西澤保彦、文芸春秋。
吹奏楽部に所属する「僕」が中学時代に遭遇する楽器紛失事件。その4年後に、高校に進学した「僕」が所属する吹奏楽部で遭遇する二度目の楽器紛失事件。それは紛失ではなく盗難であることが明白だったのだが、犯人も動機もわからぬまま20年という時間が過ぎる。

主人公である「僕」が常に、自分は人生の舞台で人もうらやむ主役である、そうでなければそれは周囲のせいで自分の責ではないと欺瞞と逃避を重ね続ける姿をえんえんと描くので、盗難事件や冒頭での謎の死体よりも、「こいつは一体いつになったら現実に直面して痛い目を見るんだろうそして反省するんだろう」ということのほうが気になって仕方ない……。しかも「あの頃は」と言いながら、自覚すれども反省はせずを地で行っているので、痛々しい青春の勘違いと傲慢さにかけては青春小説と題されたものと比較しても全く遜色ない。

かたわらいたし。

そうして自覚と共に欺瞞を重ねすり替え逃避を続ける主人公は、ふとしたことから「あの頃」のみんなが逃げずに努力したなりの結果を得た姿を目の当たりにすることになり。

反省しろよこの野郎。

ミステリとしては普通の部類に入るような気がするけども、同時進行そして必須用件として描かれる主人公の逃避っぷりが、この本をただのミステリで終わらせない。西澤保彦を強力に推していたサイトさんの影響でもって手をつけたのだけれど、これは納得。いやあ、なんというか青春の醍醐味って振り返ってみればゴミだよね、とかゴミになりうるというか、寧ろ人がゴミのようだったよね、とか、

身につまされすぎ。

帰省終了〜。

2005年1月21日 未分類
実家にいる間に買った本やら読んだ本やらの感想は後でぼちぼちつけていくとして。
今日は早速図書館に行ってきました。森博嗣にしようかなー、と思って棚まで行ったら、シリーズ途中巻が借り出されていたのでパス。ある筋の情報から西澤保彦にしてみました。
『リドルロマンス迷宮浪漫』『神のロジック人間のマジック』『黒の貴婦人』『聯愁殺』『笑う怪獣』『黄金色の祈り』『異邦人』
まー、こんだけ読めば西澤保彦の作風や傾向くらいは理解できるだろうと。
ついでに「一冊だけ外国文学」という自分ルールをつくったので、早速実行。ミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡』。

『悪霊』とか『薔薇の名前』とか積みっぱなしになるんだろうな……。

そして『ハッピーロンリーウォーリーソング』げっつ。ちょっとネット落ちしていた間にesが7yとかいうわけのわからないものになっていてびっくり。でもCD欲しくなった。とても釣られやすい。
今野緒雪、集英社コバルト文庫。
短編集は外れのないひとだよなー。冒頭と結末の呼応が途中で読めてしまったけど。それはそれで可愛らしい呼応だったので寧ろやってくれなきゃ嘘だー、と思う。「祥子さまはそんなことしないもん!」って某所の某氏26歳男が未読時にネタバレを聞いて暴れたけど気にしない。
「チョコレートコート」がドツボにはまってのたうった。なんだなんだ「二人のささやかな逢瀬が始まった」って!よく見たら「逢瀬」ってアナタ!みたいな。
さりげなく恐ろしいことを書くお人だ……。
百合だ百合だと言われているけれど、友情とは明確に違い、それでいて少女間の性愛ではないという、この線引きの上手さに愕然とする。最近お疲れ気味な書き下ろしに気勢を削がれたので、頼むからシリーズは丁寧に扱ってくださいと拝み倒したい。
瞳子のツンデレここに極まるっつー感じです。ちくしょー、このドリルめ!お前可愛いんじゃー!(錯乱気味)

『自由戀愛』

2005年1月4日 未分類
岩井志麻子、中公文庫。
女学校時代、友人同士だった二人。華やかで無邪気な明子は、自由戀愛で結ばれた夫と幸せな結婚生活を送っている。対照的に暗く堅固な清子は離縁されたあと、実家で老婆のごとき生活を送っていた。
ある日明子が出くわした友人、噂好きな千鳥が「清子さんの身の上」を語る。同情した明子が、清子を訪ねていき、夫の会社で募集している事務員になってはどうかと勧める。
明子の無邪気な同情に、酷い侮辱を感じた清子は決意する。もう今までの地味で乾いた女はやめて、明子の夫を奪ってみせる、と。

一人の男を奪い合う、対照的な女性二人の戦い。――戦いは戦いなんだけれど、最終的に二人が直面することになる敵が、お互いではないというところがミソ。明治末期から大正を舞台にした女二人の確執が「自由戀愛」という小説になるのは、単に妻のある男を奪い合ったからではないのですな。その辺りは解説が一目瞭然の明快さでもって説明していますので参考はそちらをどうぞ。
水村美苗の『本格小説』を読んでから、岩井志麻子がこういう話を書いたら、さぞ絢爛で妖しく、残酷で悪夢のようなきらびやかさを持った世界を書いてくれるに違いない、と夢想していたのでこれには待ってましたと手を打った。語りの上手さはずば抜けてるよなー。明子さん再婚のあとと、清子さん家出の後の優一郎さんの辺りをもう少し詳しく見たかった。しかし、優一郎の駄目っぷりに一度気がつくと「なんじゃあその身勝手の癖に根性無しは?!」と身悶えしたくなります。

忘れてたことを色々思い出させてくれた素敵な本。

『Twelve Y.O.』

2005年1月3日 未分類
福井晴敏、講談社。第44回江戸川乱歩賞受賞作。
戦記かシミュレーションか、はたまた海外エンターテイメントにあるような軍事技術に関連したパニック物みたいな(最後のひとつは寡聞にして、というか浅学でジャンル名を知らないのです。げふー)ものだと思って読み始めたら、予想外にライトノベル寄りの筆致に驚いた。最近のライトノベルはマニアックだから、もしこの本がそこに分類されたとしても驚くには値しないのかもしれないけど。
しかしですねー、驚くのはこれでデビューなんですよ福井晴敏。『川の深さは』の文庫を最近見かけたこともあり、ジャンル内では有名どころな新人から中堅過渡期の、現代軍事物といえば福井アリー、みたいな今をときめく売れっ子のあぶらののった作品かと思ったら、なんですか、『川の深さは』が初の応募で『Twele Y.O』で受賞ですかい。これは瞠目しますな。カツモクシテミヨー、みたいな。
飛行恐怖の元自衛隊ヘリパイロット平、手出し無用の電子テロリスト、トウェルブとその連れウルマ、追いかけるは自衛隊の中でも隠匿された情報機関ダイス、その他各国の諜報機関諸々。アメリカ海軍に沖縄からの撤退を迫るテロリストの本当の目的とは。二転三転する「キメラ」の真相を追いかけてほぼ全員が突っ走る。
最初に思ったのが「完全に電子化された軍事施設や設備は愛せない……」。だって哨戒用のレーダーがダンボの耳のようなサイズでなまっちろい船の上でくるくる回るんですよ?黒い鉄鋼の無骨な戦艦が、肉眼の見張り要員立てて夜を徹した作戦行動に出るなんてロマンとは比べ物にならんですよ。知り合いが「火薬が登場してからの戦争は愛せない。銃器も同様」としみじみと述懐していた気持ちが良くわかりました。確かに発展しすぎた技術は一部のロマンを奪うな。れーだーろっくー、ではすいっちおん、ぽちっとな。で戦闘機一機撃墜なんて誰が許すというのか?!
しかしこの作品に関してはそんな心配は全くの無用、杞憂にござる。電子テロリスト、トゥェルブのおかげで電子機器のほとんどが使用不可能になり、ヘリの空中戦はなんと電子装置なし、照準ロックなし、目視のみで戦えばんざいーい!ひひひひひ、ここまでくると単葉機の時代と大して変わりません隊長。ベレッタがやたら活躍してる上に、グロックの出番も多くてうはうはです。
さて、次に感じたのが諜報戦といえば傑作があそこに!というわけでどうしても高村薫の『リヴィエラを撃て』を思い出すという。思い出してその作風の、というよりはジャンルの隔たりに愕然とし、どう考えてもライトノベルではありえない高村薫との差異はなんであろうか、これからゆっくり考えてみることにします。
とりあえず夏生素敵二尉、作戦行動中に指揮官として喋っているのに「あたし」は駄目だと思います。それからウルマのビジュアルが頭の中でレオナ置換されてしまった自分はもっと駄目だと思います。

「生きろ」という言葉を誰かに渡すために、渡してくれたひとに返すために、いきていくために戦う人たちの、希望のはなし、と表せばたいそう陳腐に聞こえてしまいそうだけれども、あえて書いてしまう。

43回は『破線のマリス』か……。確かにあれと争ったら厳しい。
虚淵玄(ニトロプラス)、角川スニーカー文庫。

(右手をメガホン代わりに口元に当てて、精一杯息を吸い込む)
「われはこのいっとうにかけるしゅらー!!」
絶叫。

どうよ、こんなアホ行動で始まる読書感想って。いやはやまったく、これが自分の芸風なのかそうなのか。
今、横合いから家主に「お前アホだろ?!」と、確認の形で断定されました。いやまー、なんちゅーか年末に「我はこの一刀に賭ける修羅ー!」と何かにつけて叫びまくってればそれは単なるアホですよね。確かに。

以下普通に感想。
「鬼哭街」のノベライズですが、なんとシナリオ自らノベライズというそれはそれは贅沢な虚淵ファン垂涎の一冊。いやー、いやー、いやー、御大の文章が紙媒体で手元にあるということには生まれてきたことを感謝しても足りない。明らかに言葉がおかしいですが、脳内で怪しい物質が生産されまくっているのでまともな言語中枢を通した言葉はきっとその辺りでことごとく頓挫しているのでしょう、証拠にさっきから異常なまでにミスタイプが頻発。
中華でサイバーな街を舞台に、孤高の剣鬼が妹の仇を討つべく刀を執る。な、粗筋。
さあ騙されろ騙されろ。読み手は残らず須らく、真相に驚愕しろ。スニーカー文庫だからエロは削って〜、って、エロよりも青少年に有害な要素がごろごろしてると思うんですがっていうかこの話自体倫理観など向こうの世界に追いやって、妄執を糧に生きる鬼どもの姿満載なんですけど。ちゅーか倫理観や健全な青少年のための配慮とか言って手を加えたら出版自体無理っぽいのに、おためごかしなのかそれとも「建前さえあれば世の中大丈夫俺は俺の愛するものを世に送り出す」という素晴らしく気合の入った話なのかどっちなのか。

(右手をメガホン代わりに口元に当てて、精一杯息を吸い込む)
「終わってねええええー!!」
愕然。
次巻に続く。
喬林知、角川ビーンズ文庫。
前回恐ろしい場所で中断され、本のど真ん中あたりに後書きがあったという経験を踏まえて、今度こそ!と読んでみたら。

終わってねえええええー!!

いやー、まあ概ね必要なところはクリアしたし、重大事も発覚したし、さてこれからどうするよと今までとは全く違う状況になったわけだからいいんですけども。あと何冊かかるのかなー(鬼か)。
毒女と長男の絡みは毎回ときめき補給に欠かせない。割とやばめなネタをぎりぎりまで突っ込んでくるところがたまらない。
でも最近、重要なところでほつれていませんか。今回は地球眼鏡組がなんだかおかしなことになっていて、昔はもっとよく練った感じだったのになあ、と全体に溜息つく回数が確実に増えている。
うーん、うーん。

『仮面舞踏会』

2004年12月26日 未分類
横溝正史、角川文庫。
これにて金田一シリーズはコンプ終了、と。……今感想を書くためにぐぐってたら横溝全集が出てるじゃないですか!ぎゃー!く、くくく、うぬう。収納スペースと財布と再度相談。

夏の軽井沢。超のつく大物映画女優が避暑にやってくる。別荘。彼女の三番目の夫が死体で発見される。昨年に引き続いての女優の夫であった男の死。死体の傍ら、テーブルにはマッチが楔形文字のごとき配列で散らばっていた。

つーわけで、離婚と再婚を繰り返す映画女優の、義理の母、娘、新しい恋人、別れた昔の夫達がメイン面子でお約束どおり死ぬのは昔の夫で狙われるのは新しい恋人。身の危険を感じた被害者予備軍に呼ばれて金田一耕介登場して以下ネタバレ。

の、前に感想を挟んで見たくないひとは回避してくださいよの空間を作る。村上青年が(・∀・)イイ!!ですね。うむ、火花散らしたり爽やかに友情したり、情に厚く育ちが良く性格が良く、男前というより「絵に描いたような好青年」。飛鳥さんも素敵ダンディで鳳さん萌えー。実は秋山氏がとてもいい味出していて脇役としてはぴかいちの役どころなので、村上青年ばかりでなくこのひとにも注目して欲しい。そしてネタバレ。

これは某英雄伝説……!

有名なネタなんだろうなー、と。ちゅーかまだ某英雄伝説読んでない人すいません。ものすごすいません。でもミステリってそういうもんだと思ったりもします。他所のネタバレが押さえておくべき名作のネタバレになってしまって号泣、という状況。ミステリはミステリの本だけ読んでいても理解できないですよね。予備知識のない人間にはちょっと敷居が高いのではないか。

『魔羅節』

2004年12月20日 未分類
岩井志麻子、新潮文庫。
「それは百年ほど前の、岡山でのこと(中略)。蕩けるほど淫靡で、痺れるほど恐ろしい、岡山土俗絵巻」
背表紙の文庫解説から引用しました。解説が久世光彦なのですが、その言葉の余りの的確さに、胸を突かれる思いをしました。もう他の人間の感想なんていらないだろうとあっさり挫折。
相変わらず淫靡で陰惨で地獄のような絢爛さ。それに加えていつもより幻想的に美しいものだから、そこから濃厚な血臭がしても花の香と取り違えそう。
中でも「おめこ電球」のねじれ具合にはやられた。

タイトルにも本文にも放送禁止用語をちりばめた短編九本を収録。
そういえばこの日記、投稿時に半角が自動で全角になってしまうのですね。字面が大変美しくないのでなんとかならないかしらん。yonda?ブックチャームが送られてきました。そういえば文庫二冊を買って帯についている応募券を送ると、全員にプレゼントという企画に応募したのでした。すっかーんと忘れていました。

『新世界』ついにシリーズ制覇。感想はまとめてしまいます。
性別のありようが一元的な母星系と、成長にしたがってシフトする夏星系の、大別すると二種類の種族が互いの利権と覇権をめぐって暗躍する星を舞台に、

もうこれ以上説明できない。

見た目が全くあてになりません。種族、機能、自認、外見、これら全て性別と密接に絡む要素がひとりの中でてんでばらばら。しかも自分がこうだと認識している所属が、第三者から見た所属と一致しないことも多々あります。この指定は作者のダブルスタンダードじゃないのかしらー、というような所属を持つ登場人物もいるため、誰がなんなのか大混乱。どこかにまとめか一覧表はないんですか……!
鍵を握るのはイオ/ミンクなのに、物語のもっとも主要な人物がシュイであるために、おかしな乖離を感じます。記憶のない、別人の顔を持つイオが主人公で当然、という長野まゆみ作品に頻出のお約束を頭から信じ込んでいたせいかもしれません。1stがイオ視点で書かれているのに、2ndからシュイ視点に切り替わり、その後もシュイ視点が続いていたのには初めて読んだときも驚きましたが、一番の混乱の原因は、三人称視点なのに改行もはさまず、地の文の中で主観があちらこちらとふらつくこと。意識が連続してる人物同士ならともかく、ソレンセンからジャウに移動したときは何事かと思いました。
そのソレンセン。駄目すぎて眉間にしわが寄ります。『サマー・キャンプ』でもそうだったけれど、どうして大人の駄目男は医者なんですか?『千年王子』の眼鏡兄まで漏れなく連想しました。奥さんは素晴らしく美人で素敵なのにどうしてなのー。
少年や男や女というたやすい言葉が殆ど指示語としての意味を果たさないので厳密な説明が難しいですね。というか厳密に外見と機能の性別を分離して解説したら、一から十までネタバレじゃないかと叱られそうなのであきらめます。なんだか感じの悪い感想になってしまった……。おかしい、性別に関するくだりについてはとても感心したのに。種族の差異がそのまま機能差であり、階級差になるという設定はすごい。同じ人間型なのに違う生き物で、関連していて、社会を形成しているのだなとすぐにわかりました。
ところで、シュイが「肉体を手放すだけでなく、生きていた何の形跡も遺さずに消滅したいんだ。それがおれの、ほんとうの希みだ」という台詞は、『テレヴィジョン・シティ』のラスト付近で語られていたことと、ほぼ正反対ですね。真逆ということは、同じということですが。
ピーター・ストラウブ、栗原知代訳、扶桑社。
短編2、掌編2、中編2が収められ、各編を繋ぐように幕間が挟んである。
くどいのではと訳者が心配するほど重厚な文章がやたらとヒット。
特に面白かったのは「ある街の短い観光案内」「バッファロー・ハンター」「ボボの魔法のタクシー」「女神の館」。

「バッファロー・ハンター」
読書がそのまま体験と結びついているような主人公が、選択を誤った話。……身も蓋もない言い方だな。もし現実を凌駕する強さで本の世界が展開されたなら、何を読もうかと嬉々とする前に、最期の一冊を検討する。今まで読んだものの中からしか選べないのはちょっと悲しいけれども。作中に「すべての映画人が夢見るような、究極の映像体験」という記述があるのも伊達ではない。音や映像だけではない、五感だけでもない、あらゆる感覚の感得する世界が、目前に、目前どころか外側全てを埋め尽くすようなそんな読書体験の凄まじさ。羨ましい。
この話の途中、主人公がデートに失敗するくだりで読書を中断したら、何故か自分まで大変な失敗をやらかしたかのような落ち込み気分になって大変でした。しばらく原因に気付かないくらい自然に引き込まれていたのね。
「女神の館」
館モノ大好き。特にちょっと現実から層をずらしているような、異次元を垣間見せる館が。それはもう館の醍醐味がここに!といわんばかりに館で楽しかった面白かった素敵ブラボー(以下略)。
後書きで、関連作品として『ねじの回転』についての言及があったので、機会があれば読みたいな。
「ブルー・ローズ」と「レダマの木」は読んでいる間ずっとサリンジャーの「ド・ドーミエ=スミス青の時代」が頭のはじっこをうろうろしていました。海外文学については全く蓄積がないので、手近な記憶から引っ張ってきただけなのだろうけれども。
「ある街の短い観光案内」
観光案内しながら殺人事件。今まで見たことの無い手法が斬新でありました。観光案内だけならそれほど目新しくはないんだけれども、順次殺人事件に関して案内されるのがいい。語り手がガイド役なのか、やけに丁寧なナレーションなのも恬淡と穏やかながら不安さを煽る。街の気候通り灰色の空が全編を覆うのです。

作中で一番気に入ったのは、「レダマの木」の中で「わたし」が語る書くということについて。
「書くということはつらく激しい行為だ。すべての文章が三度も四度も別の視点から試され、ひらりと障害物を飛び越える馬のように鍛え上げなければならない」。良く見たら微妙に呼応していないけど気にしない。

実は『紙葉の家』をうろ覚えで探した結果だなんて、この日記でしか言えない。
森博嗣、集英社。
シリアスな話を想像していたら肩透かしどころか一本背負い食らった気分です。謎のインスタントラーメンを食べると性別が変わってしまうという或る意味トンでもな本。

「墜ちていく僕たち」
心が狭いので、男から女へ変わってしまったときの表現が「おちる」であることにカチンときた。指向性としては確かに男性が不安定な「上」であるというのはわかるし、一般的に言ってもやはり「落ちる」なのだろうなあとは思うのだけれど、森博嗣は普段「そんなことが一体何になるのだろう」という本を書いているので余計に気になりました。ただ、相沢君の安定振りには笑いました。あと先輩のお水っぷりとか。
「舞い上がる俺たち」
心が狭い(以下同文)。だからなんで方向が上なのよ、と思いつつ読む。わかってて書いてるのかそれとも知らないで書いて結果的にこうなってるのか森博嗣。とりあえず(中略)されたらどうするのよと不安になる。
「どうしようもない私たち」
落ちてない。もとい落ちがない。どうしろと。
「どうしたの、君たち」
ラストでラーメンが例のアレでなければきちんと落ちがある状態なんだと思う、多分。
「そこはかとなく怪しい人たち」
パターン化→裏切る。いいよいいよー。そこはかとなく、も何も物凄く怪しい人たちが目白押しだ。

どうやって感想を書いたらいいのか途方に暮れた。
森博嗣、講談社ミステリーランド。
夏休みの少し前に僕が出会った変な大人は、アールと名乗る自称伯爵で探偵。僕と探偵伯爵はその夏、行方不明事件に遭遇する。

主人公の新太が結晶した理論のような思考を持っている。そして伯爵は新太が子どもだからといっていい加減な応対をすることがない。この二点だけでも相当に気持ちがいい。犯人当ても公明正大。しかし犯人が誰なのかということはあまり問題ではない。問題は、作中で新太が幾度か直面することになる問い、「殺すということ」。何故殺してはいけないのか、どうして殺すのか、殺さないのは何故か、などのバリエーションも含めてぐるぐると問いの周辺を巡る。
僕が探偵伯爵と犯人を捕まえるまでの友情冒険物として読むもよし、大人と子どもの視点の高低差からくる世界の違いを楽しむもよし、犯人は誰だと謎解きを楽しむもよし。色々な楽しみ方ができるので読み手が好きなように好きなだけ楽しめばよし。小説としてとても本格なので子供向けイコール子ども騙しと思って油断するなかれ。
最後の落ちというか仕掛けも見事なもんでびっくり倍率にばいにぶぁーい。絵が山田章博なのも魅力的。講談社ミステリーランド見事なり。

『ZOKU』

2004年12月1日 未分類
森博嗣、光文社。
「ハードカバーで活字を読んでいるのに何故爆笑できるのか不思議だ」と言われました。それくらい笑いました。文章自体も普段の森テイストとは微妙に違って、こういう路線もありなのかなー、まあ京極がでぶ書いてくるくらいだから、ありなのかもしれないと納得。

Zionist Organization Karma Underground、略してZOKUという謎のお笑い集団もとい悪戯集団と日々戦う、趣味の科学集団TAIの話。暴音族だの暴振族だの暴湿族だの、壮大かつ無駄極まる悪戯で世間を騒がせたいだけのZOKUと、ZOKUの起こす騒動を防止収拾しようとするTAIのどちらのグループも、面子がやる気なし。大体にして両グループのトップが仲良しで「世間を騒がす悪の集団がやりたいんだよ!勿論趣味で」「機関車に乗りたいので秘密基地を白い機関車にするついでにZOKUも取り締まるぜ!勿論趣味で」てな感じなんだからもう何をかいわんや。
ZOKUの幹部のロミ品川は黒レザー上下にマント装備のけばい三十路、対抗するヒロインTAIの永良野乃はガンダムに乗りたい18歳。これだけでもうどうなのよ。機関車は白いやつだし、黒古葉は悪役笑いの練習を真面目にやってるし、木曽川は地下にこっそりボウリングのレーン作って奥さんに内緒で遊んでみたり、あまつさえ悪の秘密組織の企画が、企画段階でこけて没になるだけで一話使っちゃったり。もうやりたい放題好き放題。
最初のうちは真面目に対決してるんですが、話が進むに連れて登場人物が揃って自分の好きなことしかしなくなるので、進行方向がばらばら。統一感なし。「これが連載だったら怒られるよ」とメタな発言が出ても最早頷くしかない。いつものように漢字が苦手なキャラが出てきたり、森博嗣ではあるのだけれど、数値があんまり登場しない・描写が具体的な地の文が、いつもと違うノリでイイ。揖斐と野乃が一回り違うのもおいしい。30才にもなって食べ物に釣られる浮世離れした研究者可愛い。

あらゆるお約束をぶち破って尻すぼみのラストを迎えるとんでもない掟破りの一作。難しいことは考えずに笑えば勝ち。女性陣の喋り方が不自然なのは、もう「森博嗣だから」の一言で済ませてしまえ。

平均値の軽量化

2004年11月30日 未分類
『大極宮3』『どすこい。』『ローゼンメイデン1〜3』『トニーたけざきのガンダム漫画』以上6冊esでゲット。
PEACH-PITはやはりあのお二人であったか。ガンダム漫画死ぬほど笑ったのでとっと初代全話見てしまわんと。『どすこい。』これで三冊目なんだけどなにしてるんだろうなー自分。
森博嗣、新潮社。『迷宮百年の睡魔』
『女王の百年密室』の続編に当たる作品。エピソードとしては独立しているので、こちらだけ読んでも意味が通じないということはないのですが、こちらから先に読んでしまうと前作の大変なネタバレになってしまうので、刊行順に読むことをお勧めします。前回の感想は伏字だらけで自分でもわけのわからないことになってるな……。
時は2114年。エンジニア・ライタのミチルが、パートナのロイディを連れて取材にやってきた宮殿。海に囲まれた島の、迷宮のような街の中にその宮殿はあった。
というわけで後はいつものように殺人事件が起こり、否応なく巻き込まれ……巻き込まれる以上に首を突っ込む主人公ペアが事件の真相にたどり着くまでのお話。前回「ファンタジー」などとコメントしてしまいましたが、何を考えていたのか。この舞台設定は誰がどう見てもSFだろう……。SFはサイエンスフィクション。サイエンスファンタジーなどという言葉はない!多分。
ミチルとロイディのやり取りが前回にもまして可愛らしい。ところどころで吹き出してしまったですよ。一体いつのまにこんなに可愛らしくなったのか。前作冒頭では道に迷って食料が尽き、半分死にかけていたミチルが、今回は走ったり飛んだり泳いだり殴ったり眠ったりと大活躍。シャルルがアレなので、ミチルとシャルルの関係が非常におかしい。笑が止まらない。
そして今頃気付いたんですが、このシリーズではついにあらゆる「名詞化er」の「ー」が消えましたな。ここまでやれば清々しい。いつも同じようなことを言っていますが、森博嗣には理系の特権のようなものを感じます。理系の特権というのは例えば「熱が伝わって、層厚が増した場合に垂直応力の支持に支障をきたしませんか?」というような台詞を、開かずに書いてしまうところにあらわれていると思います。文系の作家であれば、開かずともニュアンスで通じるとしても、このような書き方はしないと思うのです。今まで読んだ本の中で、こういったことを平然と書いてのける作家は森博嗣くらいしか見たことがありません。文系の人間としてはものすごく憧れを感じます。詩的でありながら理系の極みのようなところが魅力なのです。何処までも厳密な数値化と、具体性に乏しい記述と、理系の特権と、叙情的な文章。煌々とした明かりの灯る白く清潔な研究室の整然とした数式か実験が、森博嗣作品のイメージ。

『病の世紀』

2004年11月27日 未分類
牧野修フィーバー。『呪禁官』読みたい。

『病の世紀』牧野修、徳間書店。
「IRNI」という機関が日本につくった支部「予防医学研究所」、その所長である小淵沢が主人公。主人公というよりは、物語の中心人物で進行役というほうが近い。歯、舌が大量に生える(ように見える)寄生虫や、感染すると他者とのコミュニケーション不全に陥り、結果として殺人鬼となる疫病など、シュールで醜悪で物語としてはこれ以上なく魅力的な病気がぞくぞく登場。それらの病気と戦う刑事、研究職が、妄想と現実の区別がつかない病気に感染してみたり陰謀に巻き込まれたり電波にロックオンされたり殺人鬼や食人鬼に襲われたりと波乱万丈転がる石は崖下まで一直線。
暴力という理不尽な悪意の発露、他者とのコミュニケーションが成立しない状況、何処をとっても圧倒的な意志の一方通行。そしてさりげなくスプラッタい。章立てが病の感染から治癒までの進行状況のあいまに症例を挟んだ形になっているのが心憎い。そしてその症例は容赦なく理解というものを拒む、さまざまに形を変えた暴力の姿。そしてそれらの感染を防ぎ、治療しようとする研究所スタッフの努力と徒労。
素晴らしく牧野修であるなあ、と感じましたがどうやら感想としては間違っていないようで安心しました。そして今頃ようやく自分はサイコよりのホラーは好きでもスプラッタよりのホラーは苦手であることに気付きました。痛い、痛いよ電波さん!一撃必殺はいいけど、じわじわ拷問はまったく駄目でした。いつのまに趣味思考が変わってしまったのか自分でもちょっとびっくり。

某美食を追及する海とか山とか言う親父は、クチマネの「天国の味覚」を0.1秒くらいでにべもなく却下しそうだなー、という妙な感想が読んでいる間にふと頭をよぎっていきました。
『本格小説』と書くべきところを何を思ったか八割がた『私小説』と書いていました。家主に「耄碌したかみじんこよ!」と言われました。耄碌したかもしれません。『私小説(上巻)』って何よ。書いたときに気付きなさいよ。

『浴室』ジャン=フィリップ・トゥーサン、訳:野崎歓、集英社。
むかーしむかしに動物占いが流行った頃、それと同じノリで薦められた本。ついに読みました。いきなり浴室で暮らし始める謎の主人公「ぼく」。引きこもるのかと思いきや、いきなりイタリアへテニスをしに行ってしまう。アクティブなんだかネガティブなんだかさっぱりわかりません。
江國香織と村上春樹の中間地点のにおいを感じた作品。こういう感性で読む本は、面白いと感じるか否かはセンスの問題で、面白く感じようと思って面白く感じられるわけではないので、この手の本を読んで言葉の代わりに感嘆の溜息が出るような人のセンスがとても羨ましい。細部では理解できても、物語全体の話となると途端にわけがわからなくなってしまう。村上春樹が好きな友人に勧めておこう。

『最後の記憶』綾辻行人、角川書店。
長編ホラー。怖い。若年性痴呆症によって、子どもの頃の恐怖体験だけが唯一残った記憶となった母。「僕」は母の病気が遺伝ではないのか、母が子どもの頃体験した恐怖は一体なんなのか、日常を侵食する恐怖に脅かされつつ母の実家を訪ねる。
頻繁に通り魔が幼児を殺害し、主人公はかなり神経症に近い言動をし、妄想と現実との境目が曖昧な世界がいつ何処にでも入り口を見せて待ち構える、微妙にスプラッタの気配がするホラー。サイコ的なものよりも、肉だー、血だー、という描写が生々しくて、痛いそれ痛い!
真相は途中でわかってしまうし、生っぽい描写が痛いし、些細な事柄を引っ張られるのが気になるし、……やはり新本格派を読むのは無理だ。←ホラー読んでホラーとは関係ないところを悟る。
秋祭りの神社で狐の仮面を被って、暗闇の溜まる路地から子どもを誘う不思議な存在というのは、とてもファンタジックな印象を受けるのは何でだろう。和風好き好き。
ごーはー。読みました。まさかほとんどフミ子さんの語りで占められているとは思わず、少し驚く。

三枝家三姉妹の次女に雇われた女中として長いこと三枝家と重光家を見続け、女中をやめたあとも縁の切れることのなかったフミ子さんの目を通して語られる、東太郎の物語。と、見せて実はフミ子さんの一代記としても読める。三枝家と重光家の華やかなりし時代から、戦後普通の家とさして変わらなくなった時代までを背景に、三姉妹を中心にした家の人間関係をえんえんと描いた作品でもある。中心人物であるはずの東太郎はむしろ物語から少しい遠いところにいる。三姉妹の次の世代になってから漸く登場し、そして長い間姿を消している。
古く大きな名家の、戦前から戦後にいたる姿を描くところなど、作中でその例として挙げられた『嵐が丘』などの西洋の作品そのまま。非常に伝統的なスタイル。壮大な恋愛の物語であり、家族の物語でもあり、一人の女性の半生記でもあるという、非常に贅沢な内容。優雅で貴族的な上流階級の生活も、世界大戦中の厳しい世情も、戦後すぐの貧しい庶民の生活も、都会も田舎も惜しみなく描かれる(惜しみなく描く、という表現が言葉としておかしいのは他に表現が思いつかないという事実にあっさり敗北)。波乱万丈な東太郎の人生と恋愛からはメロドラマの香りもする。一粒で二度三度四度と美味しい。
頭から尻尾まで、美味しくいただきました。……自分で仕立てまでする人間の視点からみた服装の描写がこれでいいのかー?!とか、「おおよう」ってなんだろう、とか、「なにしろ」多すぎるとか、微妙に気になる点がふたつみっつあったけれど、そんな些細な点に拘って小説の持つ楽しさを味わえなくなるのはたいそう悲しいことなので、何も考えずに楽しむが吉。大吉。
なんだか自分でもよくわからない組み合わせ。文芸雑誌とか純文学よりとか、共通点がありそうでなさそう。

『本格小説』水村美苗、新潮社。
まずは上巻の覚書兼感想だらーっと。
楽しい。たいそう楽しい。惚れた。大絶賛。デフォルト買い作家のリストに直行です。何が楽しいってまず、本編が始まる前に「本格小説の始まる前の長い長い話」という、序文に近いものが入るんですが、これが「長い長い」というだけあって、本当に長い。上巻の約半分を占める長さには思わず笑ってしまった。「序文があるから敷居が高い」というような感想をネットで見たのですが、これは確かに敷居だ。でもその序文から、作者の言葉に対する感覚が伝わってきて大変面白い。言葉狩りの理不尽さを臆面もなく書いてしまうとは何事。大事。一大事。
『私小説』に登場する水村美苗と、姉の奈苗のその後も見れてお得な気分。さらに美苗がある男から聞いた話をもとに書いたのが、「本格小説」という一種の入れ子構造になっているのだけれど、その入れ子は明確にわかれておらず、二重写しのように何処かで重なり合いながら現実と層をずらしていく様が、捕まえようとした先に手を滑り落ちていくもどかしさを煽ってなんともたまりませんなあこれはうははは。作者水村美苗≒『私小説』の水村美苗、彼女が聞いた話≒加藤の語った体験≒「本格小説」(と『本格小説』の作中内で呼ばれているもの)。間に焦点のひと「東太郎」を加えるとさらに世界は虚構へと傾いていく。水村美苗は作者に近いのに、東太郎は限りなく物語の中の人であるのが、作中で出会ってしまっている故起こりうる変移。メタ好きには堪えられない面白さ。
上巻の残り半分を占めるのは、自ら「女中」と言い切るフミ子さんの話。正体不明の謎の女から「三枝家の女中」という時代錯誤の存在に大変身ー。そして彼女の語る、彼女の来し方在りし方。一度聞き手を通しているところや、女中になったフミ子さんの少女時代からの変遷などを見ていると、なんとなーく高村薫の『晴子情歌』を思い出したり。出版された時期もそんなに離れていないと思うんだけれども。そして今頃『晴子情歌』の楽しみ方を知ったり。
下巻がとても楽しみであると同時にゆっくり読めないスケジュールを組んでしまった自分が腹立たしかったり情けなかったり。

『新世界1st』長野まゆみ、河出書房新社。
リアルタイムで読みました。でも4巻までしか読んでいなくて、物凄く結末が気になるのでこれ幸いと1巻から再読。『テレヴィジョンシティ』のイメージを引きずったまま読むデス。イオがアナナスと同傾向、どころか極端さを増しているのを見るたびに周囲の苦労を想像して不謹慎にも笑ってしまう。こういう巻き込まれ型主人公が、実は一番振り回し型であることに、当時は気付かなかったのよねー。
イオが知らないことを、同じように知らない読み手であったときにはわからなかった話の筋や、人間関係などが手に取るように理解されて面白い。しかし恐るべきは自身に関する記憶をすっかり失って人格の変化を起こした主人公が、周囲の言うことを全く理解しないこと。初回は主人公の側に立って「周りの言うことはわけがわからん」と共感しつつ読み進めることが出来るけれど、二回目は「なんで気付かないかなあ」になるわけで。全てを知っている作者が全く知らない主人公を書いているという事実に毎回驚愕する。双方の視点から書いたときにうっかり零れてしまうものはないのか。ないのか。そうかないのか。やはりプロは違う。うーと唸る。
ところで「夏星」は他の作品中でも登場したことがある星だけれど、これは世界観を共有してるわけでもなさそう。そして今はたと気付いた、夏星は火星?昔人類は火星に進出するんだー、という夢が世界を席巻したような記憶があるのでなんとなく。

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