とされるのは、戦争と同じだけの重さを持った物語なのですから、当然といえば当然です。
ところが、この本の中では大戦という外界と、薔薇の僧院の中で流れる隔絶した物語がつりあっているのです。非凡だ。作中で創出される幾つかの物語は、戦争という外界とつりあって均衡します。
「大釜一杯の薔薇の蕾を蒸留してようやく一雫を得られる薔薇油」という例えが何度か登場しますが、読み終えてからずっしりと持ち重りするようなこの本を眺めれば、一体どれほどの物語を蒸留した結果なのかとそらおそろしくなる密度と量。贅を尽くした香水の一瓶に等しい濃密な美しさ。
薔薇の色の例えもそうだけれど、一単語ごとにもだえろと言わんばかり。一言一句は言うに及ばず、ざっと眺めれば字面が既に美しい。怪奇幻想耽美。重厚で精緻、芳醇で濃密。そこここに見られる容赦のない筆致もまた、淡々としたサディスティックな匂いがする。列挙するとキリがないのと、やはりここは自分の目で確かめるのが一番だと思うので割愛。雰囲気をつかみたい人へ送るキーワードは以下の通り。
畸形、劣等、耽美、怪奇、妄想、現実、戦争、薔薇、閉鎖空間、隔離、隔絶、物語、幻惑。
「美しい」を連発するだけの無能な感想になった気がする。
装丁も重さも厚さも文字の大きさも字体も、何もかもがわたし好み。まるでわたしの好みに合わせてあつらえたかのようです(妄想)。不満な点があるとしたら、僧院の見取り図がややわかりにくいことだけ。
欧州大戦のさなか。コンラートは瀕死の若い士官を連れ、ドイツとポーランド国境に人知れず建つ古びた僧院に逃げ込んだ。廃墟のようなそこには、博士を自称する狂気の科学者が住んでいた。人間と薔薇を合成させ、長く美しい姿を留める実験を行う博士は、コンラートのつれてきた士官を救うと言う。
時は流れて、第二次世界大戦のさなか。ポーランド。ワルシャワに住む少女ミルカは、ふとしたことからスパイとして追われていた少年ユーリクを助ける。戦争が激化するにつれ悪化していく状況のなかで、少年はミルカをかばって警察に検挙される。少女の家族もまた思いがけぬ事件で離散し、ミルカは親切なドイツの撮影技師に引き取られる。
同じころ、薔薇の僧院ではひとりの男が薔薇の世話をしながら自給自足で暮らしていた。男の名はヨリンゲル。コンラートが世話していた薔薇のうちのひとつと同じ名前だが、男にはコンラートがいた頃から今までの間の記憶に空隙がある。そこにSSを連れた帝国のハイニがやってくる。僧院は接収され、ハイニが集めた「美しい劣等体」を飼うための、そしてハイニがくつろぐための場所となる。
このみっつの物語が主体だが、関わりの薄いと思われるこの三つの物語を繋ぐのは『<ヴィーナスの病>の病原体とその治療薬に関する研究』という謎の本である。ひとつめの物語はこの本そのもので、コンラートの一人称による手記という形を取る。しかしコンラートの手記に登場する『<ヴィーナスの病>の病原体とその治療薬に関する研究』は、博士の書いた研究書である。本はあらわれたり消えたりしながら登場人物を幻惑し、それ自身と密接な関係のある薔薇の僧院へと誘う。
最終的にはいくつもの物語が合流し、誰が誰なのか、何が真実なのか、全てが明快に説明される。戦争は終結する。閉鎖し、停滞していた僧院にも未来と外界が開かれる。
ので。
結末よりも経過を楽しむのが重要。ラストが一人に収束するのがちょっとバランスが悪い感じ。登場人物の間で物語が取っていた完璧なバランスが、一人に偏りすぎて崩れたような。僧院に収束するのかと思っていた。
荘重華麗な文章で綴る、「物語を必要とする不幸な人間」の物語。
わたしごときの貧弱な語彙で何が説明できようか、とも思うのですが、投げずに頑張ってみようと思います。
時代は第一次世界大戦から、第二次世界大戦が終了するまで。ひと時代もふた時代もまたぐ。実に壮大。
と、言うか。第一次・二次ともに世界大戦は実際に起こった歴史上の事実ですから、やや不謹慎な物言いになりますが、戦争というものは実にドラマチックなものです。幸福も不幸も、希望も絶望も、およそ物語に必要と思われる要素が、日常とは異なる鮮やかさでたちのぼる場所。材料がよければそれだけで何かひとつ、読めるものが書けてしまいそうなものですが、実際の戦争を背景に、これに立ち向かう物語を紡ぐとなると、ちょっとやそっとの重さではつりあいません。そこで必要とされるのは、戦争と同じだけの重さを持った物語なのですから、当然といえば当然です。
ところが、この本の中では大戦という外界と、薔薇の僧院の中で流れる隔絶した物語がつりあっているのです。非凡だ。作中で創出される幾つかの物語は、戦争という外界とつりあって均衡します。
「大釜一杯の薔薇の蕾を蒸留してようやく一雫を得られる薔薇油」という例えが何度か登場しますが、読み終えてからずっしりと持ち重りするようなこの本を眺めれば、一体どれほどの物語を蒸留した結果なのかとそらおそろしくなる密度と量。贅を尽くした香水の一瓶に等しい濃密な美しさ。
薔薇の色の例えもそうだけれど、一単語ごとにもだえろと言わんばかり。一言一句は言うに及ばず、ざっと眺めれば字面が既に美しい。怪奇幻想耽美。重厚で精緻、芳醇で濃密。そこここに見られる容赦のない筆致もまた、淡々としたサディスティックな匂いがする。列挙するとキリがないのと、やはりここは自分の目で確かめるのが一番だと思うので割愛。雰囲気をつかみたい人へ送るキーワードは以下の通り。
畸形、劣等、耽美、怪奇、妄想、現実、戦争、薔薇、閉鎖空間、隔離、隔絶、物語、幻惑。
「美しい」を連発するだけの無能な感想になった気がする。
外部からトラックバックを頂きました。ありがたいことです。で、気付いたんですが、同じダイアリーノート内からのTBはきちんと表示されているのに、外部からのTBは恐ろしい勢いで文字化けしてますね。リンクとしては問題なく機能しているんですが。
なんだかえっらいさびしくなったので要望こそっと出しておこう……。
なんだかえっらいさびしくなったので要望こそっと出しておこう……。
『鳥少年』『まひるの月を追いかけて』
2005年3月6日 未分類最近気になること。
・精読
・集中力
・文章力
・日記の体裁
三月は年度末で、公共施設は普段と違うスケジュールであることをうっかり失念していた。失意前屈体。
あと、特定単語に限って検索を避ける方法なんてないんだろうなー、と「ゲーム 攻略」という文字を見るたびに申し訳ない気分になる。ないです。攻略ないです。プレイ日記とかもありません。
『鳥少年』皆川博子、徳間書店。
短編13本を収録。ミステリから幻想小説よりの作品群。
最初に解説を読んで、件の編集者に裁きの鉄槌を望んだひとの数→1。作者にも読者にも不幸な事実がそこにはあったのです。もし、一冊読んであわなかったら次は読まない、という読者があの本を最初に手に取っていたら。予算に余裕がなく、次回がない読者が最初に手に取っていたら。かくも貴重な書き手との出逢いがすれ違いに終わっていたのかと思うと、例の編集者の愚昧さは見識を疑うどころか殴っても足りないほどです。実力ある書き手に、どうでもいいものを書くように強要する編集者がこの世に存在するなんて、なんとも悲しい事情だったのですが、そこら辺はさておいて。
「密室遊戯」が特に面白かった。暗く湿った最低の下宿で寝起きする主人公は、昼間はデパート、夜はスナックで働いている。隣の部屋には似たような暮らしをする若い女が暮らしている。ある日、隣室との境目の板から光が漏れ出ていることに気付いたわたしは、こっそりと隣の女の部屋をのぞき見る。
相手が知らないうちに、こっそりと私生活をのぞきみるというのは基本路線なのだけれども、こっそりと行為を共有する、伝染させるというのは面白い試み。のぞいていたものが実はのぞかれていたというラストにしびれる。
不満があるとすれば、一人称の語りによるミステリ仕立ての話が、ほとんど同じ形式であること。同じ形式だけならまだしも、同じような欠点まで共通しているのはどうかと思う。8割が長編の幕開けを思わせる前振りについやされ、物語が展開する辺りで1割、落ちが残り1割という、急転直下どころか、おざなりにしりすぼみになる配分はなんなんだろう。途中でやる気を失って書きっぱなしで投げたようにも見える。「サイレント・ナイト」はあの短さで見事に惨劇を予感させて終わっている。……のだけれども、なにがどうなのか理論的に説明せよといわれるとさっぱりわからない。少女は何をしていたんだ?
『まひるの月を追いかけて』恩田陸、文芸春秋。
さくさく読めました。恩田陸にしては落ちがきちんとまとまってるな、という印象。女性が二人以上登場して、会話をしながら進めていくタイプの物語は安定して面白い。本来緊迫するべき状況でなぜかまったりしてしまう登場人物たち、を書くのが上手いんだな、と今更のように気付いた。驚く割にはその後で状況に動じないひとたちが多い。
最初は失踪した異母兄を、その恋人ともに探しに行く、はずだった。ところが序盤も序盤で「実は騙ってました」などと同行者が言い出し、その後も状況は二転三転、最終的には「奈良観光」だけが当初の予定通り、それ以外はすべて変更。まさしく一寸先は闇の展開、にも関わらず登場人物たちは観光を楽しんで酒飲んで焼肉食べて煙草吸って、と和みまくり。おかしい。全体の印象は地味、淡々、安定、薄暮れ。これだけ気が抜けない状況でまったりムードただよいまくり。
「まひるの月」はそこにあるもに見えないもの、よくよく意識を払わなければ気付かないもの、思考の外に外れているもの、この物語上では異母兄が愛した女性のことだろうと思われる。とすると、奈良までの旅は、そのまま「まひるの月を追いかけて」行ったことになる。
物語には終わりがあるけれど、人生には明確な終わりはなく、いつも物語が始まって続いていく。ラストが新しい物語の幕開けであるということ。
恩田陸の書く三十代女性はやけに若々しい。一人称が「あたし」だからだろうか。そういえば『スカイ・クロラ』で、森博嗣の描く女性が自然な喋り方をしていたのにだいぶ驚いた。
・精読
・集中力
・文章力
・日記の体裁
三月は年度末で、公共施設は普段と違うスケジュールであることをうっかり失念していた。失意前屈体。
あと、特定単語に限って検索を避ける方法なんてないんだろうなー、と「ゲーム 攻略」という文字を見るたびに申し訳ない気分になる。ないです。攻略ないです。プレイ日記とかもありません。
『鳥少年』皆川博子、徳間書店。
短編13本を収録。ミステリから幻想小説よりの作品群。
最初に解説を読んで、件の編集者に裁きの鉄槌を望んだひとの数→1。作者にも読者にも不幸な事実がそこにはあったのです。もし、一冊読んであわなかったら次は読まない、という読者があの本を最初に手に取っていたら。予算に余裕がなく、次回がない読者が最初に手に取っていたら。かくも貴重な書き手との出逢いがすれ違いに終わっていたのかと思うと、例の編集者の愚昧さは見識を疑うどころか殴っても足りないほどです。実力ある書き手に、どうでもいいものを書くように強要する編集者がこの世に存在するなんて、なんとも悲しい事情だったのですが、そこら辺はさておいて。
「密室遊戯」が特に面白かった。暗く湿った最低の下宿で寝起きする主人公は、昼間はデパート、夜はスナックで働いている。隣の部屋には似たような暮らしをする若い女が暮らしている。ある日、隣室との境目の板から光が漏れ出ていることに気付いたわたしは、こっそりと隣の女の部屋をのぞき見る。
相手が知らないうちに、こっそりと私生活をのぞきみるというのは基本路線なのだけれども、こっそりと行為を共有する、伝染させるというのは面白い試み。のぞいていたものが実はのぞかれていたというラストにしびれる。
不満があるとすれば、一人称の語りによるミステリ仕立ての話が、ほとんど同じ形式であること。同じ形式だけならまだしも、同じような欠点まで共通しているのはどうかと思う。8割が長編の幕開けを思わせる前振りについやされ、物語が展開する辺りで1割、落ちが残り1割という、急転直下どころか、おざなりにしりすぼみになる配分はなんなんだろう。途中でやる気を失って書きっぱなしで投げたようにも見える。「サイレント・ナイト」はあの短さで見事に惨劇を予感させて終わっている。……のだけれども、なにがどうなのか理論的に説明せよといわれるとさっぱりわからない。少女は何をしていたんだ?
『まひるの月を追いかけて』恩田陸、文芸春秋。
さくさく読めました。恩田陸にしては落ちがきちんとまとまってるな、という印象。女性が二人以上登場して、会話をしながら進めていくタイプの物語は安定して面白い。本来緊迫するべき状況でなぜかまったりしてしまう登場人物たち、を書くのが上手いんだな、と今更のように気付いた。驚く割にはその後で状況に動じないひとたちが多い。
最初は失踪した異母兄を、その恋人ともに探しに行く、はずだった。ところが序盤も序盤で「実は騙ってました」などと同行者が言い出し、その後も状況は二転三転、最終的には「奈良観光」だけが当初の予定通り、それ以外はすべて変更。まさしく一寸先は闇の展開、にも関わらず登場人物たちは観光を楽しんで酒飲んで焼肉食べて煙草吸って、と和みまくり。おかしい。全体の印象は地味、淡々、安定、薄暮れ。これだけ気が抜けない状況でまったりムードただよいまくり。
「まひるの月」はそこにあるもに見えないもの、よくよく意識を払わなければ気付かないもの、思考の外に外れているもの、この物語上では異母兄が愛した女性のことだろうと思われる。とすると、奈良までの旅は、そのまま「まひるの月を追いかけて」行ったことになる。
物語には終わりがあるけれど、人生には明確な終わりはなく、いつも物語が始まって続いていく。ラストが新しい物語の幕開けであるということ。
恩田陸の書く三十代女性はやけに若々しい。一人称が「あたし」だからだろうか。そういえば『スカイ・クロラ』で、森博嗣の描く女性が自然な喋り方をしていたのにだいぶ驚いた。
皆川博子、講談社。
イエス!イエスイエスイエス!!
どうやら4が限りなく正答に近かったらしいです。思わず拳握ってガッツポーズしながら快哉を叫びました。それから愚昧なる編集者に怨嗟の声をあげました。詳しくは次回(の皆川博子の本感想)にして、以下感想。
「水葬楽」
広い広い、迷宮さながらの館に住むわたしと兄。母は豪奢な青貝と真珠の装飾を施された蓋つきの水槽に、しばらく保存されてそれから溶けた。父も養液に満たされた水槽の中で、脳の作る音楽を聴きながらいつか果てた。その間にわたしと兄は侏儒に出会った。侏儒は今はもう死に絶えた人々や言葉や世界の話をわたしと兄に教える。館の住人から空気同様に扱われていたわたしは、初めて言葉を教わり、書くことを知った。
多分、現在とは少しずれた世界の近未来。水槽は水葬。侏儒が語る言葉は強烈で容赦がない。わたしは周囲のエゴに晒されて、結局ものを綴るしかなくなってしまったのだろう。侏儒の罵倒と、わたしが受けた扱いの露骨さに、皆川博子の恐ろしさを知った。これだけの物を描く人が何故にあのような本を書いたのだろうか、と首を傾げたけれど、後日『鳥少年』の解説を読んでたいそう納得した。BGPが素晴らしい。西條八十とかランボーとか、もしかしたらユーゴーとかそんな感じ、と思ったら実際そうだった。これら著名な詩人が馴染む物語と言えば少しはイメージが伝わるか知らん。
「猫舌男爵」
これがもう、辛辣な皮肉なのか、それともそんなことは百も承知な慈愛に満ちたユーモアなのかちょっと判別がつかないほど戯画化された、エセ教養人の姿を描いている。一度「ぷっ」って失笑してからは爆笑につぐ爆笑。日本文化が好きです、とのたもう半可通の青年が訳した「猫舌男爵」という私家版のあとがきからはじまり、あとがきが周囲に及ぼした波紋を通過し、何故か登場人物が幸せになるという奇妙奇天烈な話。最初はヤン・ジェロムスキがまっとうな人間であると信じていたので、ねこしたって何よ?くらいにしか思わず、「THE NOTE BOOK OF KOHGA’S NIMPO」に不意打ちくらって腹がよじれるほど笑った。コーガ。ニンポ。ヤマダ・フタロ。歴史その他に関する知識も明らかにうさんくさい。ヤギによる拷問は相当に酷いはずなのだが……。「猫舌」をねこした、と読み、猫のように棘のある舌を持つ男爵が、夜な夜な乙女を攫って足の裏をなめる拷問をするのだろうか、と想像するところまではそれほどおかしくはないのだが、そこから先が想像を絶する。勝手に好きな女の子を登場させては、そのボーイフレンドに「彼女とどういう関係だ」と後日問い詰められたり(その彼女とボーイフレンドもたいそう人間がお粗末だったりする)、日本語の教師であった恩師の名前を辱めた挙句、過去の話を勝手に公開して家庭崩壊に導いたり。実にコミカルにエセ教養人の誠意のない翻訳のありさまや、それを許す本人の軽薄さを描き出している。ここまで厚顔無恥なら人生楽しくて仕方ないだろうな……。そういえば長々と自分の思い入れを不得要領に書き送った日本人の手紙も相当おかしい。見た瞬間、絶対にジェロムスキ青年には読めないだろうなと確信してしまった。
「オムレツ少年の儀式」
少年がオムレツ係になってから三日目の朝。恵まれた生い立ちではないけれど、母と二人暮らす少年は、マリア様がみていらっしゃることを心の励みにしている。
救いようのないどん底を淡々と描く。尾びれの比喩が幻想的な空気をかもし出してる。醜いものを直視しながら、醜いものの持つ魔的な魅力を存分にみせてくれるのはさすが。醜く嫌悪を催すことと、それにたとえようもなく心惹かれることがまったく矛盾しない。そして人が救済のない破滅の中にとどまっていることは、実際問題いかに言葉を飾ろうと無理であると冷徹に宣言しているように見えた。破滅に向かってひた走る、というところから連想したのは『罪と罰』だった。
「睡蓮」
書簡と日記で構成されている。早熟の天才ぶりをもてはやされた女流画家が、ひとり精神病院の部屋で死ぬまでに一体何があったのか。書簡と日記の日付けはさかのぼっていく。
結局のところ、真相はそれらしき姿が垣間見えるだけで、誰も明確な回答をしてはくれない。女流画家が大作家と交流を持っていたこと、似たような作品を葉発表したこと、心を病んで長い入院生活の果てに死んだこと。確かなことはそれだけなのに、日記から手紙から、その背後にあったことがちらちらと、あるいはゆらゆらと立ち上るようである。
一番わかりやすい話だった。
「太陽馬」
世界大戦を背景に、コサックに生まれた男の一生を描いた物語……ではない気がする。激動の時代、国と国が利権のために争い、民族の立つ場所はくるくるとめまぐるしく入れ替わり、明日の運命など誰にもわからない。彼は指の間に張った弦で会話する、「朕」の物語を、戦争で廃墟と化した図書館の本になぐさみに書き付ける。半ば視力を失った士官のために死ぬ。
圧巻。
短編5編を収録。童話でもおさめたかのような表紙の絵で、ふわふわした綺麗な紙。まさかこんな内容だとは。
最近微妙にロシア関連の本に縁があるような気がしてきた。
イエス!イエスイエスイエス!!
どうやら4が限りなく正答に近かったらしいです。思わず拳握ってガッツポーズしながら快哉を叫びました。それから愚昧なる編集者に怨嗟の声をあげました。詳しくは次回(の皆川博子の本感想)にして、以下感想。
「水葬楽」
広い広い、迷宮さながらの館に住むわたしと兄。母は豪奢な青貝と真珠の装飾を施された蓋つきの水槽に、しばらく保存されてそれから溶けた。父も養液に満たされた水槽の中で、脳の作る音楽を聴きながらいつか果てた。その間にわたしと兄は侏儒に出会った。侏儒は今はもう死に絶えた人々や言葉や世界の話をわたしと兄に教える。館の住人から空気同様に扱われていたわたしは、初めて言葉を教わり、書くことを知った。
多分、現在とは少しずれた世界の近未来。水槽は水葬。侏儒が語る言葉は強烈で容赦がない。わたしは周囲のエゴに晒されて、結局ものを綴るしかなくなってしまったのだろう。侏儒の罵倒と、わたしが受けた扱いの露骨さに、皆川博子の恐ろしさを知った。これだけの物を描く人が何故にあのような本を書いたのだろうか、と首を傾げたけれど、後日『鳥少年』の解説を読んでたいそう納得した。BGPが素晴らしい。西條八十とかランボーとか、もしかしたらユーゴーとかそんな感じ、と思ったら実際そうだった。これら著名な詩人が馴染む物語と言えば少しはイメージが伝わるか知らん。
「猫舌男爵」
これがもう、辛辣な皮肉なのか、それともそんなことは百も承知な慈愛に満ちたユーモアなのかちょっと判別がつかないほど戯画化された、エセ教養人の姿を描いている。一度「ぷっ」って失笑してからは爆笑につぐ爆笑。日本文化が好きです、とのたもう半可通の青年が訳した「猫舌男爵」という私家版のあとがきからはじまり、あとがきが周囲に及ぼした波紋を通過し、何故か登場人物が幸せになるという奇妙奇天烈な話。最初はヤン・ジェロムスキがまっとうな人間であると信じていたので、ねこしたって何よ?くらいにしか思わず、「THE NOTE BOOK OF KOHGA’S NIMPO」に不意打ちくらって腹がよじれるほど笑った。コーガ。ニンポ。ヤマダ・フタロ。歴史その他に関する知識も明らかにうさんくさい。ヤギによる拷問は相当に酷いはずなのだが……。「猫舌」をねこした、と読み、猫のように棘のある舌を持つ男爵が、夜な夜な乙女を攫って足の裏をなめる拷問をするのだろうか、と想像するところまではそれほどおかしくはないのだが、そこから先が想像を絶する。勝手に好きな女の子を登場させては、そのボーイフレンドに「彼女とどういう関係だ」と後日問い詰められたり(その彼女とボーイフレンドもたいそう人間がお粗末だったりする)、日本語の教師であった恩師の名前を辱めた挙句、過去の話を勝手に公開して家庭崩壊に導いたり。実にコミカルにエセ教養人の誠意のない翻訳のありさまや、それを許す本人の軽薄さを描き出している。ここまで厚顔無恥なら人生楽しくて仕方ないだろうな……。そういえば長々と自分の思い入れを不得要領に書き送った日本人の手紙も相当おかしい。見た瞬間、絶対にジェロムスキ青年には読めないだろうなと確信してしまった。
「オムレツ少年の儀式」
少年がオムレツ係になってから三日目の朝。恵まれた生い立ちではないけれど、母と二人暮らす少年は、マリア様がみていらっしゃることを心の励みにしている。
救いようのないどん底を淡々と描く。尾びれの比喩が幻想的な空気をかもし出してる。醜いものを直視しながら、醜いものの持つ魔的な魅力を存分にみせてくれるのはさすが。醜く嫌悪を催すことと、それにたとえようもなく心惹かれることがまったく矛盾しない。そして人が救済のない破滅の中にとどまっていることは、実際問題いかに言葉を飾ろうと無理であると冷徹に宣言しているように見えた。破滅に向かってひた走る、というところから連想したのは『罪と罰』だった。
「睡蓮」
書簡と日記で構成されている。早熟の天才ぶりをもてはやされた女流画家が、ひとり精神病院の部屋で死ぬまでに一体何があったのか。書簡と日記の日付けはさかのぼっていく。
結局のところ、真相はそれらしき姿が垣間見えるだけで、誰も明確な回答をしてはくれない。女流画家が大作家と交流を持っていたこと、似たような作品を葉発表したこと、心を病んで長い入院生活の果てに死んだこと。確かなことはそれだけなのに、日記から手紙から、その背後にあったことがちらちらと、あるいはゆらゆらと立ち上るようである。
一番わかりやすい話だった。
「太陽馬」
世界大戦を背景に、コサックに生まれた男の一生を描いた物語……ではない気がする。激動の時代、国と国が利権のために争い、民族の立つ場所はくるくるとめまぐるしく入れ替わり、明日の運命など誰にもわからない。彼は指の間に張った弦で会話する、「朕」の物語を、戦争で廃墟と化した図書館の本になぐさみに書き付ける。半ば視力を失った士官のために死ぬ。
圧巻。
短編5編を収録。童話でもおさめたかのような表紙の絵で、ふわふわした綺麗な紙。まさかこんな内容だとは。
最近微妙にロシア関連の本に縁があるような気がしてきた。
『鬼哭街 鬼眼麗人』
2005年3月4日 未分類虚淵玄、角川スニーカー。
完結しました。
……?
なんだろう、後書きにそこはかとない悪意を感じる。気のせい?それとも自己投影による見間違い?
左道鉗子と黒幕が最高。五分の一なら愛せる、五分の一しか愛せないとのたもうた麗人も素敵。頭脳派の社長も捨て難い。
ある意味では愛が完全勝利。
「ある意味でハッピーエンド」が、おおむね「一般的には不幸な状態」なのはなぜかしら?
完結しました。
……?
なんだろう、後書きにそこはかとない悪意を感じる。気のせい?それとも自己投影による見間違い?
左道鉗子と黒幕が最高。五分の一なら愛せる、五分の一しか愛せないとのたもうた麗人も素敵。頭脳派の社長も捨て難い。
ある意味では愛が完全勝利。
「ある意味でハッピーエンド」が、おおむね「一般的には不幸な状態」なのはなぜかしら?
ライトノベルの棚の前に立つと恥ずかしいという件について。
2005年3月4日 未分類いい大人が平積みされたライトノベルの棚の前で深刻な顔してるのは、世間一般の目から見て十分に怪しいと思うのですよ。ライトノベルの品質やら世間一般という謎の客観性について論議したいわけではないのでとっとと結論に向かいますが、要するに、
作品に設定された客層が、ひとつのジャンルとしては異常に広くないですか?
小学校低学年の夢見るお年頃(しかも女の子)から、ミリタリーオタクな三十代(多分男性)までカバーできるジャンルなんてそうそうないと思うんだけどどうですか。
つまり何が言いたいのかというと、今日本屋で新刊平積みされてた『鬼哭街 鬼眼麗人』買ったんだけど、探してる間なんかいたたまれない気持ちになったってことです。なんで18禁PCゲームのシナリオライターが書いた本と乙女向け少女小説のBL本が一緒に並んでるんだよー!
この分類を最初に考えた人って神だと思う。多分どっかで「死んだ」って言われてる神だと思うけど。
作品に設定された客層が、ひとつのジャンルとしては異常に広くないですか?
小学校低学年の夢見るお年頃(しかも女の子)から、ミリタリーオタクな三十代(多分男性)までカバーできるジャンルなんてそうそうないと思うんだけどどうですか。
つまり何が言いたいのかというと、今日本屋で新刊平積みされてた『鬼哭街 鬼眼麗人』買ったんだけど、探してる間なんかいたたまれない気持ちになったってことです。なんで18禁PCゲームのシナリオライターが書いた本と乙女向け少女小説のBL本が一緒に並んでるんだよー!
この分類を最初に考えた人って神だと思う。多分どっかで「死んだ」って言われてる神だと思うけど。
森博嗣、中央公論新社。
「ジャンル、森博嗣」としか言いようのない本。冒頭に置かれるエピグラフもまたいつもの通りに意味不明。ただ、今回はかなり有名どころなので、切り取った部分以外もわかる読者が多いことは作者も承知なのかもしれない。いつも全速力でそ知らぬふりで、ついてこれない人間は置いてけぼりなのが森博嗣。
どうしても触れておかずにはいられないのが装丁の美しさ。この美しさに引かれて、森博嗣を初めて手に取った、というひとも少なくないらしい。本屋に新刊で広く平積みされていたとき、そこだけ切り取った空が広げてあるような不思議な空間をつくりだしていた。人間がいない、極限の世界を美しいと思う心のあらわれ、なのかもしれない。
主人公は飛行機乗り。戦争を知らない世代の次の、戦争を知る世代。大人は戦争を知らない、子どもは戦争を知っている。そんな近未来を舞台に、大志もなく漠然と空を飛んで人を殺す。漠然と人に殺されるのを待っている。日常と戦争は一続きで、人を殺した右手でハンバーガを食べる。そこになんの区切りもない。
温度のない曖昧な、数値だけがはっきりした世界で、人を殺すことと人に殺されることと死ぬことについてぐるぐると考える主人公。殺されるまで死なない生き物である子ども達は、生きるということの定義が通常考えられるそれからはるかに逸脱している。
あらゆるもものの価値が等価であるといいたげなまなざしが捉えた世界。あらすじだけを切り取ると、たいそう悲惨なはずなのに悲壮感は何処にもなく、読み終えると残るのは、さっぱりした空気だけだった。
個人的に空中戦とバルブの改良とエンジンの開発はときめき度高かったです。ロマンだ。
「ジャンル、森博嗣」としか言いようのない本。冒頭に置かれるエピグラフもまたいつもの通りに意味不明。ただ、今回はかなり有名どころなので、切り取った部分以外もわかる読者が多いことは作者も承知なのかもしれない。いつも全速力でそ知らぬふりで、ついてこれない人間は置いてけぼりなのが森博嗣。
どうしても触れておかずにはいられないのが装丁の美しさ。この美しさに引かれて、森博嗣を初めて手に取った、というひとも少なくないらしい。本屋に新刊で広く平積みされていたとき、そこだけ切り取った空が広げてあるような不思議な空間をつくりだしていた。人間がいない、極限の世界を美しいと思う心のあらわれ、なのかもしれない。
主人公は飛行機乗り。戦争を知らない世代の次の、戦争を知る世代。大人は戦争を知らない、子どもは戦争を知っている。そんな近未来を舞台に、大志もなく漠然と空を飛んで人を殺す。漠然と人に殺されるのを待っている。日常と戦争は一続きで、人を殺した右手でハンバーガを食べる。そこになんの区切りもない。
温度のない曖昧な、数値だけがはっきりした世界で、人を殺すことと人に殺されることと死ぬことについてぐるぐると考える主人公。殺されるまで死なない生き物である子ども達は、生きるということの定義が通常考えられるそれからはるかに逸脱している。
あらゆるもものの価値が等価であるといいたげなまなざしが捉えた世界。あらすじだけを切り取ると、たいそう悲惨なはずなのに悲壮感は何処にもなく、読み終えると残るのは、さっぱりした空気だけだった。
個人的に空中戦とバルブの改良とエンジンの開発はときめき度高かったです。ロマンだ。
『溶ける薔薇』皆川博子、青谷舎
2005年3月2日 未分類1、うろ覚えで探したので、良く似た名前の別人と間違えた。
2、そもそも探す人の名前を間違えていた。
3、探していたのも借りてきたのも確かに皆川博子で間違っていないが、
A)ジャンルによって作品の質に差が有りすぎる人だった。
B)作品ごとに出来不出来の激しい人だった。
C)友人が皆川博子を過大評価していた。
C’)ってういか友人が言っていたのは皆川博子とは別人だった。
D)世間一般の感性をわたしが持ち合わせていなかった。
E)皆川博子がへちょかった。
4、上記以外の原因により、知らないうちに不幸なすれ違いが起こっていた。
上記の設問を回避した場合、以下の可能性にたどり着くので注意。
1)作者が趣味丸出しで設定した登場人物が贔屓されてるとテンション下がるよね。
2)登場人物に作者の「好みのタイプ」が露骨に反映されていて、かつパロディでもパスティーシュでも色物でもネタ物でない場合は漏れなく倦怠感に襲われるよね。
3)ぶっちゃけ物語に関係ない作者の趣味なんてどうでもいいので、いい加減にしろ。
4)看板に偽りがあるのって駄目だと思う。
すいません。
2、そもそも探す人の名前を間違えていた。
3、探していたのも借りてきたのも確かに皆川博子で間違っていないが、
A)ジャンルによって作品の質に差が有りすぎる人だった。
B)作品ごとに出来不出来の激しい人だった。
C)友人が皆川博子を過大評価していた。
C’)ってういか友人が言っていたのは皆川博子とは別人だった。
D)世間一般の感性をわたしが持ち合わせていなかった。
E)皆川博子がへちょかった。
4、上記以外の原因により、知らないうちに不幸なすれ違いが起こっていた。
上記の設問を回避した場合、以下の可能性にたどり着くので注意。
1)作者が趣味丸出しで設定した登場人物が贔屓されてるとテンション下がるよね。
2)登場人物に作者の「好みのタイプ」が露骨に反映されていて、かつパロディでもパスティーシュでも色物でもネタ物でない場合は漏れなく倦怠感に襲われるよね。
3)ぶっちゃけ物語に関係ない作者の趣味なんてどうでもいいので、いい加減にしろ。
4)看板に偽りがあるのって駄目だと思う。
すいません。
『気まずい二人』『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』
2005年3月1日 未分類なんとなく三谷幸喜。
芸能ネタはすなわち時事ネタであるのだなあつくづくと思った。
少なくとも10年単位で待たないと、それが残るものであるかどうかもわからない辺り(そして10年経ったら記憶にない辺り)。
『気まずい二人』角川書店。
人見知りで微妙に自意識過剰の三谷幸喜が、女性ゲストを呼んで恐怖の対談に臨む。で、それをまとめて「おおむね対談集」にした本。
初回の会話の途切れっぷりが面白い。「耳に入ってません」とはっきり言い切る三谷幸喜の態度に爆笑。これだけ面白かったら話し下手でも許されちゃうかもしれない。一人で外食するときに視線の収まりどころが悪くて居心地が宜しくない、プールで泳いだとき一方通行で歩いて帰ってくるとき何を考えていいのかわからない、など日ごろ感じていた座りの悪さを共有できる人がいたのが妙に嬉しかったです。本を片手に喫茶店は平気でも、一人で黙々と食事するのってなんかこう、視線が泳ぐというか考えが泳ぐというか、わたしはとにかくいたたまれない気分になります。
そしてこの本のもっとも偉大な点は、「(笑)」を一度も使用せずに会話の雰囲気を再現しているところにあると思います。「(笑)」は便利なだけに安易に使用してしまいがち、と指摘しつつ華麗にクリアしているのはさすが。脚本家にして劇作家なだけのことはあります。本職の腕が冴え渡る。
『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』朝日出版社。
朝日新聞で連載している身辺雑記を一冊にまとめたもの。シリーズ二冊目。2001年9月25日〜2002年12月25日連載分。
井上陽水ってへんなひとですよね(ものすごく褒めてる)。
芸能ネタis時事ネタの法則。
芸能ネタはすなわち時事ネタであるのだなあつくづくと思った。
少なくとも10年単位で待たないと、それが残るものであるかどうかもわからない辺り(そして10年経ったら記憶にない辺り)。
『気まずい二人』角川書店。
人見知りで微妙に自意識過剰の三谷幸喜が、女性ゲストを呼んで恐怖の対談に臨む。で、それをまとめて「おおむね対談集」にした本。
初回の会話の途切れっぷりが面白い。「耳に入ってません」とはっきり言い切る三谷幸喜の態度に爆笑。これだけ面白かったら話し下手でも許されちゃうかもしれない。一人で外食するときに視線の収まりどころが悪くて居心地が宜しくない、プールで泳いだとき一方通行で歩いて帰ってくるとき何を考えていいのかわからない、など日ごろ感じていた座りの悪さを共有できる人がいたのが妙に嬉しかったです。本を片手に喫茶店は平気でも、一人で黙々と食事するのってなんかこう、視線が泳ぐというか考えが泳ぐというか、わたしはとにかくいたたまれない気分になります。
そしてこの本のもっとも偉大な点は、「(笑)」を一度も使用せずに会話の雰囲気を再現しているところにあると思います。「(笑)」は便利なだけに安易に使用してしまいがち、と指摘しつつ華麗にクリアしているのはさすが。脚本家にして劇作家なだけのことはあります。本職の腕が冴え渡る。
『三谷幸喜のありふれた生活2 怒涛の厄年』朝日出版社。
朝日新聞で連載している身辺雑記を一冊にまとめたもの。シリーズ二冊目。2001年9月25日〜2002年12月25日連載分。
井上陽水ってへんなひとですよね(ものすごく褒めてる)。
芸能ネタis時事ネタの法則。
長野まゆみ、文春文庫『鉱石倶楽部』購入。ハードカバーで昔々に読んで、たいそう待ち焦がれていた文庫化万歳。
写真などの視覚的要素が重要な本は、文庫になると大抵ハードカバーのときに持っていた美しさを失うものだけれども、この本は見事なまでに持ち味の美しさを損なわずに文庫化されている。書き下ろし短編収録の上、写真と小エピソードも追加されていて、長野まゆみのファンタジー理科アイテムが好きなひとは買って損なしむしろ必見。綺麗な石が好きだという人も手にとって見ると良い。美しい言葉と美しい鉱石の写真を集めた美しい本である。
これから怪しい笑みを浮かべつつじっくり眺める予定。
写真などの視覚的要素が重要な本は、文庫になると大抵ハードカバーのときに持っていた美しさを失うものだけれども、この本は見事なまでに持ち味の美しさを損なわずに文庫化されている。書き下ろし短編収録の上、写真と小エピソードも追加されていて、長野まゆみのファンタジー理科アイテムが好きなひとは買って損なしむしろ必見。綺麗な石が好きだという人も手にとって見ると良い。美しい言葉と美しい鉱石の写真を集めた美しい本である。
これから怪しい笑みを浮かべつつじっくり眺める予定。
『不実な美女か貞淑な醜女か』
2005年2月21日 未分類米原万里、新潮文庫。
内容(「BOOK」データベースより)
同時通訳者の頭の中って、一体どうなっているんだろう?異文化の摩擦点である同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる著者が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同時通訳の内幕を初公開!「通訳」を徹底的に分析し、言語そのものの本質にも迫る、爆笑の大研究。
背表紙にあった内容紹介も大体こんな感じ。手応えのある、実にいい重さの本でした。読んだタイミングも良かったし。通訳の仕事の内側を垣間見る爆笑レポートとして読むもよし、美しい日本語で書かれた軽妙洒脱なエッセイとして読むもよし、母国語と外国語との関係についての参考にするもよし、一粒で二度三度四度とおいしい本。「ことば」について興味のある人間なら一読の価値アリ。
罵倒語についてのくだりを読んで、思わずハートマン軍曹を思い出した人はみじんこの類友です。あれは翻訳したひとも、翻訳してくれなきゃ嫌だとのたもうた監督も並みの人物ではない。
実はかなりアカデミックな本、しかし、それを感じさせないほどに洗練された著者の筆力が、「外国語によって母国語を見直す」という言葉を体現していると思う。通訳の人はみんな日本語が綺麗だと作中で言っていたけれど、本人も例に漏れず美しい言葉を使う人でありました。
ところで、大江健三郎がこの本のタイトルを指して「最悪」とのたまったそうですが、最悪なのはお前のセンスだ!と思った人は他にもいると信じている。
内容(「BOOK」データベースより)
同時通訳者の頭の中って、一体どうなっているんだろう?異文化の摩擦点である同時通訳の現場は緊張に次ぐ緊張の連続。思わぬ事態が出来する。いかにピンチを切り抜け、とっさの機転をきかせるか。日本のロシア語通訳では史上最強と謳われる著者が、失敗談、珍談・奇談を交えつつ同時通訳の内幕を初公開!「通訳」を徹底的に分析し、言語そのものの本質にも迫る、爆笑の大研究。
背表紙にあった内容紹介も大体こんな感じ。手応えのある、実にいい重さの本でした。読んだタイミングも良かったし。通訳の仕事の内側を垣間見る爆笑レポートとして読むもよし、美しい日本語で書かれた軽妙洒脱なエッセイとして読むもよし、母国語と外国語との関係についての参考にするもよし、一粒で二度三度四度とおいしい本。「ことば」について興味のある人間なら一読の価値アリ。
罵倒語についてのくだりを読んで、思わずハートマン軍曹を思い出した人はみじんこの類友です。あれは翻訳したひとも、翻訳してくれなきゃ嫌だとのたもうた監督も並みの人物ではない。
実はかなりアカデミックな本、しかし、それを感じさせないほどに洗練された著者の筆力が、「外国語によって母国語を見直す」という言葉を体現していると思う。通訳の人はみんな日本語が綺麗だと作中で言っていたけれど、本人も例に漏れず美しい言葉を使う人でありました。
ところで、大江健三郎がこの本のタイトルを指して「最悪」とのたまったそうですが、最悪なのはお前のセンスだ!と思った人は他にもいると信じている。
『あらしのよるに』がついに完結したので買おうかなーと、6冊セットで6300円に躊躇しつつもここで買わずして何が大人買いか!と右手をぶるぶるさせながら、
九鬼周造の『「いき」の構造』買っちゃった……。
講談社学術文庫はいい本が揃ってるんだけどいかんせん高いんだよなー、と本棚の前をうろうろしていたのが敗因。来月に見送る予定だったのにー!でも、同じ文庫の某事典を買わずに済ませた自分エライ。文庫でも辞書の類は2000円3000円平気でするんだもんなー。厳しい。
先日買った割とまっとうなブツ→『てるてる×少年10』『不実な美女か貞淑な醜女か』
追記。
7yで注文していたのをすっかり忘れて、『不実な美女か貞淑な醜女か』を買っていたことが発覚……。うわああん友人にプレゼントするからいいもんー!(泣)。
九鬼周造の『「いき」の構造』買っちゃった……。
講談社学術文庫はいい本が揃ってるんだけどいかんせん高いんだよなー、と本棚の前をうろうろしていたのが敗因。来月に見送る予定だったのにー!でも、同じ文庫の某事典を買わずに済ませた自分エライ。文庫でも辞書の類は2000円3000円平気でするんだもんなー。厳しい。
先日買った割とまっとうなブツ→『てるてる×少年10』『不実な美女か貞淑な醜女か』
追記。
7yで注文していたのをすっかり忘れて、『不実な美女か貞淑な醜女か』を買っていたことが発覚……。うわああん友人にプレゼントするからいいもんー!(泣)。
ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫。
「新約聖剣」やら「ひぐらし」やらに時間を取られて今月は恐ろしく冊数が少ないけれどもとりあえず「ドストエフスキー読んだぜ」と言えば、こいつに時間がかかったせいだと言い訳できる。多分。
訳のあまりのまずさに第一部で時が止まっていました。誰が発言したかわからないっつーのはあんまりではないのか……。ロシアの歴史や思想を殆ど知らないので、更に混乱しましたがそこら辺は自業自得としてあきらめるとしても!
指示語が具体的に誰を/何を指しているかわからないことが多い前半には泣きが入ったです。「君が言ったです」のような文章が平気で登場するのにも辟易したしな。一番アレだったのは「フランス語をカタカナ表記」で(以下略)。
ステパン氏はどうでもいいですよ。えんえんステパン氏のことを書いている第一部が非常につらかった。でも、ニコライ主導になった二部からは物凄い勢いで読みました。面白い。三倍速で読める。この勢いが下巻でも持続されるなら、下巻は二日くらいで読んでみせる!
ところで思想関係の部分で、途中までたいそうな勘違いをしていたことがわかったのでメモメモ。ロシアのキリスト教信者にとって、神と自然は同一のものではない。自然が人間を創造したという考えは、むしろ科学的な無神論である、と。自然イコール神であるところの日本人思考で読んでいたから、途中まで発言が矛盾してるよなこいつ、と派手に勘違いしていました。がっくり。
「新約聖剣」やら「ひぐらし」やらに時間を取られて今月は恐ろしく冊数が少ないけれどもとりあえず「ドストエフスキー読んだぜ」と言えば、こいつに時間がかかったせいだと言い訳できる。多分。
訳のあまりのまずさに第一部で時が止まっていました。誰が発言したかわからないっつーのはあんまりではないのか……。ロシアの歴史や思想を殆ど知らないので、更に混乱しましたがそこら辺は自業自得としてあきらめるとしても!
指示語が具体的に誰を/何を指しているかわからないことが多い前半には泣きが入ったです。「君が言ったです」のような文章が平気で登場するのにも辟易したしな。一番アレだったのは「フランス語をカタカナ表記」で(以下略)。
ステパン氏はどうでもいいですよ。えんえんステパン氏のことを書いている第一部が非常につらかった。でも、ニコライ主導になった二部からは物凄い勢いで読みました。面白い。三倍速で読める。この勢いが下巻でも持続されるなら、下巻は二日くらいで読んでみせる!
ところで思想関係の部分で、途中までたいそうな勘違いをしていたことがわかったのでメモメモ。ロシアのキリスト教信者にとって、神と自然は同一のものではない。自然が人間を創造したという考えは、むしろ科学的な無神論である、と。自然イコール神であるところの日本人思考で読んでいたから、途中まで発言が矛盾してるよなこいつ、と派手に勘違いしていました。がっくり。