山内志朗、平凡社新書。

卒論戦友その2。本の整理中に発掘。ついでに、懐かしくなったので卒論関係の本を積み上げて、端から読んでいます。
大学で日々生徒の論文と格闘している現役教授の書いた、論文マニュアル。笑いの研究をしている学者として、トリビアに二回ほど出演していたので、知っている方は知っていらっしゃるのではないでしょうか。滑舌が微妙に悪くて、頻繁に「ハビトゥス」と言う、頭髪の具合がちょっとフランシスコ・ザビ(恩師に対してあまりに暴言に過ぎるので略)みたいなあの人です。
参考文献の挙げ方や記号の使い方、紙に出力する際の注意、採点者の視点から見たいい論文など、非常に実践的で実用的な内容です。
何が一番いいかというと、そもそも「論文」というものはなんぞや?というところをちゃんと解説している点。論文には論文という形式があり、それを外したらどれほど素晴らしい内容でもアウトですよ、という基本が何度も繰り返されます。高校までの勉強で「論文とは何か?」なんて習ったことがないのに、大学生になった途端「単位が欲しけりゃ論文を書くのだなけけけ」という環境になって戸惑ってしまう人は少なからずいると思われます。実際わたしは卒論書いてる最中に「論じる、という言葉の意味が解りません」とのたまって担当教官に嘆息されました。だって国語辞典に載っている「論じる」と、論文の内容として適当な「論じる」は違うと言うことを知らなかったのですもの。
そしていよいよ締め切りが近づいてきてどうもこうもしようがなくなる寸前に買いました。
で。
人生に近道無しという言葉の意味を思い知りました。正当な手段では間に合わない→求む近道→一番近いのが正当な道程と知ったときのあの衝撃。目的地に一番正しくかつ早く到達する手段が王道であり、そしてその王道には近道がないのです……。
王道では遠すぎる!と手っ取り早い近道を求めてこの本を買ったわたしはまだまだ甘かったようです。
このように、少なくとも夢を見ている若者には真理を知らしめる力がこの本にはあります。そして思い知った後に読むと、無駄のないシンプルな解説と構成、そして語られている内容の含蓄深さがとても楽しい。
そして何度読んでも「角ブラケット[]」の正しい使用方法がわからなくて悔しいです。そもそも普段角ブラケットが出てくるような本なんて読んでないですから。……がくり。
池波正太郎、文春文庫。新装版。新装版のほうが50円高い。

読んだことがあるようなないような、ないようなあるような。読んだことがあるとしたら、中学生の時に買った文庫が何処かにあるはず。『幕末遊撃隊』は間違いなく持っていると断言できるのに、記憶の衰えって怖い。
主人公は永倉新八。明治維新後まで生き残った数少ない新選組隊士。

出版社/著者からの内容紹介
「剣道の快感に没入した青春の血をそのまま新選組に投じた永倉新八の一生。女には弱いが、剣をとっては近藤勇以上と噂された彼の壮快な人生をさわやかに描いた長篇」

以下まっとうとは程遠い感想。
永倉が主人公なのに土方にばっかり目が行きます。近藤勇がなりあがりになってしまった後半の描写は毒があっていい。斎藤一が個人的イメージと違うのでわけのわからないことに。「島田甲斐」という名前が一度だけ出てくるんですが、これは島田魁とは違う人なのでしょうか。
さまざまな創作物(小説映画漫画など)から多種多様なイメージを仕入れてきているので、主にビジュアル面での統一が致命的にとれず、脳内がものすごいことになりました。だって時々美少女混ざっちゃうんですよ美少女。しかも例の羽織の下が制服(ブレザーとかセーラーとか)というものすごい絵面。もうあの頃には戻れない。
永倉新八の一生を通して、幕末〜明治維新〜維新後の歴史の流れをみることができる、すぐれた歴史小説でもあります。維新が粛清をともなう革命であり、血なまぐさい勢力争いであったことを知らない/忘れている学生さんにそっと「勉強の楽しさがここに……ふふふ」と言いながら手渡したい一冊。『関ヶ原』を読んだ際に「この恨み晴らさでおくべきかを400年持ち越した薩長」という話をしましたけど、この本でもその点に触れられていて面白かったです。

やっぱり読んだことがあるような気がする。
コンビニに行ったら『BLEACH』の19巻があったので買ってきました。公式発売日は4日ですって。

砕蜂が可愛いらしすぎてときめきゲージが振り切れました。
宮下あきら、ジャンプコミックスデラックス(要するに集英社)。

これは……一体どう書いたら野暮なネタバレを避けられるのかしら……。
とりあえず、ファンが長いこと待ち望んだ垂涎の一冊であり、その気持ちに報いて余りある内容であることは間違いありません。純真だったあの頃のわたしも、一体何処の本屋に行けば民明書房の本が手に入るのかと、その入手難度の高さに溜息をついたものです。ふふふ。
しかし冗談抜きで宮下あきらの博識ぶりには舌を巻きました。中国だけじゃなくてギリシャエジプトもばっちり守備範囲内。日本は言うまでもなく。
ところで本書内に「硫酸池に浮かべた不溶性の紙片の上を驚異的速さで駆け抜ける」という技が紹介されているのですが、子供の頃「水の上を右足が沈むより先に左足を出し、左足が沈むまでに右足を出せば、水の上を走ることができる」というのを本気で信じていたことを思い出して懐かしくなりました。修行すればできるんですよね、きっとこれ。忍びの技でも見かけることだし(かなり本気)。硫酸池と紙片は無理だとしても、まあそこら辺は伝説ゆえの誇大表現ということで。
いくつか説明を見ても一体どんな技なのか見当もつかないものが幾つかありました。こうなったら『魁!!男塾』を全巻集めるしか。塾長と鬼ヒゲを見ていると、何故かハートマン軍曹を思い出して胸がときめきます。気合で宇宙空間から帰還。
民明書房以外の太公望書林やミュンヒハウゼン出版の本の紹介もあります。対談もあるし民明書房社歌もあるし、眺めているだけで面白い巻末の書籍名索引など、実に充実した内容です。
H・P・ラヴクラフト、大瀧啓裕訳、創元推理文庫。

「ダゴン」
「家の中の絵」
「無名都市」
「潜み棲む恐怖」
「アウトサイダー」
「戸口にあらわれたもの」
「闇をさまようもの」
「時間からの影」
全8編と書簡の一部を「履歴書」として収録。
ぐっときたのが「家の中の絵」「無名都市」「アウトサイダー」。大嵐と雷に追われて入った、古びてねじけた家の中には、食人の絵を眺めて暮らす老人、そして天井からしたたり落ちてくる赤い液体……。古びた家の、湿って歪み何か悪夢のような出来事を隠しているような気配と、メインとなる本の描写が素晴らしかった。夢に見るような金箔押しに皮の装丁。おぞましい食人の絵のある頁には捲り癖がついて、開いて置けば必ずその絵があらわれる。そしてなんか赤い液体が落ちてきたギャー!と世にもおぞましく美しい本の話なのです。
「無名都市」も同じく美しい。アラビアの砂漠の彼方に、崩れはて、うち黙して横たわる廃墟の都市。乾いた砂と風と石と月と。「うち黙す」「都邑」「かぐろき」など古めかしい言葉で語られるかつて栄えた呪われし都と、その最奥にあったもの。幻想の極致、耽美の憧れであります。で、その2本を蹴り倒してなお惜しみないのが「アウトサイダー」。深い森の奥、己のほか誰一人といない寂れ果てたの城の中で光もなく書物の知識だけで外界を知る「余」が、森を越えて外界へと至ることを諦めたのち、高くそびえたつ塔に上ることに。塔は崩れかけ満足に窓もないが、「余」は憧れに駆られてひたすら塔をのぼっていく。そしてついに塔を上りきり、何処かの教会の床にある蓋を押し開けて外界へ。何から何まで美しい。ロマンだ、ここには浪漫があるよ。
「戸口にあらわれたもの」は、昔に子供向けにわかりやすく書き改められたものを読んだことがあったので懐かしかった。意外と読んだことがある作品があって驚きです。

この巻は訳が微妙に直訳調ですね。元の文が大仰で古風な言い回しであることを差し引いてもやっぱりなんだか直訳調。いえ大好きですが直訳。
資料によると、ラヴクラフトはきわめて古風な十八世紀の文化と文体を好んでいたそうで、なるほどこの古典的な空気漂う美文はそこで培ったのね!と大いに納得しました。
「大いなる種族」の外見を想像すればするほど、ホラーからかけ離れたおかしさというか可愛らしさを感じてしまいます。っていうか誰なのよホラー分類したのは。ラヴクラフトの作品中では、一般にホラーと呼ばれる恐怖とは違った方向性の恐怖が追及されているように思えます。人類の及ばぬ存在に対する畏怖がほとんどで、直接危害の及ぶような怖さについてはあんまり言及されてないのではないでしょうか。どっちかというと、人知を超えた存在に遭遇した、想像力豊かな人が類推と妄想で怯え死んでいる感じ。
にゃる様は案外簡単に呼び出されるんだなーとか、愛称が「ラヴィ」から「教授」に昇格できてよかったね、とか細々しい感想は省略。
常々、わたしは角川スニーカーをそのチャレンジャーぶりから「剛の者よのう」と思っていたわけですが、「業の者」と呼ぶのが正しいように思えてきました。「の」を取ったら「業者」だし。

『エンジェルバレット』10月1日発売予定。

変態神父と2丁拳銃少女が世界を救う
[ 著編者 ]
相島巻 イ:吉田 音
[ 内容 ]
世界が赤い月に包まれる時、2丁拳銃を操るの少女セーラが現われた。彼女のサポートをするのはクラウスなる神父。ところがこの神父、彼女に踏まれないと魔力が発揮できない真性のM。果たして世界の行く末は!?

これはまあ妥当なレベルとして、一緒に公開されていた帯の煽り文句。

「神父は踏まれて強くなる!
 マゾ神父と2丁拳銃少女の大アクション!!」

誰の仕業だこれ。
買う絶対買う超買う。
高村薫、『新リア王』上下巻、予約受付開始ー!!

今年書き直して単行本で出すというのは本当だったのですね!やった!わー!

予約しようかと発売日を見たら、丁度出かけている頃……。いつも使っている7yは、到着後10日以内に取りに行かないといけないのでちょっと躊躇します。
石田衣良、文春文庫。王様でずっぱり。

「東口ラーメンライン」
「ワルツ・フォー・ベビー」
「黒いフードの夜」
「電子の星」

短編3本と中編1本収録。
帯の内容紹介を引用すると、
「・拒食症の少女と嫌がらせを受ける元Gボーイズのラーメン屋
 ・通り魔に一人息子を殺されたジャズタクシー運転手の決断
 ・違法デリヘルで売春をさせられる十四歳のビルマ人少年の闇
 ・人体切断DVDと親友の行方を追う「負け犬」ネットおたく」

内容は、というと、帯の紹介文そのまま、なんの捻りもありません。面白くなくはないけどマンネリですね。シリーズが長くなるとあらわれる、ちょっと眉をしかめたくなるような傾向が随所にあります。
たとえば、事件の展開が最初の三分の一で読めてしまうところ。ラーメン店の競争の激しさをあらわすのに、
「スープでスープを洗う激烈な戦闘が日々繰り広げられ、無数の豚と鶏の遺骨が店の奥に積み上げられている」
など、なんの驚きもない展開をそれでも読ませる細部はさすがなのですが、「東口ラーメンライン」はラーメン屋の競争と拒食症の間に、なんの有機的なつながりも見出せません。そのせいで物語の構造がゆるいというか、それこそツインタワーのようにバランス悪く要素が突出してる印象。おなかがすくのは正しく食べ物が美味しそうに書かれているからなのですけど、あっちとこっちで関係ないよ、というスタイルはどうなのかなあ。
以前に出てきたキャラクターを、ちょいちょい登場させるのも長いシリーズには多い手法ですが、必要もないのに顔出しのために場面を設けるのは「はじめて手に取った人」に不親切なのではないかしら。もっとさりげなく、シリーズ読んでいる人はにやりとできる、読んでいない人にはなんてことのない場面として流せないものかしら。1行で終わりそうな描写を、だらだらとキャラクターへの陶酔で引き伸ばされている感じがして好きではないのです。これを注意深く取り扱わない作者からは、自己満足のにおいがします。
最近、とある小説家が「知らない人は知らないけれど、そのジャンルが好きな人なら知らないものはいない有名人」の名前を挙げる際に「知ってるかな?」とのたまったのにたいそう幻滅。石田衣良が「誰も知らないものを〜」とのたまったのにも同じ印象を受けました。一度気になると、斜面を転がり落ちる雪玉のようにふくれあがるこの疑心。
王様は事件を解決するのに便利らしく、非常に登場率が高いですね。そしてそこもつい穿った目で見てしまうわたしは、一度石田衣良を休んだほうがいいのかもしれません。不満と疑心に満ちた感想が続いていいことなんて、ひとつもなさそうです。

聞くところによると、オーディオの凝ったケーブルは、メートルあたり60万円くらいするものもあるそうです。うわーい霊感商法。

その他

2005年9月23日 未分類
『フルーツバスケット』新刊買いました。18巻?18巻です。

由希の物語本筋からの追いやられぶりの激しさが……もはや笑えます。紅野さんはえらそうな顔してる場合じゃないと思うよこのロリコン。元がつくかもしれないけどロリコンでしょうとも。

素子さん超すてきー。
谷徹、講談社現代新書。

タイトルどおりの「現象学」入門書。卒論中の唯一にして最大の戦友(とも)。この本がなかったら、わたしは無事に卒論を仕上げることができたかどうか。
「ちょっと休憩」と称して設けられている「コーヒーブレイク」の項が、休憩どころではない難易度のとき、思わずタイトルに偽りあり!って突っ込みたくなります。突然「たとえば、ドゥルーズ的な「リゾーム」の概念かもしれない」って言われてもさっぱりわかりません。理解以前の問題として、ドゥルーズなんて読んだことないです(さすがに本文中ではこういった事態は注意深く避けられています)。

フッサールの「現象学」を素人にもわかるように非常に平易に簡潔に解説した入門書。他の人の評価も気になってネットで調べてみたところ、ものすごく評判が良かった。さもありなん。
フッサールはなぜ現象学という学問をはじめたのか?何を目指したのか?現象学とはフッサールにとってどういうものであったか、と現象学の「内容」よりも「ありよう」から先に入ります。これによって現象学が「手段」であり、問い詰める先がなに/何処であるのか明確になって、より内容がつかみやすくなっています。

序章  あなたと私が現象学だ
第一章 現象学の誕生
第二章 現象学の学問論
第三章 直接経験とは何か
第四章 世界の発生と現象学
第五章 時間と空間の原構造
第六章 他者の現象学
第七章 現象学的形而上学と事実学的諸問題

このわけのわからない単語の羅列が、読み進めるにつれて厳密に意味を定められた「説明」であることが読み取れるようになって、理解するということ、がどのようなことか実に強く体感することができます。ちょっと逸れますが、学術書に類する本を読むときに楽しいのは、なんとなく、曖昧に使っていた言葉が方法/道具として使用されるときにどれだけ精密なものとなるか、 思い知らされること。己の太刀打ちできない高所にいる人に、実践することによって無言で痛烈に罵倒されているような気分になって、何度体験しても楽しい。駄目な部分をこれでもかと踏みにじられる快感。
学問としての現象学は「あらゆる学問の基礎となる学問」として追及されます。わたしたちは、通常の生活では無意識に「三人称」で世界を見ているようなつもりでいます。ここに世界があって、空間があって、地球の日本のある県のある都市の現代に、大勢の一人として存在している。視点としてはドラマや三人称の小説を読むのに近いでしょうか。神様のように自分を含む生活や世界を外から見ることができるつもりになっている。しかし、実際のところわたしたちは「一人称」でしか世界を見ることはできず、わたしが見るものはわたしの目から見た限定的な世界でしかないということを忘れている。科学や技術が発達すればするほど、わたしたちは外から世界を眺めることができるようになって、自分の視点を忘れてしまう。この時忘れられてしまった視点、そこから見る「科学や技術によっておおい隠されてしまった世界」をもう一度発見し取り戻そうというのが現象学の試みなのです(外から世界を見る、というのは「神の視点で見る」ということそのままではないです。念のため)。
では、わたしたちはわたしたちの「外側」をどうやって見ているのか?わたしと世界はどのような関係にあるのか?(世界は私の外側なのか、わたしと世界は同じものなのか違うものなのか)。そしてわたしはわたしだけれど、今そこにいるあなたは一体なんなのか?
と、存在しているものごとの、根源的なところを問い、世界と存在についての究極の謎にたどりつく、大変に刺激的な学問なのであります。
世界、わたし、あなたがどうして存在しているのか、それらは一体全体「なに」なのか、大真面目に考えちゃう哲学ラブ。これだけ科学が発展しても出ない答えを追い求めて学問の象牙の塔に篭っちゃう哲学者って傍目にはとてもロマンチストに見えませんか?彼らは別に好きで閉じこもっているわけではなくて、学問として高次になればなるほど「足元が覆い隠されて現実から遠くなる」ために、世間一般、つまり足元から遠く離れざるを得なかっただけなのですが。哲学の本に書いてある「生きた学問になりたーい」というのは、こういうところからきた切実な思いなのですね。地に足ついた現実を求めれば求めるほど、空想の世界に近い、上のほうにふわふわ漂ってしまう悩み。なんだか可愛らしいような気がしてきました。

そしてきっと中途半端な理解と、中途半端な言語能力で書かれたこの感想のせいで現象学を誤解してまう人が出るに違いない。……この感想を読む人がいれば、という前提をすっ飛ばして確信。

ああ、懐かしい、師匠の本探してこようっと。

『LAST』

2005年9月18日 未分類
石田衣良、講談社文庫。

『波のうえの魔術師』と『赤・黒』で石田衣良にすっかり参ったクチなので、帯の煽り文句「予想もできない反撃!」に非常にわくわくしながら読んだのですが、できはイマイチでした。連作というほど各短編の間に共通しているものがあるわけでもない。実に微妙。面白くなかったなんてことはないのですが、今までにもっと面白いものを見せてもらったことがある読者としては、これは不満の残るでき。

「ラストライド」
「ラストジョブ」
「ラストコール」
「ラストホーム」
「ラストドロー」
「ラストシュート」
「ラストバトル」
7編収録の短編集。現実の容赦ない重さ(主としてお金)に押しつぶされかけた7人の、最後の選択肢は反撃だった。
「ライド」のあの「ぶったぎるように終わる」幕切れに呆然とした人と仲良くなれそうです。どこがラスト?何がラスト?!むしろここからが勝負どころじゃない。
綺麗にまとまって面白かったのは「ラストドロー」くらいしかしら。短編の長さにぴったりのサイズの物語が小気味良かった。
看板持ちが勝手に命を賭けられて、ロシアンルーレットをする嵌めになってしまう「ラストバトル」も面白かったけれど、博打で人生を勝負するとなると、どうしても『赤・黒』の熱狂的興奮を思い出して比較してしまうので、単純に良かった面白かったという気持ちよりも、もう少しなんとかして欲しいという気持ちが先に立ってしまいます。
読み終わって借金地獄と売春の登場率の高さにげんなりしました。なんだかそればっかり読まされているような気になってきます。ハードボイルドっぽい場面が藤原伊織を彷彿とさせますが、正直向いてないんじゃないでしょうか。あとがきもどことなく気持ち悪い語り口が引っかかる。
最近石田衣良は面白かった/面白くないのぎりぎりの境界上をふらふらするような本ばかりなので、そろそろデフォルト買い作家リストから外れそうです。『骨音』の時からよくない感じがしていたのですが、そろそろ気のせいとも言っていられない。『電子の星』が積んであるのでそれを読んで決めようかと思います。
不満にまみれた感想になっちゃったわー。
『LAST』石田衣良、文春文庫
『幕末新選組』池波正太郎、文春文庫

『LAST』はこの間通販で入手し損ねたのが、本屋さんに行ったら平積みされていたので。『幕末〜』は持ってたかどうか怪しくて、悩んだ上に購入。

岩井志麻子の『黒焦げ美人』の表紙は全然田辺聖子じゃなかったです……。上巻発掘したので開いてみたら、そういえば桐壺の辺りはまるっとショートカットされてたのでした。開いた瞬間思い出さなくても。そしてうろ覚えで余計なことを書いて、かかなくてもいい恥を晒しています。そしてその昔挫折した円地文子の源氏物語が読みたくなりました。

『合意情死』

2005年9月16日 未分類
岩井志麻子、角川文庫。

「合意情死」と書いて振り仮名は「がふいしんぢゆう」、読みは「ごういしんじゅう」。
順調に岩井志麻子を消費しております。発刊ペースのせいでしょうか、楽しく読み捨てにしている印象があります。ということは、思っているより軽やかなのかしら岩井志麻子。

「華美粉飾」(はでづくり)
「合意情死」(がふいしんぢゆう)
「自動幻画」(シネマトグラフ)
「巡行線路」(みまはり)
「有情答語」(いろよきへんじ)
以上の短編5本を収録。背表紙の解説をそのままひっぱると、
「思惑と欲望がうずまく小市民たちの葛藤を、滑稽(ユーモア)と
恐怖の中に浮き彫りにした、名手による傑作短編集」
ということらしいです。
また「一言で言えば、これは<運命の女>の小説集(解説より)」でもあります。
とりあえずわたしが喜んだポイント。
まず美文。明治大正昭和初期までに漂う、あの懐かしくもロマン溢れる香り満ち満ちています。華やかで古びて埃と黴の匂いがする、薄暗い豪奢な部屋を照らす、闇を払拭し切れない電燈の光。「華美粉飾」が「はでづくり」ってしびれませんか?
登場する女達の美しさ。
「美人絵端書と称される、東京の名のある芸妓を写した端書よりも端整で清楚な横顔がそこにあるのだ。そしてそれは、異国の硝子細工の花瓶の如く繊細で脆く傷つきやすいものに映った」
「赤い革の靴を履いた足は、すっきりときれいに伸びていた。それは五十嵐の全身を踏み躙るように尖ってもいた」
「美しいが嘘つきなのだ」
短編ごとに違った性質の女が登場しますが、その全員が美しい。しかも幸福で陽の当たるような一面的な美しさではなく、妖しかったり不幸そうだったり、寂しそうだったりと幾重にも折りたたまれた襞を思わせる翳のある女が多い。
「巡行線路」が滑稽ながらもハッピーエンド、「有情答語」も主人公が改心するなど珍しい結末のものがあることに驚きました。絶望バッドエンドもいいけれど、こういった展開も素敵。
一番あっと思ったのは「華美粉飾」のテルでした。すばらしい。
『黒焦げ美人』から間を空けずに読んだせいか、世界が繋がっている感じがして不思議な気分です。しかし引き続いているようで違う世界だということがわかると、同じような登場人物がまたいるのかと、マンネリを感じなくもありません。いっそ全つなぎにしてくれたらそれはそれで違う楽しみが見出せるかも。

感想と関係のないメモ。
「思惑」が「おもわく」だということはわかっているのですが、どうしても「しわく」と読んでしまい、「塩飽」と変換されるたびにしまったなあと思うのですが一向になおりません。間違っているとわかっていても、そのままあえて使うのはよくない癖です。

購入日記

2005年9月15日 未分類
『合意情死』
『ラヴクラフト全集3』『ラヴクラフト全集4』
『電子の星 池袋ウェストゲートパーク4』

同時に注文した石田衣良の『LAST』が出版社に在庫問い合わせの上キャンセルされてがっくりです。もうちょっとしっかりしてくださいよ7yさん!
横溝正史、角川文庫。

「悪魔の降誕祭」
「女怪」
「霧の山荘」
金田一耕介の活躍する三編を収録。

表題作「悪魔の降誕祭」はなんと第一の殺人が金田一の事務所で行われています。数々の事件を解決してきた探偵の事務所で殺人といういわく言い難い状況を、登場人物たちが「なにかしら、滑稽千万な間違いのように」思っているのがまたおかしい。読み手がきっと同じ気持ちになるのを狙って書いていると思うと、さすが横溝正史と大御所の貫禄を感じます。これは金田一耕介という積み重ねのなせるわざなのですね。
身近で行われる殺人の予感に怯え金田一の事務所訪れた女性が、事務所の中で殺される。原因は青酸カリ、彼女は確かに中から部屋の鍵を掛けていた。それが外れいている。そして今度はパーティーの真っ最中、脱衣所と居間を繋ぐ僅かな小廊下の中で男が刺殺された。誰もその中へ入っていって男を刺したものはいない。居合わせた人間の証言に齟齬なし間隙なし。では誰がいつどうやって犯行に及んだのか?
……このパターンで犯人が××××以外にあるのでしょうか。いわゆる状況密室、仕掛けは鉄壁、でも犯人はあんまりに予想通り過ぎます。動機のすさまじさには意表を突かれましたが、そこで犯人に××××などの「いかにも犯人らしい」特徴を与えずにもっと表向き「らしくない」設定にして欲しかったです。横溝の小説に出てくる犯罪者には大抵それらしき兆候や醜さがあり、わたしはどうしてもそこにある種の、人間に対する夢みたいなもの見てしまうのですが、穿ちすぎというものかしら。
「女怪」は珍しく金田一耕介が熱烈に思いを寄せる女性が登場。金田一も恋愛するのねと微笑ましく思うよりも先に、何かしら不安を感じさせる金田一の様子が怖い。事件の核となる謎にはさすがにあっと言わせられましたが、虹子さんそれは幾らなんでも間抜けじゃないですか。いや、もっと間抜けなのは虹子さんの秘密を掴んでおきながら××××で××××された行者跡部ですね。自業自得かも。
語り手の私、金田一呼ぶところの先生と金田一が、退屈を楽しめるほど気の合う友だちとして描かれているのですが、この語り手イコール横溝正史なのだと知った上で読むと、作中の探偵と現実の作家の幸せな関係に思わず頬も緩むというものです。
犯人が見当もつかなかったのが「霧の山荘」。霧の中別荘へたどり着くと、閉め切った建物の中で人が死んでいる。慌てて人を呼びに行って戻って来てみると、中で人が死んでいるどころか、死んでいたのと違う人間がごく普通に暮らしている。霧の中別荘まで金田一を案内し、一緒に死体を目撃した男も忽然と姿を消した。
これが時代を経て洗練されると『狂××××』の「脳××××」になるのですね!と一人エキサイト。殺人は確かに起こっているのに、現場には殺人の痕跡など何一つ残らない。おそらく似たような別の場所に案内されたのでは、というところまでは辛うじてわかりますが、それ以上はまったくの五里霧中。××××はともかく××××は完全にノーマークでした。そういえば最近の犯人は足し算引き算のように、殺人を計算して行うタイプが結構いますね。
解説で「金田一耕介」というキャラクターの積み重ねと成立について触れています。いつのまに緑ヶ丘荘に引っ越したの?と不思議に思っていたら、住居の変遷までちゃんと押さえてあって助かりました。松月の離れの次に移ったのですね。知らなかった。

『花龍神話』

2005年9月3日 未分類
真堂樹、コバルト文庫。

四龍島シリーズ番外編。もはや過去のわたしは現在のわたしの手の届かぬ彼方に押し流されていってしまっていたことを、今更のように知りました。時の流れに抗うすべはないのか……。

主人公、美形。花のような、どころか「花」だ花だと登場人物全てから愛され、四つの市に別れた島のアイドル。心は優しく喧嘩は強く、作中で一番女装率の高い男。
その主人、美形。宝石宝石と立っているだけで美貌を誉めそやされる街の主。根性曲がりで口からは皮肉しか出てこない、主人公命の恐ろしい執着心の持ち主。性格が極悪。
そんな登場人物がメインのこの本を、普通に面白いと物語に一喜一憂していた自分が信じられません。我に返ってあまりの狂乱の痕跡に眩暈が。なんだこの女装率の高さ、主人公男なのに花?って何さ、これがやおい学園(学園じゃないけど)という奴か!などなどなど。あとがきの作者のテンションの高さがそらおそろしい。
25冊+番外編で、いい加減ネタも尽きたのか、事件が起こって解決するパターンがマンネリになっているのが残念でした。イラストの人も、一時期の美しさを失ってしまって、99ページの絵に涙が滂沱と流れ落ち。でも前巻持ってないみたいなので買うことにします。

衝撃がさめてから改めてなぜに自分はこの作者が好きだったのかとよくよく本文を検討してみれば、なるほど美文の出現率が高い。言い切りの形なんかが独特で、使われている単語の選びようが結構耽美。これでたとえば皆川博子のような本を出したら、間違いなく店頭へ発売日前日に走っちゃいます。
女性陣が素晴らしく美人であることと、近親相姦の多発が自分の好みに合っていたことも再確認して、己の駄目人間ぶりに落ち込みました。
喬林知、角川ビーンズ文庫。

土の中はともかく、宝なんて本文中のどこに出てきたというのか……(笑)。まだまだ聖砂国でサラ様に鼻っ面引きずりまわされる一行。前巻ラストで衝撃の登場を果たしたヘイゼル・グレイブスと合流してみましたよ、というところから物語は開始。

衝撃といえば今回の××××が××××ですが、次男のときの肩透かし展開を考えると、必ずしも××××したと思えず、素直に受け取っていいものかどうか非常に悩みます。最終決戦に臨む前に「これが終わったら」なんて言い出す、あるいは突然改心する、戦争中に子供の写真を見せるなどの「死亡フラグ」は多々あれど、今回のアレは死亡確定ルートなのでしょうか……ときどき作者がやけに迂遠な回避を行うのがひっかかる派。
地球眼鏡組は働けよもっと!と余りのぐだぐだぶりに評価が下がっていましたが、ようやく動き始めた兄頑張れ。2冊もかけて何してたんでしょうか眼鏡組。錦鯉はなんの役に立っているのか……。ボブは村田ほど自分のことではないという立ち位置がクール。

そしてかなり長い付き合いのサラ様。いまだにキャラがつかめません。根性曲がってる割にやることが純情なので、果たしてそれが計算尽くで演出された無邪気なのか、それとも本気で根性曲がりと純情が同居しているのか判断に苦しみます。ゾンビいやー!の慌てぶりからすると後者っぽいのですが……。
サラ様の母君はナイスブラックですね。でも、あれだけデンジャーデンジャーな地下迷宮に力が届かないとなると、逆に地下迷宮になじんでるサラのほうが実は危険な属性持ちじゃないのかしらという気になってきます。ゾンビ使ってるのに真っ当な力だったりしたら斬新過ぎる。指輪が位置特定に使用されてるとかそういうことはないのかしら。ものすごい言葉彫ってありましたけど、サラ様なにゆえにそれをプレゼント?単なるいじめっ子?

そろそろ次男に愛想が尽きそうです。段々キャラ変わってるし。外見相応から某名前を出すことすらはばかられる人にそっくりになってきました。次男よりグリ江ちゃんぷりーず。

購入日記ー。

2005年9月1日 未分類
『花龍神話』真堂樹、集英社コバルト文庫。
『宝はマのつく土の中!』喬林知、角川ビーンズ文庫。

怪しいラインナップになりました。前者はまだ続いていたのかと驚愕することしきりの番外編4冊目。3冊目を持っているのかしらわたし……。
『家族狩り』の文庫版が並んでいたので、あら、と手に取ったらなんと5冊分冊。そういえば『屍鬼』もこれくらいだったっけー、となにげなく解説を見たら、ハードカバー版を構想に書き下ろしでした。すごいや。

『家族狩り』

2005年8月29日 未分類
天童荒太、新潮ミステリー倶楽部。

95年に初版です。ハードカバーで二段組み、500ページ超。
「家族」の崩壊と再生がメインテーマで殺人事件多発のミステリ。カバー折り返しに、残酷描写が売りですよというようなことが書いてあって、内容もそれはそれは流血拷問すぷらったー。
しかし、この残酷描写に意味はあるのですか?
中学生くらいにありがちな「残酷極める自分カッコいい」という自己陶酔系の匂いがぷんぷんします。におうぜー以下略と、ジョジョっぽく煽りたいくらいだ。登場人物も、全員が「不幸」を基本装備。装備って言うか不幸属性。やけにマイナス方向に過剰で、うっとうしいことこの上なし。どこの中学生ですかおまえら。作者の意図はわかりませんが、登場人物を酷い目にあわせることによって、登場人物に対する思い入れで物語を書いていないよ、キャラ萌えなしで駒として突き放してますよ、という変に歪んだ自己主張を感じます。アンチと信者が偏執という一点において同質であるのと同じに、不幸属性を付与することによっても思い入れの強さがあらわれてるんだから、やっぱり自己陶酔系の感触。
なんでわざわざいらんスプラッタで読み手の範囲をせばめて、作品を安く売っちゃうかなあと不思議なんですが、物語中盤を過ぎると登場人物がころっと方向転換しています。無責任で情けない美術教師が、ちょっととろくさい好青年に大変身するわ、感じの悪い児童センターの暴走職員が職務に忠実な真面目おねえさまになっているわ、枚挙に暇がないですね!しかも、方向転換した辺りから物語ののりが絶好調。面白い。会話も軽やかに登場人物たちに親しみが加わり、不良刑事の過去のエピソードをちらっと見せる検事とのやりとりは非常に楽しいハードボイルド。最初からこの調子で淡々とやれば高村薫だったのになあ。暴力で突き抜けてる作家ってもう他にいるんだから何故に暴力描写?と首を傾げました。
そして一番の見せ場はシロアリ駆除で家庭相談の大野さん。家庭の悩みを相談しに行った教室で、拘束衣のようなものを着た宗教くさい発言をする男が出てきたら、普通ドン引きだと思うんですよ。参加者誰も違和感を感じていないうえに「まったく素晴らしい」と信頼感溢れる空気が教室に充満。
ありえない。
その後の描写で大野(夫)拘束衣の下が全裸であったことが発覚、思わず「もりあがってまいりました」という台詞が口をついて家主に笑われました。この辺りから読むスピードがアップした自分はとっても正直者だと思います。だって笑いが止まらなかったのですもの。笑いだけでなく、重苦しい前半にくらべて、物語が快調だったことももちろんあります。ありますって。ありますってば。

罵倒からはじまって、笑いものにしているような感想になってしまいましたが、評価としてはそこまで悪くはないかなーというところです。わざと技巧を凝らしたような印象の前半が終わって、登場人物が親しみを感じさせるような姿を見せ始めたところから、面白さ加速で一気に読めました。あの厚さを1日ですよ。すごい爆発力。「家族の再生と崩壊」というテーマがちゃんと最後まで書ききられているし。ただ、物語に登場した主要な家族は新たな形での再生がかなったけれど、あれだけ人死にが出る事件を介してはじめて再生が可能だったのであり、なんの事件も起こらず平凡な日々を積み重ねていく大多数の家族にとっては、再生は遠い遠い夢物語なのではないかと、「特別」でしかない物語の力弱さを感じます。
とすると「再生」そのものではなく、再生の可能性、いわゆる希望を提示する物語として見るのが一番妥当なのかしら。ラストの崩壊に巻き込まれた崩壊は、犯人の復活の可能性も示唆しているわけで、遠い希望を抱いて絶え間ない努力と挫折とをあきらめずに繰り返す、それこそが「真実の愛」なのではないか、と美しい結論にたどりつきましたが自分でも安易だと思います。
精神や心理に関する描写が、どこかから体験談を引っ張ってきたような棒読み具合で、こなれていない、借り物のような印象を受けるのは、95年という時代のせいなのでしょうか。そう言われればそうかもしれないなあ、と、95年の自分に照らし合わせて納得してみる。
『悪魔の降誕祭』横溝正史、角川文庫。

おかしいなあ、ヘアカタログを探しに行ったんじゃなかったのかなあ。変だなあ。

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