中島らも、講談社文庫。

アル中の主人公が、いよいよ危険な状態になって入院。退院するまで。ノンフィクションではないけれど、「ほとんど実話」らしい。

はじめて読んだのが高校生のとき、母が図書館から借りてきた単行本で、二度目は大学生のとき友人の部屋にあったものを見つけて借りました。三度目は引越し後の荷物整理の際に発見、何気なく手にとってそのまま最後まで一気読み。
読み返すたびに「細部まで覚えてる」と印象の強さを確かめ、新しい発見をし、いい本だと唸ってます。記憶に残る本は多いけれど、細部まではっきり覚えた状態で「また読みたいなー」と思いながら数年を過ごし、再読してはいい本だとこころの震えるような、くっきり輪郭の残る本はこの一冊きりしかないような気がします。
今回印象が強かったのは、医者の赤河と西浦老、中に中空を持った立体をつくる技術の話。特に医者は、前読んだときよりもいいひと度があがってました。もう何年かして読み直したら、もっといい人になっているのかしらん。
資料に裏打ちされた客観性の高い視点と、語り口と、それゆえに際立つ「中毒」のひどさ。アル中の資料を肴にアルコールを流し込んできた主人公が、「どうしてアルコールに生きてアルコールに死ぬ、たったそれだけのさっぱりした人生を送ってはいけないのか?」と悩む時のリアルさ。「自分が何か特別だと思っていないか?」という赤河の問いかけには、自分の中の青い部分がぎくーっとしたのがよくわかりました。現実が鋭すぎて怖い自分が何か特別な人間であるなら、それはつまり「特別に劣っている」ということなのでしょう。「アルコールを飲まないことによって与えられる報酬が、アルコールをやめるために必要なもの」この至言!そのまま生き死にに当てはめても充分通じる。
鋭い、でもあざやか、でもなく「くっきり」した本だという感想は、何年たってもかわりませんでした。
出てくる食べものが物凄くおいしそうだったり、超芸術について語られてたり、色々と身につまされる体験がさりげなくちりばめられていたり、巻末に山田風太郎との対談が収録してあったりと、やたら充実度が高いのが特徴です。
藤本ひとみ、角川文庫。

フランス革命を舞台に、複数青年の劇的な人生の岐路を描いた作品。
背表紙には「青年たちの友情と憎悪、別れと再会を通じ、革命美談の裏に隠されてきたフランス史の暗黒を暴く、懇親の力作長編!」ってあるんですが、フランス革命といえばギロチンで、更に更に勇気と決断で、捕虜を積んで船を沈めろー、というイメージがある当方には「美談てなにさ」とかなり腑に落ちない解説。隠す以前の問題じゃないのか。革命は常に粛清を伴うものだと信じている。
それはともかく。
少女めいた美貌の金髪お貴族様アンリ、地味で誠実で庶民出身でアンリと運命的な出会いをしたニコラ。革命の中心人物であるロベスピエールにアホほど傾倒して熱狂的な革命推進派のジュリアン。
全てのエピソードが一々ドラマティックで、先が気になってなかなか読むのを中断できない。ニコラ放逐、サン・ジュスト噴水に飛込み、アンリ自殺と枚挙にいとまなし。剣と鞘のエピソードには、懐中時計の鎖とべっ甲の櫛を贈りあったどこぞの夫婦かと、しょうもない連想がはたらきましたが。
サン・ジュストとかロベスピエールとかお前ら肩抱きしめすぎですよとかおかしなところばかり目について困ります。というか歴史小説で美少年が登場するのって注意深く避けられてたんじゃないんですか?出てくるなり「少女のような童顔」「官能的な感じのする微笑」って、思わずのけぞったわ。うわー、躊躇しないなさすが藤本ひとみ、と思った人他にもいるはずだ!史実にはとんと疎いですが、アンリってそんなに美少年で有名だったのですか……?
フロル=心のオアシス。
情熱の余り大量虐殺に突っ走るジュリアン、内通に苦しめられるアンリ、かつて半身とまで思ったアンリとの正面対決を前に手紙を握りつぶすニコラ、と、おいしいエピソードは続くんだけれども、時間のスパンが長いので、後半になると一度きり、しかも名前しか登場しない登場人物が増加。同時にこまごまとした戦闘もどんどん省かれてしまうので、どうしても駆け足急ぎ足の感が否めない。
素敵だ!と思って再登場を心待ちにしてたミラボーがいつのまにかお亡くなりになってたり、結局ジュリアンはどうなったのか今ひとつ掴みにくかったり、微妙に不満が残りますが、フランス革命って面白いなー、とかなり大きな収穫がありました。
J・グレゴリイ・キイズ、岩原明子訳、ハヤカワ文庫。

小川の女神のために、大河の神を殺す誓いを立てて旅に出たペルカルは、若さゆえにほとんど取り返しがつかないようなあやまちをしでかしてしまう。その罪を償うためにせめて初志貫徹俺頑張る!と決意するも、運命は彼を河の中に放り込んではるか南の王国まで流し去ってしまうのでした。
一方、南の大河の国では、王女ヘジが儀式の後会えなくなってしまった従兄弟を探し、みずからの血統としきたりに抗っていた。従兄弟を地下に連れ去った儀式の日は近づき、ヘジは逃れ難い運命に逆らうために救いの手を求めた。

真っ当すぎてなんの感銘も抱かなかったので、上下巻まとめて感想。
ペルカルとヘジ二人の視点から交互に語られていく構成。視点交替が行われるポイントが絶妙で、読者の先が気になるという気持ちを掻き立てるのが上手い。でもそれだけ。ここで引き合いに出すのはファンに罵られそうですが、宮部みゆきのように「何もかも上手いけど偏向を感じないので魅力も感じない」。続編があるんですが読みたいと思いませんでした。ストーリーも世界観も舞台設定も登場人物も、全て高水準で真っ当な物語ほど退屈する、難儀な性癖の読者も世にはいるということで。
海外ファンタジーは、登場人物の成長が特になんの反省もないうちに行われ、後悔や反省を通して考え方が変化したというよりは、年食って心身ともに発達したので大人になりました、というような描かれ方をしたものにばかり遭遇していたので、読むのがかなり久しぶりです。ペルカルは前半その傾向が顕著な上に主人公とは思えない嫌な奴だったので、素敵ヒロインのヘジにばっかり目が行ってました。ヘジはいいよ、頑固で我儘で気位が高くて気が強くて聡明で自分がするべきことを知っている。周囲の惰性や圧力に膝を折らない意志の強さがたまらんですな。前田珠子の『万象の杖』はいつ続刊が出るのだろうかと悲しくなりましたが。
しかし異世界ファンタジーといえばインディアン文化、みたいな作品との遭遇率が高いのは何故なんでしょう。アメリカの人は異文化と言われたときにインディアン文化しか思いつかないのでしょうか。まあ、いきなり勘違いも甚だしい和風ファンタジーとか漢字が一切登場しない中華ファンタジーとか書かれるよりはマシか。ヨーロッパは近すぎるだろうし、考えてみれば日本のファンタジーもヨーロッパのような場所が舞台のものが圧倒的大多数だった時代もあるわけで。知識と文化の距離が反映されているのかなあと勝手な妄想すれば、それはそれで楽しく興味深い。
涼風涼、角川スニーカー文庫。

ニトロプラス原作、PCゲームソフトのノベライズ。原作は愛を込めて語りますが、ノベライズとそのノベライズしたライターについては酷評するのでその辺りを踏まえて以下感想どうぞ。

いかにもノベライズらしいノベライズ。ノベライズに求められるところを全て満たしながら、ノベライズに求められる要件以外のなにものも満たそうとしていない。原作のファンが暴動を起こさない程度に原作に忠実に、小説の読み手が一読即座に捨てない程度に文章は巧みに。書き手の個性に用は無いので、できるだけ品行方正にお願いしますよ、というありきたりなノベライズのお手本のような作品ですな。こういう、求められた課題だけはきっちりこなせるけど、それ以上に表現することのない、ノベライズらしいノベライズを書く作家を個人的に「ノベライズ屋」と呼ぶことにしています。
作者に対する解釈は二通り。作品と同じ解釈で見るなら、ものをつくることが好きな人間の集まるところに必ずいる、与えられた課題はそつなくこなすけど、自分からつくりだすことのないタイプ。
好意的に解釈するなら、「ノベライズ屋」に徹底することが出来る巧者。作家本人の作品でありながら原作をきっちり踏襲していて、なおかつ面白い、なんていう作品はほとんど伝説みたいなもので(誰それによるなんとかのノベライズは伝説、という評の仕方は結構目にする)、かつ、うっかり独自色を出した日には、原作ファンから自分の色を出したければオリジナルでやれと言われかねないことを考え、ノベライズは徹底してノベライズとして書く人。この文体この傾向で書くことを、まったく自覚的におこなっているなら巧緻に過ぎる。
そういったノベライズの事情みたいなものはさておいて、『ハローワールド 青い記憶』、端的に評価すると、「つまらない」。
わたしは頭の中に原作がインストール済みなので、脳内補完でそこそこ面白く読めましたが、原作がインストール前の人が楽しめるかどうかは微妙。原作ファンとしてもこれは微妙なラインでしょう。和樹の外界認識が、物語の進行とともに変化していくのが面白いのに、起動3ページ目で戸惑ったりしたら駄目でしょ。そこは戸惑うところじゃなくて、認識に必要なだけ時間が経過するところでしょう!みたいな箇所をぽつぽつと見つけて萎えます。三人称だからこういう事態に陥っているのだとすれば、何故思い切って一人称にしなかったのか謎。一人称と三人称で交互に語ってもいいじゃないか。
ストーリー進行は割りと忠実。でもこれってもしかして純子さんルート……?予想通りお嬢様は一行も登場せず。サブタイトルどおり、各章のタイトルは「青い記憶」のフレーズから。

って、ちょっと待て。巻末の次巻予告、サブタイトル「BLAZE UP」になっていますが!わたしてっきり奈都美ED(ヒロイン全員残るほう)かと思ってたんですが、このタイトルでこの内容だと、純子さんEDでしかも(二人で××××するほう)分岐しかねないんですけどどうなんですか?!
うわー……なんだか違う意味で次の巻が楽しみになってきました。

『夏期休暇』

2005年4月14日 未分類
長野まゆみ、河出文庫。
94年の書き下ろしなので、初期作品ですね。この頃の長野作品が一番好きだな。夏の景色の描写が鮮烈に美しい。光の移り変わりや色や加減など、目眩がするほど。
岬の空き家にひきつけられる少年、千波矢。子供の頃に出会った兄の幻と、帽子を取ってきてもらう約束をした。ある夏、空き家だった岬の家に引っ越してくる家族があった。

……って、なんですかこの恐ろしいほどのLIKEバッドエンド幕切れは?!
ええー。葵が泳げるようになって、仔犬の飼い主としてふさわしい人間になれたよ、と胸を張ってついでに帽子も返してくれて、兄もなんかこう、いい感じのメッセージを残して消えるとか、そういうエンドじゃ駄目なんですか?可能性としては大団円も充分にありえるラストではあるけれど、そこで終わる必要が何処にあったのか……、やはりバッドエンドなのか?でも、明確に何もかもが破綻して終わりというわけでもないし……。
悩む。
上遠野浩平、メディアワークス電撃文庫。

二年ぶりのブギーポップ新刊、ということらしいですがそんなに経ってたっけ。「プリン」が挟まっていたせいか、それほど待ったとは思っていなかったので挟み込みのチラシを見てびっくりしました。
ゲストでメインな蒼衣秋良少年が、わけのわからん空間に織機綺とともに閉じ込められてしまってさあ大変。脱出するぞと足手まとい少女+謎のレンガ子供を連れて禿げ上がるほど苦労する話。
ちょっと違う。
「メビウス」が還ろうとしていたある山中。そこには「牙の痕」と呼ばれる場所がある。昔何かがそこで起こった名残らしい。調理学校に通う織機は、蒼衣と食材の買出しのために出かけなければならなくなった。途中で友人に遭遇しながらも、電車バスを乗り継いで目的地に向かう途中、おかしな乗員を乗せたバスは「牙の痕」を通過しようとして――。
大体こんな感じ。
冷静で冷徹で怜悧な蒼衣少年が、途中からカリカリしていて「おいおい、冷静で頭脳派じゃなかったのか?これじゃあただの神経質なヒスじゃないかー」と思っていたら、実は冷静だけれども冷徹とは縁のない少年で、足手まといにしかならない織機を一生懸命かばいながら脱出する方法を模索しているうちに、なんと戦う少年になってしまっているのがすごくおかしい。戦う少年ですよ?少女のためにぼろぼろになりながら奮戦して、どうだと格好つけてみせる、ボーイミーツガールなのかこの話は、と突っ込みたくなるような少年ぶりですよ?ほほえましい。わたしは余り織機が好きじゃないんですけど、こういう少年と脱出行するなら織機以外は考えられないと思います。そこら辺はさすが絶妙の配置。
リセットとリミットの双子姉妹も素敵ィー。「柊」は何処かで出てきていたはずなのに思い出せない!降りてきただの回収しただの、なんだか物語の核心に近づく発言が多発していて、そろそろ詰めにかかっているのか、という印象を受けました。最初の頃に比べると、物語の中に見られる「ひねくれ」がだいぶ減少して、まっすぐな物語になってきているような気がします。一筋縄でいかない価値観のひねりが物語内で平然と炸裂してた初期のあの雰囲気が独特で好きだったんですが、これから王道路線に突入するのでしょうか。それはそれでとても見てみたい。

挟み込みチラシといえば、「ビートのディシプリン」ようやく最終話だそうですが!まだ完結してなかったのか……。何が原因だったのか自分でもわかりませんが、以前「本誌連載は終了した」と思い込んで一部友人にデマを飛ばしてしまったことをお詫びして訂正します。覚えてる限りでは一人にしか話してないはずなので、これから訂正してきます……うぐふぅ。

メモっぽい。

2005年4月13日 未分類
古橋秀之の例の三部作ってSFなんですね。知らなかった。ていうか読んでわからなかった。言うほどライトノベルを読んでいない罠。ライトノベルという一言で安直にも分類を放棄しているのかも。
直結神父を見てると「『ヘルシング』のアンデルセンはどれくらい聖人なのか……。しょっちゅうエイメンエイメン言ってるけど、やつの一回のエイメンは祝福単位に換算すると凄いことになってるんじゃ」という妄想で頭が一杯になります。
気合が入りすぎて中々感想を書き始められません。『ブライトライツ』の感想を書くのが怖い……。
近所というほど近所でもありませんが、7−11を発見したので早速7yで本を買いました。
『夏期休暇』長野まゆみ
『ブギーポップ・バウンディング ロスト・メビウス』上遠野浩平
『ハローワールド 青い記憶』涼風涼
作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社。

『どしゃぶりのひに』
「エサとともだちになったら飢え死にするだろ?」
「だからあいつだけでいいんです」
どちらも真理だ。1か0かの断絶以外は、境界線などただの連続でしかないという数学の話を思い出しました。漸近線とか連続体とか、そんな感じのこと。はっきりどちらかと定まっていないから、許されるか許されないかの境界に立ってしまうような状況に陥るのですね。
愛の逃避行!矢切の渡し!……よ、よろこべない。これがいわゆる恋愛小説で、人間の主人公二人が手に手を取って展開なら大喜びするんですが、部外者の口出しに始まり、野次馬の根性の汚さや、保身・欲望のために二匹を利用しようとするオオカミとヤギの群れにげんなり。そこまで徹底してリアリスティックでいいのか童話。シビアでいいのか童話。

しかしそれがいい。

「ひみつのともだち」であったことが仲間に知られてしまったメイとガブ。周囲は「お前利用されてんだよ」と二匹を責め立て、裏切り者じゃないことを証明したいなら、相手を騙して情報を聞き出して来いと迫る。
そして二匹はどしゃぶりの川岸で、もう戻らないことを覚悟する。
もう一度生きて会う約束をして、豪雨のさなかに河へ飛び込んだ。
続く。
(なんておそろしいところで「つづく」のか!)

『ふぶきのあした』
完結。
なんの本なのか途中でわからなくなりました。
ヤギとオオカミが倫理を踏み越える童話って何。
今までの土地を捨てて、新しい場所を探して山越えを決意する二匹の道中。相変わらず周囲にはひそひそと噂話をする動物達に加え、ガブは裏切り者としてオオカミの群れに追われることになりました。ヤギと四六時中一緒にいるオオカミは、ヤギに知られないようにこっそりとエサを取りにでかけます。ヤギは、そうしなければオオカミが生きていけないのを承知で、それでもこっそりと出かけていくオオカミが帰ってきたときに血の匂いをさせているの気に入らない。
根本的な問題がそこにあるのに、和解してしまった二匹は、おそらくお互い以外のなにもかもを切り捨ててしまったのではないかと思うんですよ。特にヤギ。触手が生えた人間並みに幸せになれなさそう……。
自分だけを助けようと嘘をついたガブに向かって「こんなことだろうと思った」「どうして嘘をつくんですか」「なんでも話し合えるのが友達だと思ったのに」と怒るメイのキレっぷりに心がときめく。穏やかで聡明で優しくて頑固かつ潔癖な(これってほんとにヤギについてる形容詞ですか)メイの性格が6冊目でものすごい輝きぶり。
どちらが生き残っても、どう生き残っても、二人でいられなければ同じこと。どちらかが失われても、二人が友達であったことは失われないというところまでたどりついてしまった二匹。命を懸けてもいいと思えることに出会えたら、それでもう充分に幸せだなんて欲がなさ過ぎると思います。
強欲になればハッピーエンドが待っているなら、いくらでも強欲になるべしなるべし!
過酷なラスト。

番外編があるらしいので、サイズをそろえることを考えつつ検討。
ドストエフスキー、江川卓訳、新潮文庫。

寝る前に15分くらいずつのペースでちまちま読んでいたら、頭の中でストーリーがブツ切れになって大変でした。名前と人間が一致しなくなったりさ。
下巻でも相変わらずステパン先生が物語の半分くらいを占めていて、群像劇というには焦点偏りすぎ、かといってニコライの物語というにはステパン先生が全面に出張りすぎ。ステパン先生とニコライの間に直接的なつながりが全くないので、一体どこに一本筋を見出したものやら、対比されているとも思いにくい展開が不安定感全開。ニコライが登場しているときの物語の求心力と、ステパン先生が登場してだらだらしているときの魅力のなさがもはや笑いを誘うありさまでした。これは、もう別収録のニコライ独白を中心にすえて書き直してくれよドストエフスキー。そうでなければ、もう少し登場人物の整理をして、迷わず群像劇と呼べるバランスにととのえてくれ。小粒ながらぴりりとした人物多いのにもったいない。
物語の核心として扱われる筈のエピソードが、作品としては未定稿、単行本上梓の際には削られたままというのには驚いた。文庫では独立して本文中に含めず、二つの版の異同を注によって示しながら収録しています。これがわかりにくいったらなく、いっそ両方載せればいいのにと心底思いました。括弧多用がとんでもなく見づらかったので、もう少し見やすいやり方があったのではないかと不満が残ります。
キリーロフとシャートフとピョートルが印象深かった。特にシャートフ・ピョートルは、ニコライに思い入れが激しすぎてびっくりさせられるシーンあり。君ら何をそんなに思いつめてあこがれているのさ。思想のためにと言いながら明らかにニコライ個人に心惹かれていて、それはニコライがあんな決断を下したのと全くの無関係とは言えないんじゃないか、と横から檄文のビラ丸めた棒で突っ込みたい。
先生と夫人はものすごいラブロマンスでびっくりだ。20年かけて無駄にすれ違いロマンスなんて気合入りすぎ。

記述者兼語り手の「私」の黒子度合いの高さに感心した。
訳の不味さにも震撼した。
講談社、作:木村裕一、絵:あべ弘士。

『くものきれまに』
ヤギとオオカミの前途多難な友情の物語、三冊目。
友達の友達は、友達……?
現実でも割と日常茶飯事だけれど、これが上手く捌けたら苦労しないというような難問を遠慮なく突きつけてくるシビアさにときめき。事情を知らない部外者は、善意で場を混乱させることが多いというお約束に加え、ヤギとオオカミの間には種族の差という越え難い一線が!
ラブコメなんかでよく見る「いい雰囲気になる→何も知らない友人がここぞというタイミングで邪魔に入る→繰り返し」の展開がはまりすぎてて笑えます。善意の第三者である、メイの友達タプの無神経で正当な発言に、我慢の限界を試されるガブがやけに可愛らしい。泣くなよ。
「善意の第三者に面と向かって罵られる→我慢する→切れる→友達は第三者を庇う→涙ッシュ」
王道王道!
その後の和解まで含めて王道で、おなか一杯楽しみました。うっかり本音を漏らして、慌ててそれは聞き違いだと苦しい訂正を入れる我慢強いオオカミが超キュート。絵でもやけに可愛らしく描かれていますね。
友人の勘違い目撃談が油断ならないラスト。世の中何処でもシビアな現実が待ってるぜ。

『きりのなかで』
ちっさく描かれてるメイがむやみにキュート!岩が転がってきたときの表情が「あわー」って感じで緊迫感があるんだかないんだか(笑)。
友達を助けるために、仲間を裏切ったり、友達の誤解を覚悟で悪口を言わなければいけなかったり、わかっているけど厳しい状況が続くガブ頑張れ超頑張れ。自分より強くて目上のオオカミに逆らうことになってもメイを助けようとするガブの勇気。
と、思いきや、帯の「ダ・ヴィンチ」編集長の言葉が、
「それもまた、恥じることない愛だと思うから。」
って、いつのまに友情から愛にシフトしたの?!
ならば褒め称えられるべきは友情ではなく愛なのかそうなのか。メイの優しさと聡明さは確かに愛に値します。けどそうか、愛なのか。大変だな二人(二匹)とも。
ハンカチなしでは読めない5、6冊目に続く最後の小休止。
酒見賢一、文春文庫。
表紙のミュシャ絵がすごく綺麗で、装丁のセンスが素晴らしい。そしてすいません、ずっと「さかみけんいち」だと思ってました。しかも『陋巷に在り』のひとだと検索するまで気付きませんでした。土下座。

時代はヴィクトリア朝。性に関する奇怪な妄想を抱えた紳士が招待される館で、語り手の語る物語とは。
なんと、作中に「語り手」であるはずの視点が人格を持って「私は語り手です」と登場してしまっているところで既に尋常の小説ではない。「私」はことごとに「私は語り手なので」と自らが語り手であることを強調するが、「私=語り手」が、物語の中での視点、三人称や一人称ナレーションを含むあの語り手であることを了解していないと、一章では語られる妄想が薄弱なので少々混乱する恐れあり。
語り手の言う「語り手の事情」とは、そこで展開されている物語を読者に提供するための外部要請と、物語が語り手に物語を受け取ることが出来る立場で関われという内部要請の二種類あるようです。外部というのは読者が「その場面を見たい」と要求してきたときに真っ暗だから見えませんというのではなく見えるようになるということ。あるいは彼に何が起こっているのか時代に即しない知識であっても、外部読者の水準に合わせて場面を解説すること。内部要請は、物語と全くかかわりがない、つまり物語を知らないものに物語を語ることは出来ないので、語るべき物語と遭遇したときはそ知らぬ顔で通り過ぎることは許されないということ。おおむねこんな感じで解釈しております。
前者の事情は第三章が一番わかりやすいかと。後者についてはあちらこちらに散見されるので、よくよくそのつもりになって読んでみると面白いと思われます。
童貞喪失にテンプレな夢を見る少年、女装趣味かと思いきや女性化妄想を抱く中年、性奴隷の調教を実行しようとする荒くれ男。一回り成長し、妄想まで一回り成長させた少年の再登場。
語りから文章からとにかく上手い。軽妙で精妙、読みやすい文章で、妄想とメタとラブロマンスをつづってしまう辺り、卑怯だ卑怯だと唸ってしまいました。

酒見賢一は『後宮小説』でファンタジーのベル大賞を獲ったとき、文章が美しいと絶賛されていたような気がするんですが、詳細はどうだったかな。『後宮小説』を読んだときはぴんとこなかったのですが、今回『語り手の事情』を読んで文章の美しさにに愕然としました。何故気付かなかった自分。
ついにシリーズ全6巻セットで購入しましたー!専用の箱入りでびっくりしました。これはとても素敵なセットですね。

『あらしのよるに』作:木村裕一、絵:あべ弘士、講談社。
一行目から仰天しました。
「ごうごうと
 たたきつけてきた。
 それは『あめ』と
 いうより、 おそいかかる
 みずのつぶたちだ」
ええー?これ絵本ですよね、と三回くらい読み直して、きっとこういう作者なのだろうと思うことに。それでもやっぱり漢字変換したら何かのハードボイルドか歴史小説だよ、と気になって仕方なかったので、わたし以外のひとにもおすそ分け。
「轟々と叩きつけてきた。それは『雨』というより襲いかかる水の粒達だ」
それ、を其れと表記したり、漢字に直せるものを全部直せばもっと凄いことに。
シビアな予感を抱えつつも読み進めます。
嵐に追われて小屋の中に逃げ込んだヤギが一匹。真っ暗なそこで嵐が通り過ぎるのを待っていると、あとから同じように嵐に追われた誰かがやってきます。あとからやってきたのは実はオオカミなのですが、ヤギは気付きません。
で、嵐が過ぎるまで呑気に世間話をしていた二人(二匹)は意気投合してともだちになります。
それはいいんだ。
なにこのハラハラドキドキの展開は!いつ相手がヤギ/オオカミと判明するかもしれないスリルとサスペンスと絶妙の透かされ具合がたまらんです。スパイ映画で敵地に侵入したとき、見つかる?見つかってしまう?ああ、あああっ、キャー!と見つかりそうで見つからない緊張感に「あ、あーっ!」と思わず声を出してしまうことがありますが、そんな感じ。実際「なー!」とか「のぁー!」とか言いながら読みました。緊張と弛緩の配分の巧みさにまんまと踊らされました。主語が違うのに会話が成立しちゃうことって現実でもありますしねー。
続き物だというのは知っていましたが、最初から「次巻に続く」ものとしてかかれたものだと思っていなかったので、ちょっと驚き。

『あるはれたひに』
お出かけの約束をした二匹がお弁当持って山のてっぺんまでハイキング。
空腹状態で、ちょっとだけならいいかな、耳だけとか……って血が出るし駄目に決まってるじゃん!と葛藤するオオカミ。
信頼してるけど命がかかっているので、どうしても大丈夫かなと心配になり、ともだちを疑うのはいけないと葛藤するヤギ。
「ヤギのけたたましいひめいが、
 どうくつのそとまでひびきわたった」
わたしの悲鳴も部屋の中にひびきわたりました。二人の友情は二巻で終わりなのー?!と慌ててページをめくって、
ラストまでにあと二回ばかり悲鳴を上げました。
木村裕一(さくしゃ)がわたしの心を弄びまくり〜。っていうか踊らされまくり〜。
後半が怒涛で気を抜けない二冊目。
読んでるけど書いてねえ!
買ってるのにそれも書いてねえ!
しかも「わたし+敬語」にしてみるんじゃなかったのかよ!
クソクソクソ!

某どっかで見たようなテンションで悔やんでみました。今、部屋内部の配線が終わったNTTさんが、外の配線工事をしています。光回線って導入までに一月かかるんじゃなかったの。

買ったもの
『あらしのよるに』(全6巻セット)
『語り手の事情』
読んだもの
『ブラックロッド』
『ブラッドジャケット』
『ブライトライツ・ホーリーランド』
探しているもの
自転車でいける図書館までの最短経路。
二月後半の日記タイトルに、某ゲーム名が入っていたため、感想がないにもかかわらず検索で飛んでいらっしゃる方が絶えません。

だから感想ないんだよ!

と、一々申し訳なくなったりアレしたりコレしたりするのもなんなので、タイトル編集しました(これでもまだ飛んでくる人がいたら、頭抱えてNOOO!決定)。
古橋秀之、メディアワークス電撃文庫。
『ブラックロッド』三部作、堂々の完結編。

「其は比類なき魔術師――ただひたすらに唯一無二!!」

以上の言葉を古橋秀之にささげて感想終了。

……うわーん、自分で納得できる感想を書いたら出直してくるからそれまで待ってろー!
「唯一無二」は「ユニーク」って読まなきゃ駄目です。
古橋秀之、メディアワークス電撃文庫。

<ケイオス・ヘキサ>を舞台にする物語三部作、『ブラックロッド』『ブラッドジャケット』『ブライトライツ・ホーリーランド』。その二冊目。受賞後第一作。前作では語られなかった吸血鬼ロング・ファングと吸血鬼殲滅部隊”ブラッドジャケット”のエピソード。

のはず、多分。
今回の見どころは、大論理器械ライマン脳とヘルシング、アーヴィング&ミラ、ヴァージニア3と4、かなしい<ロング・ファング>の性癖、元殺人鬼の直結最強神父。あと、前作の「仏っ締めろ」に続く「バチ食らいやがれ」。電波教徒の皆さんも捨て難い。
粗筋の紹介がほとんど不可能に近いので、素敵エピソードの断片を繋ぎ繋いでご紹介。

最愛の娘を<ロング・ファング>に噛まれた吸血鬼学者ヘルシングは、ハックルボーン神父と呪装戦術隊とを率いて吸血鬼を追っていた。一方熾烈な追撃を凌ぐ<ロング・ファング>に価値ありと判断した降魔局が、V4を使って<ロング・ファング>に意味ありげなちょっかいをかける。その頃主人公のアーヴィーは『ウェスト屍体蘇生センター』で事故死体の一次蘇生保全処置をして働き、寝たきりの母親を養っている。
ある日、仕事中に処理死体の衣服からEマグが拾い出される、ふとした拍子にその引き金を引くアーヴィー。
ヘルシングが<ロング・ファング>を見失った後、吸血鬼化の進行を食い止めるために仮死停滞状態にあったミラ・ヘルシングが何故か目を覚ます。

ここからが怒涛。
殺人鬼の愛の逃避行は直球ど真ん中、魂のからっぽなさびしい吸血鬼は計測不能な剛速球。執念に燃える老吸血鬼学者は娘にすら銃口を向け、殺人鬼の銃弾を浴びた神父は高次元の存在と直結、「奇蹟」を起こす。血飛沫と肉片と銃弾と神の愛が景気良くぶちまけられる、問答無用の殺戮劇が開幕。何もかもがヤバイ。ヤバさの量も濃度も前作を上回って、疾走感は変わらず速度は維持。閉幕も全く巧妙に、「フック兄弟」の結末は泣かす。
ところが不満な点も前作と似たり寄ったり。アーヴィーの現実味のない視点が物語に占める比率がやや高めなため、茫洋とした印象が少しばかり過剰で、前半は散漫な印象が拭えない。アーヴィーの現実味の乏しい地に足がついていないキャラクターの造形はそれはそれで美味しいのだけれども、ミラに会うまでどうもぱっとせず、ぱっとしないという効果を狙っているのはわかるんだけれども長すぎて逆に退屈。薄味もよいけれど味のない料理ばかり大量に出ても飽きるわよ、と。ヘルシング教授(博士?)も、周囲の面子が濃すぎるせいか、ひとり正統派を貫いた結果、地味〜なことになってます。関係ないですがV3というとライダーキック。

V4と<ロング・ファング>の最初の遭遇シーン、
「外観とはうらはらに、不安定に揺れている。
 揺れる魂を感じると、彼は切なくなる。
 おのが魂の空虚を感じ、切ないほどに、腹がへる。」
にしびれた。この吸血鬼、いとしいほどに相手を喰らいたくなり、そうして喰らった結果としてさびしくなって「神様は嫌いだ」とか言い出すので、読んでいて脳内の怪しい液体が沸騰するかと思いました。あー、もう!なんだおまえなんだおまえ、「羊の群れの中に住む、さびしがりやのオオカミ」なんてばっちり見抜かれてる場合じゃないよかわいいなー!!このようにわたし大興奮。
ミラとアーヴィーが二人でいる間は一言一句全てに満足。ミラかわいいよミラ。伊達にヘルシングじゃないところも、シリアルキラーっぽい性格もみんな大好きだ。君と東に行きたい。
あとがきのラスト一行を「俺が。」なんてわざわざ改行してしめちゃってる古橋秀之もかわいい。

で、感想書こうと思って読み返したら、直結野郎の凄まじさに腹筋よじれるほど笑いました。緊迫緊張、切迫した現状がひしひしと伝わってくるのに、同時に「これ笑うところだろ絶対に」という確信というか爆笑も一緒にこみ上げてくるから不思議です。なんだろう、この本。
今回一番心臓直撃したのがライマン脳の台詞。「言え、ヘンリー・マクファーソン。ただひと言、「イエス」と」。痺れるというより最早総毛立つ感触を味わいました。あひゃー。
古橋秀之、メディアワークス電撃文庫。

装甲倍力袈裟とか、機甲折伏隊とか、もうこの時点でやばいだろ。しかも開始2ページ目。

やばい、やばすぎる。

プロローグで「機甲折伏隊」に「ガンボーズ」とルビ振って、第一章開始2行目で「少年僧侶」に「ボーズキッズ」とルビ振ってある時点で余りのヤバさに手がふるえました。
それで舞台となる都市の名前が<ケイオス・ヘキサ>。もうついていけない、完全に振り切られた。守備範囲どころか予想もしなかった世界の広がりを目前に呆然。霊視眼がグラムサイトだったり、残留思念濃度計がラルヴァカウンターだったりしたって、その程度の格好よさなんてここじゃ普通=平凡だと脳内世界を広げられる実感がありました。こう、ぐぐっと縦に細かった視界が、両サイドに広げられて、線から円形になるような感覚で視野が広がったわけです。

なんだこれ。

黒杖特捜官<ブラックロッド>が登場して、都市の奈落堕ち(フォールダウン)を目論む正体不明の男を追っても、「格好いいなあ」で済んじゃうわけですよ。普通なら喝采を叫ぶような出来事が、この作品中に限っては一言で済む扱いになっている。グラム単位で世界を計っていたら、突然キログラム単位でないと計測できないものを眼前に突きつけられた感じ?次元が違う、あるいはものさしが違う、世界を一段階登らなければ見えないものが氾濫している。
公安局からは、精神拘束と身体施呪によって<個>を剥奪された完璧な特捜官が。降魔局からは、悪魔憑きの魔女の精神コピーをホストに宿らせた妖術技官が。派遣されたこの二人がペアを組んで、大戦後三つの積層都市を奈落堕ちさせたテロリストを追う。その合間に私立探偵ビリーが街の下層へと、いわくありげな依頼を受けて人捜しに潜ってゆく。
ヴァージニア7がブラックロッドとの間に持っていた、混沌と悲惨な舞台にそぐわぬ「ささやかなロマンス」を記録的に引き継いだヴァージニア9。V7とV9の違いに戸惑う素振りを見せるブラックロッド。最終決戦は最下層、テロリストの正体を暴いて撃滅して終わらない。
仕組まれたエピソードの巧みさに卓袱台返し。
ブラックロッドの章と交互するビリー主体のエピソードが地味だとか、ランドー意外と地味だとか、不満はそこそこにあります。ルビが大量発生する怪しげな用語が鮮烈過ぎて、普通のファンタジーやらなにやらに登場する単語がかすんで見えるのも惜しい。ひるがえせばその程度の格好よさなど埋没する世界であるとも言えるのですが、冒頭とラスト6ページが際立ちすぎて、その他のエピソードの大部分がいっそ陳腐に堕すのよ!
「聖光浴」には爆笑したし(何処の世界でもいつの時代でも、末期に近い教会の商売根性はあざとくて見上げるばかりだ)「牧師」に「うりこ」とルビ振るセンスには絶句させられたし「祝福単位」には顎外しました。「500Gch/pin」とか斬新な上にマニアック!もうたまらん。「エントロピー増大→奈落堕ち(フォールダウン)」のエピソードにすかさず萩原一至を連想したひととは友達になれそうな気がします。「圧唱」がアツイ。
で、あとがき読んだら古橋秀之が予想外に普通のひとで(わたしが勝手に規定する「凝りに凝った設定や用語を駆使する20代男性ライトノベル作家にありがちなメンタリティまたはパーソナリティ」という意味で普通)、かわいらしさがそこかしこからにじみ出てました。たいそう失礼な物言いかもしれませんが、身近にこんな男性いたら頭撫でたいですよ?という部類。
読み終わって確認した、初出が96年という事実に衝撃を受けすぎて緊急停止。96年?96年んんんー?!それじゃあ古橋秀之は9年前にこの本を出してしかも新人賞でこれがデビュー作なのか!あわわわわわわ。9年前って、早すぎなかった?大丈夫だった?今読んでも言葉を失うほどに新奇の作品が、9年前に受け入れられたのか?あの巧緻に仕組まれた事件の終結を新人が書いたのか?
今、自分の感性が半死半生であることが痛烈に悔しく、いっそ死んでいればここまで悔しがることもなく、生きていれば思う存分直撃を浴びて満足しながらずたぼろに吹っ飛ばされてしばらく再起できなくなっていただろうにと歯噛み歯噛み歯噛み。しかし、9年前にこんなのと巡り会って(直撃食らって)いたら、今頃人生違う方向に進んでましたよ間違いなく。
いやー、大変なものを読んだ。
今野緒雪、集英社コバルト文庫。

笙子さんかわいいよ笙子さん。蔦子さんも相変わらずラブい。

そしてとんだところに伏兵が!試合開始30秒で田中有馬にノックアウトですよ。

電動ドリルの出番が少なくて、ツンデレ分が不足です。もっと祐巳と一緒に登場してください。

妹オーディションを開くのは、妹属性のオタクの夢だと思います。

あと、さりげなく乃梨子さんがドリルを大好きで良かったです。

復帰第一発目がこんなのですいません。
しかしして、生活は未だに落ち着かず、発見した図書館は歩いていける距離ではなく、仕方がないので引越し作業中に発掘された家主の本でも読んで暮らそうと思います。
いきなりライトノベルで埋めつくされたり、政治関係の本で埋め尽くされたりしたら、それは家主のセンスですのであしからずご了承下さい。

近所にセブンイレブンがないよヽ(`Д´)ノウワアアン

むむむ。

2005年3月24日 未分類
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もったいなや、もったいなや。

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